二小節目
真冬が死んでから数日が経った。カレンダーを見ても、今が何月何日なのか分からない。日が昇り、日が沈む。それの繰り返しで、ただぼんやりと天井を見上げ続けた。
真冬の顔がちらつく度に胸が締めつけられ、いっそ自分も死んでしまおうかとさえ思うのに、それだけは許されないと自分に言い聞かせた。
『ハルちゃんが幸せでいてくれますように』
叶えたいことリストに書かれた最後の願いは、優しさと残酷さが入り混じっていた。
「真冬。もう一度、お前に会いたいよ」
床に転がっていた薬瓶を手に取り、睡眠薬を口の中へ流し込んだ。眠りにつくその時だけは、彼女と一緒にいれるような気がした。
夢を見た。
テーブルには、鰆の西京漬けやほうれん草のおひたしが並んでいた。はじめて真冬が作ってくれた料理で、俺がリクエストした料理だった。
「お待たせ。ハルちゃんの口に合うといいんだけど」
キッチンから出てきた真冬が、テーブルにお椀を置いた。豚汁の登場に目を輝かせる俺を見て、真冬は嬉しそうに笑った。
「いただきます」
「どうぞ。冷めないうちに召し上がれ」
豚汁を一口食べた後、顔を上げると、真冬の姿が消えていた。
「真冬」
彼女の名前を呼ぶと同時に目が覚めた。寝汗でワイシャツが張り付いて、ひどく気持ち悪い。新しいシャツに着替えようとしたその時、リビングの方から何かを刻む音が聞こえてきた。
最悪な状況を考えつつ、部屋の扉をそっと開けると、台所に見知らぬ男が立っていた。銀髪の若い男は刻む手を止めると、今度はお玉を手に取り、鍋の中をかき混ぜていた。呆気にとられていると、彼は俺を見て微笑を浮べた。
「おはよう、ハルちゃん。もうすぐ出来るからね」
見つかってしまった以上、今さら引くわけにもいかず、俺はドアを開けた。
「お前は誰だ?どうやってこの家に侵入した?」
「私は真冬だよ。ハルちゃんにもう一度会うために、少しの間、この子に身体を譲ってもらったの」
「はあ・・・・・・?なにを訳の分からないことを言っているんだ。真冬はもう死んだ。それ以上、いい加減なことを言ってみろ。警察に通報するぞ」
男は悲し気に笑って、家の鍵をテーブルの上へ置いた。
「バイバイ、ハルちゃん。元気でね」
男はそう言うと、静かに家を出て行った。
「なんだったんだ、今のは?」
茫然と立ち尽くしていると、突然、鍋が吹きこぼれた。慌てて火を消し、蓋を開けると、そこには豚汁が入っていた。グリルには鰆の西京漬けが、冷蔵庫にはほうれん草のおひたしが入っているのを見て、俺ははっとした。
もしも男の言うことが本当なら、妻は、真冬は、自分が真冬であることを俺に証明しなければと思うだろう。二人で隠し場所を決めたスペアキーも、懐かしい手料理も、全部俺に分かってもらうために・・・・・・。
「真冬!」
玄関を飛び出し、マンションの階段を駆け下りた。
「真冬。頼むから、返事をしてくれ。真冬!」
辺りが暗くて、よく見えない。必死に男の姿を探していると、遠くでブランコの軋む音が聞こえた。
「真冬」
男は公園のブランコに座りながら、いまにも泣き出しそうな顔で俺を見た。
「さっきは気づかなくてごめん。俺も、真冬に会いたかった」
「・・・・・・見ず知らずの人の言うことを簡単に信じちゃダメだよ」
「見ず知らずの人じゃない。お前は真冬なんだろう?」
ブランコの鎖を握りしめる手を、上から包み込むように握った。
「帰ろう、真冬。一緒にご飯を食べよう」
真冬はブランコの鎖から手を離すと、俺の身体を強く抱きしめた。
「ハルちゃん、ごめんね。大好き。大好きだよ」
泣きじゃくる真冬の頭をそっと撫でた。髪色、顔、性別。真冬とは正反対の容姿だが、目の前にいる人間が真冬だと思うと、そのすべてが愛おしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます