第6話

 鏡から解き放たれた光を追った。二度転び膝から血が流れ恋人に抱きかかえられてからは、その光を目に焼き付けるように、目を離さなかった。

 迷路を抜け、当初の目的地である屋敷を見つけ、ジーンとリアーニァさんの元へ一直線に辿り着く。呆れ声で鍵は外しておいたよと先生の声がどこからか聞こえたけれど無視をして、炎の中から二人を連れ出したところでレグルスさんや他の方々が到着。迷路の世界はこれで閉じられた。

 煙を吸込み内臓がいぶられた。長時間肌を炙られた。極度の疲労とストレス、栄養失調。それらがあって、リアーニァさんとジーンは暫く入院することになった。お見舞いに行けばジーンは入院二日目にして元気な声でお話をしてくれて、そこでようやくわたくしも深く眠ることができた。

 先生について、研究資料は国の機関が押収したとお父様から聞いている。

『魔法を司る器官の発見を目的とした人体構造の解明及び研究。は年に十五名前後。年代別制限以外はほぼ無作為だが魔法使いは優先。研究期間は現在約十二年を更新中。報奨なし。個人研究』

 導入を聞き齧っただけで軽蔑すらできる内容に眩暈したのは数日前。そして面会に望まれ、一度だけ会ったのが昨日。

 大量殺人犯への恨み辛みはこの街の総意にまでなっている。だからこそ見逃される暴行が存在するのだけれど、わたくしの心はその暴力には非協力的で、酷く怪我をしていたから、その日のうちに屋敷に保護するよう手を打った。

 非難は当たり前にされてしまったし、非難する気持ちだってこの手で弟を失わされたのだから理解できる。理解できても寄り添いたくないことには寄り添わない。わたくしはそういう自分であれることに誇りを持っている。


「いいのかい、僕を庇って。立場が悪くなったろう」

「わたくしの立場は誰かさんの悪行のはけ口にされていましたからね。今更気になどいたしません」

「だからこそさ。本音はどうだい? 元凶を前になじりたいとは思わないのかい?」

「ご自分の姿を客観視できまして? 折れた骨に変色し腫れ上がった肌。あまりの痛々しさに言葉が詰まってしまうから、今はいつかなじるためにもう少し怪我を癒していただきたいと思っているの。あなたの姿、重病人ですもの」


 重罪人として国への引き渡しの日程はすでに決まり、全治する前に使者に引き渡すことになる。これから死刑になる人を、口汚くなじる気などない。これを察してか先生は苦笑し、警戒心もなく枕に頭を預ける。


「慈悲深いね」

「そう……かしら? 先生をここまで痛めつけた方々を法のもと、正しく檻の中に入れることは簡単ですけれど、しませんでしたよ。二度はないと厳重注意はしましたけれど」


 お父様はわたくしの判断を支持してくれた。正しく裁くために必要なことだと。けれど、今まで通りの方法を取ることは暗黙の了解で。

 娘の我が儘に言いなりの領主。連続誘拐殺人犯の身柄を娘に託す。

 数日前まで逮捕の協力に称賛されていた記憶もあるけれど、今では新聞はわたくしと先生の間にただならぬ仲を捏造することに力を入れているらしい。


「いずれにせよ、中途半端な手しか出せなかった自分の愚かさに呆れてしまうわ」

「呆れる必要はないよ。絞首刑かな。斬首かな。どれにしたって最期、聖母を思い浮かべる時、僕はきみの顔を思い浮かべるだろうし」

「思想に口は出しません。けれど、直近では随分苦しめられ、長年わたくしが街で嫌われていた原因があなただったと知ってもこうやってお世話ができるのだから、あながち間違いではないのかもしれませんね。あなたを匿うことに今も反対しているジーンは別邸に行ってしまいましたもの」

「ははは」

「お友達を殺されているあの子の気持ちを考えたなら笑い事ではないんですからね」


 噂はただの噂だと知ってくれている屋敷の者も、ことこの件については彼の世話看病を嫌がった。わたくしについては軽いけれど怪我を理由に社交はお休み。公務も。だから、時間に余裕のある自分が彼の看病を担うことにした。

 危険だとロディもジーンも、リアーニァさんとレグルスさんまでも諭してきたけれど、今の先生は魔法を阻害する手枷を嵌められている。同様のブレスレットをお父様にいただいたことはあるけれど、体外に作用する魔法とは違い、体内で完結しているわたくしの魔法には効果を発揮してくれないどころか魔法の巡りが阻害され、数分の着用で眩暈と吐き気で一週間は寝込んだ。無理に魔法を使おうとすればどうなるか身をもって知っていたから、誰に止められても考えは改めないままこの通り。口の悪い殿方と、楽しくない会話に花を咲かせている。


「そうでした。わたくし、嘘をついたでしょう? 謝罪させていただきますね」


 少し考えてあれか、と納得する。


「魔法はもう使えなくなった、という嘘。あれがなかったら、わたくしが身体を開かれていた側だったんでしょうね」

「もちろんさ。ああ、きみから魔法が使えると聞いたあの時は年甲斐もなくとても高揚したな。とても楽しい時間だったよ」

「いじめられた記憶しかありませんわ」

「それはすまない。僕は仲良くしたい人に対してばかり人付き合いが下手になってしまうみたいでね」


 これもおちょくられているのかしら。まあ、いいでしょう。

 街を眺めることしか許されなかった子は、本来見えないはずの魔法のかたちが見えるようになった。そう呟き、楽しいトークタイムを提供する。


「結果はどうあれ、嘘に悪気はありませんでしたのよ。ですが、大切にしている思い出だから、どなたにも秘密にしていたかった。わたくし、これでも宝物を見せる相手は選んでいるんです」

「気にしないさ。ほぼ初対面の男をそれに選ぶ人は居ない」


 瞼を閉じ、今も色鮮やかな思い出に触れる。

 ジーンがこの屋敷に住み始めた、最初の日の夜。わたくしにとっては、母を亡くした翌日のこと。

 金色の長い髪はゆるく片側に三つ編みにして、新品の寝間着はまだ目に見えて硬かった。広い屋敷は喪に伏しながら新たな女主人への気遣いとして静けさに包まれた他人行儀の室温で、新しい環境に寂しさが刺激されたのか、あの子ったらわたくしの部屋まで来て、胸にぎゅうぎゅう抱き着いて、それはもうわんわん泣きじゃくった。


「初対面ではそれは愛らしくお姉さま、きれい、なんて言ってくれたのに、夜には嗚咽に溺れながらお姉ちゃんって、呼んでくれて……」


 その声と、首筋に押し付けられた真っ赤な顔の熱と服に滲み広がる涙のぬるさを思い出し微笑む。


「おねえちゃん、すき」


 涙に舌足らずになった声を、言葉を真似てくすり微笑む。


「知っていらして? 魔法の言葉って突然胸を貫くの。わたくしの魔法は、その言葉を受けた瞬間この身に宿りました」


 せっかくの美しい思い出話に先生は真面目に思案し、首をかしげる。


「怒り悲しみ、反発心ではないね。喜びで魔法が発芽したと?」


 あまりにも淡白で、思っていた反応はなかったけれど、胸に手を当て頷く。


「両親はわたくしに興味がなかった。それでも平気だったんです。平気だった、はずなのに……。お姉ちゃん、なんて呼ばれて、寂しさに気付いた時にはもう、抱き着いてくるあの子が愛しくてたまらなくて。この子とちゃんと向き合おう。わたくしはお姉ちゃんなんだから、しっかりこの子のことを見ていてあげたい。胸に決めると世界に光が満ちていったわ」

「感情の強い揺れ動きで発芽したのか。なら、理にかなっているな」

「先生。わたくしは魔法が見えるんです。わたくしの魔法は、先生には見えないでしょう? 見えない魔法がある、なんて、知ってはいても意識の外だったのではなくて? 魔法の使えなくなった子たちは、本当に身体から魔法が消えたのかしら。ううん、魔法を持たない人なんて、そもそもいらっしゃるのかしら?」


 先生はようやくこれが楽しいトークタイムだと認識したのか、目を見開き上半身を起き上がらせる。


「きみには何が見えているんだ……?」

「光が」


 手を宙に、青かびに似た青紫、深い藍色の光を指先で撫でる。触れることはできないし、確かにそれはひとりひとり色が違い、輝度も、量も、違うけれど。


「使える人と使えない人。使えなくなった人。脳のどこか。腹部のどこか。身体のどこかに違いはあるのかもしれません。それはあなたがそうしたように、皮膚を、臓器を開いてみなければわからない。けれど、魔法を持たない人は、わたくしの目にはひとりとしておりません。……おりませんのよ、先生。わたくしにとって、人は皆……あなたも。眩しくて、美しくて、愛おしくて、たまらないの」


 街は煌びやかだった。社交の場は装飾品と相まって眩しくてたまらなかったけれど、人々が生活を営む街をただ眺めるだけでとても美しいものを前にしている気持ちになれた。

 たったそれだけ。嫌な気分にさせてくるくちさがない言葉も、揺るがない美しさ、たったそれだけのことで許容できてしまえた。

 先生は止めた息を深く吐き、もう一度ベッドに背を預けると穏やかに窓の外を見上げる。


「きみは想像とまるで違って、本当に、困る」

「あら。そのお言葉、そっくりお返しさせていただきますわ」


 秘密にしているだけで、わたくしだって困ってる。

 恨みでもなく憎悪でもなく、知識欲と使命感のために罪のない幼子まで殺しこれから死刑になるあなた。妹と友人を深く傷付けたあなた。からっぽの鏡を前にネクタイピンを手にひとり泣いた夜。……けれど、まあるく甘いチョコレートの味を、わたくし、覚えているの。

 それはただの買い置きの、誰のための物でもない来客用のチョコレート。

 罪悪感ですらないただの思い付きと話の流れで贈ってくれただけだとしても、それでも嬉しかったんだから、仕方ないじゃない。

 酷い目にあってほしいとわたくしだって人並みには思います。けれど実際、手当てすらされていない折れ曲がってしまった腕を見て、腫れあがった頬や切れてしまった瞼を見て、肌色の名残りにすらなれないでいる鮮やかな血の滲みを見てしまえば、同じ事はもう思えない。なによりあの日確かに救われた心があって、憎まずにはいられない激情をなだめてしまう。


「多くを傷つけ、奪って、尊厳すら踏みにじってまで知りたかったことのひと欠片程度にはなりまして?」


 目尻を濡らす小さな涙を、ギプスで固定された腕の代わりにハンカチで拭う。彼は嗚咽も漏らさず静かにこの世話を受け入れる。


「……ほんの欠片だけれど。ああ、本当に……。魔法の言葉か。時間差はあったが、突然貫いてくるんだな。困るよ、まったく。アプローチを変えて研究がしたい。手に掛けてきた人々の命を無駄にしたくない。でも、もう何もしたくない。こんな中途半端な今が一番、穏やかにあれるだなんて……」


 ひとしきり静かな時間を過ごし、口を開いたのは先生から。


「せめてものお詫びだ。忠告を聞いてくれるかい?」


 わたくしは頷き、先生と見つめ合う。彼の目は憑き物が落ちたように、もうわたくしを嘲笑することはなかった。


「鏡の中をどこへでも魔法が移動できたって、その身体はどこにでも行けるわけじゃない。自分の好きなように迷路を作ったって、現実じゃ出口のある親切な問題ばかりじゃない。きみは妹をしっかり見るためと言ったが、実際光が邪魔をしてろくに顔すら見れていないんじゃないか?」

「……そんな言い方、意地悪ですわ」


 嘲笑はないけれど、本当に、人付き合いを心得ていないみたい。否定せずむくれると、くつくつ笑い素直に謝る。


「ごめんごめん。でも、魔法なんてそんなものさ。弟くんは浮くんだったか。そのうち言葉通り地に足がつけられなくなるから、ほどほどにさせるといい」

「忠告痛み入りますわ。けれど心配はご無用です。貴族なんて、少し浮いているくらいが丁度いいと思いません?」

「はははっ。きみはなんだかんだしっかり大地に仁王立ちしているように見えるけどね」

「仁王立ち。好きな表現ですわ」


 くすくす笑い、ええ、と同意する。


「ええ。わたくし、貴族は向いておりませんの。向いているのは、そうね……。最近気付いたばかりですが、女子生徒はかなり向いていたようです」

「おや、本当に?」

「だからこうしてひとりの女の子として重症の先生を看病しているんです。あなたがどんなにろくでなしの人殺しでも、わたくしの大切な方たちに酷いことをしても、なんでもない言葉でわたくしをただの女の子にしてくれたのは、ランドール先生で……。市販のチョコレートの遠慮のない甘さが口に合ったのも大きいですね」


 目を細め笑い、そしてじっと、見つめ合う。決して逸らさず、光の粒子、その一粒の動きも見逃さない。

 許したわけではなく、けれど怒りだけで言葉は交わさない。彼と向き合うこと。それがわたくしの役目と、十分理解しているからそうするの。


「……きみの熱視線は、魔法の言葉以上に串刺しにしてくるね」

「あら、ふふっ。お上手ですわね。この目、苦労は多いけれど、気に入っているんです」


 ひとりひとりがそれぞれの光を纏うから、見つめていたい人もろくに見えない水色の瞳。けれど、だからこそ見えるものは美しく。だからこそ、胸を打つ。


「世界が輝いて見えますのよ。それはまるで……」


――それはまるで、恋をしているように。


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