第5話(ジーン)
例えば物語に憧れている女の子が居たとして、本物のお姫様を前に、嫉妬なんてするのかな。
――本物のお姫様を前に、嫉妬なんてしなかった。
彼女は憧れそのものの姿かたちをしていた。彼女が微笑むとふっくりとした色白の頬が薄桃色に色付いて、伏し目に長い睫毛の隙間から冬空色の瞳が輝くの。可愛くて、きれいで、誰よりもきらきらして私の目の中にすら星がまたたく。なんて言うのかな。寒い夜の、お店のショーウィンドウの中のお人形を、白い息を吐きながら眺める気持ち。寒さも忘れて見つめてしまう。その上こっちを見ないお人形とは違って錯覚だとしても見つめ返してくれたんだから夢中というよりすっかり虜で、私、気付いたら胸も心も頭の中も、彼女のことでいっぱいになっていた。
つまり、物語に憧れている女の子が居て、それは私で、お姫様に近い彼女を前に、恋をしたみたいに全身が熱くなったの。
――……私には、彼女を愛する資格なんてないのに。
鏡の魔法は秘密を暴く。それは自分にも隠したかった秘密を、簡単に自分に暴いてみせる。
部屋から出ちゃダメよとお母さんが言う。小さな私はそれに従って、外というものは開かない窓の中にしか存在しないものと思い込もうとした。部屋の中だけが私の世界。狭く、退屈で、冬は寒く夏は蒸し暑い。監獄というものを知らない幼子は純粋に、窓の中に入ることだけを望み、そうしてその力を手に入れて、広い世界を知ってしまった。時間としては、そう。お姉さまと直接出会う、一年前のこと。つまり一年もの間、私、お姉さまを鏡の中から見つめていた。
「街中で暮らす妹に貴賎はなく、父親譲りの金髪を揺らし、子どもの集まりならどんな生まれの子だろうと一緒に走り回る。妹は優しく、可愛らしい子に育つ。なにこれ、酷い噂。誇張表現しかないじゃない。……それに、私の色は……」
結局のところ、お母さんは私を誰かに見せたくなかったの。そういう店で働いていた。恋した殿方との一度の情事が忘れられず、同じ色味の相手と手当たり次第に繋がって、事故でわたしを孕んでしまった。同じ色味じゃなければ放置の末に死んでいたかもしれない。でもそれ以上に最悪なのは、本当の父親が誰かわかってるってこと。お母さんに似ていると言われる私の顔は、その実父親似でもあったから。
――お母さんがお金を渡して私の父親をこの街から出るよう仕向けるのを、鏡の中で見ていた。
――夜、お母さんがお父様の写真を手にあなたのお父さんよと語り聞かせてくれる優しい声は全部嘘。
――でもお母さんを嫌えなかった。だって、写真の中のお父様で満足しているような人だもの。
――このまま大人しく、静かに母子で暮らせればよかった。
――鏡でお父様の娘さんを眺めるだけの日々で十分だった。
――そんな生活、続くわけがない。
――女手ひとつで子どもを育て、その子どもを隠し通せるなんて、浅はかもいいところだと今ならわかる。
――突然部屋の鍵が開いたの。乱暴で、とても怖かった。昼間はお母さん、寝てるのに。
――私のお姫様によく似た女の人がお父様を連れて部屋に入ってきた。
――私の顔を見て、彼女、泣いたわ。
――その数日後だった。
――私の存在を知って、自ら亡くなってしまったの。
――……お姉さまの、お母様は。
――私の髪の、私の瞳の色を、目を見開き知って。呪いの言葉のひとつも溢さず、涙だけ、落として。
――私、全部知っていて、黙ってる。お姉さまにだけは隠し通そうと決めている。
――……ああ。
――ああ。こんなにも、苦しい。
――生きているだけで、息もできなくなるほどの罪悪感が、胸を刺す。
罪悪感がありながらなんでもない顔であなたの前に立つ。あなたがくれる途方もない愛情を甘受して、あなたの大事な妹として振る舞っている。きっと私の身体は「ごめんなさい」と「許して」で構成されている。苦しくて苦しくて、いてもたってもいられない。だから良いことをしようと決めたの。罪から逃れるように。罰を受けるように。誰とでも仲良くなって、誰の視線にも気付けるように鏡の中に分身を走らせて、良いことをすれば少しは呼吸が楽になる。そのはずだったのに。
「あ……あぁ……!」
肉を焼かれ乱雑に積み重なった骨は、もはや誰のものか判別はできない。
あの中にジェナがいる。メアリがいる。多くの犠牲者はその全てが塵芥のように薄暗い部屋の隅に打ち捨てられ、彼、彼女たちの無念や恐怖を思うと涙が出た。悔しくて。悲しくて。どうしようもない怒りで、涙が出たの。
ランドール・ハミルトン。リアーニァさんの魔法を見た瞬間、彼は歪に笑い、私たちをここに落とした。
「落ち着いて、私がそばに居ますから……」
涙を流す私の背をリアーニァさんが撫であやす。ランドール・ハミルトンはリアーニァさんの水を被り、部屋に鍵をかけた。彼の陣地であることは変わりないけれど、暫くはなにかされることはない気がした。
部屋を物色し、見つけたタオルを床に身を寄せあい座る。ストレッチャーはきっと実験用で、あの上で犠牲者たちが絶命したのだと思えば使う気にはならない。
食料はない。水はリアーニァさんの魔法が続く限りは。私の魔法はリアーニァさんの水面を鏡として部屋の外の偵察に向かい帰ってこない。
――ここ、どこだろう……。
外は一日中暗く、恐らく外に出てもそこは内側なのだと感覚的に理解できる。
――魔法。……魔法の、中。
そんなことあり得るのかな。あり得る、かもしれない。なにせ私の魔法は鏡の魔法だもの。
なにか考えていないと不安で、膝を抱き締めながら、魔法を使えるようになった日を思い出す。
寒い地方の魔法使いの子どもは凍てつく夜に火を灯し自然に魔法を覚える。それとおんなじように、魔法の使い方は自然に覚えた。
秘密を暴く、鏡の魔法。そんなこと最初は知らなかった。ただ窓の中、窓の外に……、それを「出る」と言うことも知らなかった私は、そこに入ってみたかった。
ひとりぼっちの部屋しか知らない私の魔法は、鏡の中を自由に行き来する私の分身。鏡に映っている場所にだけ行ける。まだあまり遠くへは行けないけれど、走り回る子どもたちの中に鏡の中でだけ混ざれる魔法。身体を置いて、自分の意識を鏡の中に入れることもできる。それをすると残った身体はゆすられても頬をぶたれても目を覚まさないから、お母さんを心配させた日からはやっぱり私はひとりぼっちの部屋の中、鏡の中の分身が帰ってくるのを待っていた。
布団にくるまり手鏡を耳元にね、内緒話みたく、どこに行ったかお話してもらうの。
「今日ね、とっても可愛い子を見つけたの」
それは恋をした女の子の声だった。
丘の上のお屋敷には可愛らしい女の子が暮らしていて、わたしと同じように寂しくしている。あんまりにも可愛いってうるさくするから、自分の魔法ながら丘の上の女の子に嫉妬しそうだった。
「いつもいつもずる……はしたないわ。覗きなんて」
「あら、街一番の、それも豪華なお屋敷なのよ? せっかく行けるようになったんだもの、女の子だったら迷わずするでしょ? 探検」
「それは……、するけど……」
「あなたも見ちゃえば意識が変わるわよ。ほら、私をあなたの中に戻して。きっと驚くわ。本物の……、本物のお父様の子よ。あなたも見たいでしょ?」
自分の言葉ながら信じてはいなかった。けれど、鏡に手を添え自身の中へと流れ込む鏡の記憶を見てしまえば、本当に可愛らしくて。鏡の中の私は、どうしようもなく私だったと納得する。
エディット。エディット・ソロー。私のお姫様。鏡の前で寂しげな顔を見せる、ひとりぼっちの可憐な女の子。ずっと見てきた。眺めてきた。想ってきた。だから本当に嫌だった。
彼女のお母様が亡くなったばかりなのに、私は今日、彼女の妹になった。
――誰も、彼女の心のことを考えていないんだわ。
恋に盲目だったお母さんも、何を考えているのかわからないお父様も、お金だけ受け取って私に会おうとすらしなかった父親も、お姉さまを置いていった彼女のお母様も。そして、彼女に近付けるだけで喜んでしまった浅はかな自分自身も。……大嫌い。
「なぁに、その姿」
自己嫌悪で吐いてしまいたい。軽い挨拶をして今日はもう私に宛がわれた広い一人部屋に早々に籠った。明日の朝を思うとうまく眠れることもできない夜中、鏡の中の私は短い髪の男の子になっていた。
「義弟だったらこうだったろうなって、お前が思ったんだろ」
「喋り方もがさつだわ」
「お前だって無理しておしとやかになろうとしてるだろ。見た目にふさわしくなりたいお前に影響されたんだ」
「でもそれじゃあ、本気で彼女に恋してるみたいよ」
「してるだろ。鏡の魔法は知りたいことが知れるんだ。試してみたらどうだ?」
絵本の中の魔法使いのように、呪文を唱え、一番を知りたいと望めと言う。
「……こんばんは。ねぇ、すてきな鏡さん。私の一番好きな人は、だあれ?」
「こんにちは。可愛いお嬢さん。きみの一番好きな人は、きみの義姉になったその人。エディット・ソローだ」
見た目は褒めないように、なんて風潮おかしいわ。だってあんなにも可愛らしい。美しく、凛として。目鼻立ちも髪の色もその艶やかさも、心惹かれるの。とても好きだと思ったの。しわのないお洋服や合わせる小物のデザインセンスも美しいけれど、持って生まれたものを素直に愛してあげられる世界だって素敵でしょう。見つけてしまったら見ない振りなんてできないし、鏡を介さず、直接目を合わせてしまったら、心はもう止められない。
それに、ありがとうと言ってくれたの。
彼女を前にした第一声。緊張し強張ってしまった表情の、拙くぎこちない、きれいで好きって、飾ることもできない幼稚な好意に。あなたの髪もふわふわで好きよ、と。髪をひと房摘まみ、お姫様にするように、口付けてくれたの。
「じゃあ、鏡さん。姿形、身体を持たない私の魔法。あなたがなりたい自分の姿を持ってまで、隣にありたい人は誰なのかしら」
何拍か置き、エディット・ソローと声が響く。
「可愛くて意地悪なお嬢さん。それはエディット・ソローだ。きみがどうしようもなく彼女に惹かれるのはいつかの魔法が彼女に一目惚れしたせい? いいや、違う。いつかきみが彼女に一目惚れするから、先に魔法も恋をしただけさ」
秘密を暴く魔法は、自分の秘密も暴いてくれる。
目尻に小さく粒を作ってしまった涙を指先で拭い、鏡の彼に微笑む。
「二度も一目惚れしたのなら、もう、どうしようもないね」
きっと三回目もあるんだろうなぁ。そう笑うと、まったくだと彼も笑う。
「俺たちがしているのは、生涯の大恋愛だ」
「生涯の……」
呟き、心が納得する。
――生涯の大恋愛。
私の生涯、一番好きな方は、エディット・ソロー。
私の魔法の生涯、一番好きな方は、エディット・ソロー。
「じゃあ、鏡さん、お姉さまの生涯の大恋愛のお相手は誰なのかしら」
「可哀想なお嬢さん。言いたくないことを聞かないでくれ」
それはつまり、こういうこと。
「ふたりそろって大失恋しちゃったね」
「馬鹿。まだ振られてないだろ。鏡が割れそうになったじゃないか。……ほら、俺じゃあ涙は拭えないぜ。慰めてもらってきな」
「迷惑にはなりたくないよ」
「彼女を一年見てきただろ。一晩中泣きついたって彼女の迷惑になんてなれないから、安心して行ってきな。それで、俺の分も抱きしめてもらってこい。お前に戻ったとき、俺も彼女にようやく触れられるんだから」
魔法に背を押され、彼女の部屋の扉を小さくノックする。好き。それ以上に罪悪感に押し潰されそうで、実際潰されていて、息苦しい。でも好きなのよ。失恋もしてる最中。ぐちゃぐちゃの心のまま目を泣き腫らし、お姉さまのベッドに忍び込む。鏡の言った通り、お姉さまは嫌な顔ひとつせず私を抱きしめ一緒に眠ってくれた。
――あなたの腕の中にいるのは、本当は妹でもなんでもない平民の娘で。
――あなたの腕の中にいるのは、あなたのお母様の心を死に追いやった見目の娘で。
――あなたの腕の中にいるのは、それでも自分の欲に負けあなたの腕の中に入り込んだ図々しい娘で。
――ごめんなさい。愛される資格はないのに。
――許して。愛する資格なんてないのに愛したいの。
――ごめんなさい。私、本当のこと、あなたにだけは絶対に言えない。
――許して。あなたを好きになってしまったの。
鏡の中から丘の上の大きなお屋敷を眺めた。あそこにお父様の娘さんがいるって興味があった。あそこで暮らせたら寒い夜なんてないんだろう。魔法で行ける範囲が広くなるなるたびに、次はあなたを見つけにいこうって、ずっと眺めていたの。
「……お姉さま、ロドリックさんの就職に合わせて結婚しちゃうのよね……」
「ええ、そうね。今は双子たちがいるから、家を出ることになるかもしれないわね」
「そっか……」
私、何でも見てきた。釣りもできるし、捌けるよ。今ではお菓子や食事の作り方も教えてもらったし、ベッドメイクもお掃除も、コックやメイドごっこって駄々っ子すれば教えてもらえたの。毎日毎日練習した。水仕事だけはさせてもらえなかったけれど、文字を覚えて言葉遣いだってそれなりに整えた。これだけじゃ侍女にはなれないのかな。嫁ぎ先に連れていってくれないかなぁ。
……私が。私が異母妹じゃなく連れ子だって知ったら、連れていってくれる?
それとももう、妹じゃなくなる?
そんな、馬鹿なことを考える。
暖かな寝屋に、毎日違う食事。鍵のかかっていない窓と自由に出入りできるドア。贅沢に慣れてしまったからかしら。欲しかったものがたくさん手に入ってしまったからかしら。自分の罪から目をそらしたまま、どんどん欲張りになっていくの。
――だから、天罰が下ったのかしら。
ランドール・ハミルトンが火を付けた。不可思議なことにずっと天井が燃えていて、リアーニァさんの水を定期的に被らないと干上がった洋服から燃えてしまいそう。それでなくとも胃に入るのは水だけで、ふとした瞬間気を失っていることもある。
これではだめと、ふたりでぽつぽつ、色んな話をした。それこそ何でも。こんな時にだけれど、恋バナもね、したの。他に話すことが、なくなってしまったから。
「私、生涯の大恋愛の真っ只中なんです。……片想いなんですけれどね」
あの人の隣に立つための努力ならなんでもする。だからこんなところで死ねないの。
「こんなときでも気丈に振る舞えて、震えている誰かを慰められる。そういう私をあの人は好きって言ってくれるんです。あっ、もちろん恐怖に泣いてしまう私だって好きでいてくれる人ですよ! 私は私のままでいていいって受け止めてくださるので。……だから、私はどんな自分にもなれるんです。どんな私の姿で好かれたいか、私の目指す自分像を迷いなく優先できる。ちょっとかっこよくないですか? えへ……」
場違いにも紅潮した頬を、両手を添え隠す。少し緊張がほどけたのか、リアーニァさんの口元が微かに弧を描く。衰弱しかけている彼女はすっかりやつれ、けれど気遣うように優しく手を握ってくれる。本当に気丈で、弱った人に寄り添える優しい人は、リアーニァさんの方だった。
「あなたなら射止められますよ。ジーンさんに恋しない人なんて、いるのかしら?」
「あー……」
ゆっくりと視線を外す。
「えへへ……、ありがとうございます……」
ああ、ちょっと失敗しちゃったなぁ。もうちょっとうまく笑えたはずなのに。
「難しいんですか?」
嫉妬の対象者を脳裏に思い浮かべ、苦笑する。
「ライバルが強敵で。私が言えないようなストレートな口説き文句をさらっと言うんですよ」
「まあ」
「それも考えなしになんです。呆れちゃうほど素なんです! 私がどんなに強くて可愛い女の子を目指しても、支えていくのは自分だからほどほどにって本心から気遣ってくる天然さん!」
「それはとても腹立たしいですわね」
「ですです! とっても腹立たしくって! 私の創作料理も微妙って言うんです。正直……お……美味しくはないかもしれないけど食べられるレベルの普通さはあると自負してるのに……!」
「一緒に食べて次はこうしてみようって一緒に考えるのが楽しいんですよね」
「です~!」
「ふふっ……」
リアーニァさんのやつれた表情が和らぎ、彼女の肩に腕を回す。大丈夫。まだ、私たちは平気。
私は私を信じている。だって、お姉さまの妹だもの。
「……お姉さまのお話をしても、いいでしょうか? あ、もちろんレグルスさんのお話も聞きますよ!」
「……その、話はちょっと……。私のことは置いておいてください……」
「いーえ、聞きます。迎えに来てくれるって、信じていられるでしょう?」
「っ!」
今まで我慢してきただろう涙をぽたぽた落としながら頷くリアーニァさんをぎゅっと抱き寄せ、炎を見上げ、目蓋を閉じる。
「お姉さまは、よく誤解される方なんです」
交友関係は合理に比重をおいていると言ってしまえるほど他人に興味がないわけではなく、興味を抱いたからと言って思いやりなく近付くことは決してない。
自分の感情を蔑ろにすることもないから意地悪でずるいこともたまーに言うけれど、そういう時はお互いさまだったりすることがほとんど。
なのに自分から仲直りしにいけるところがいいよね。好かれるための努力をしてきた人だもの。いい人……いい姉であろうと努めてきた人だもの。
「確かにいたずらっ子なところはあるんですよ? でも、過度ないたずらはしないし、私のこと、大好きだし……」
「とっても仲のいい姉妹ですよね」
「えへっ、そう言っていただけるの、嬉しいです」
仲の良い姉妹。妹として紹介されるんじゃなく、他人始まりだったら絶対違ったのにな。だって、最初から柔軟な感性であれたなら。絶対、ぜーったい、私を選んでくれるよう動いたのに。
なにも知らないまま出会って、なにも知らないまま恋をするの。今ですらこんなに諦められずにいるんだから、知らない盾に守られた私はきっと今よりずっと無敵でいられたはずだった。
――そう。こんな、焼かれて泣くなんて、しない、無敵の……はずだったのに……。
――はず、じゃないでしょジーン・ソロー!
――無敵になりなさい! 今! 頑張って! 頑張れるだけで、いいから……!
両頬を手のひらで叩き、鼻をすすって口角を上げる。無理に明るい声を出し、リアーニァさんの俯きかけの顔を覗き込む。
「……はい、じゃあ次はリアーニァさんの番。レグルスさんの好きなところ三十個聞かせてください」
「さっ!?」
「五十個?」
「十個で……!」
「言い足りなくなったら増やしていいですからね」
「増やしません!」
「あははっ」
それから何時間話しただろう。一寝入りして、話して、休憩して。その繰り返しで、今が何時なのかもわからない中、私たち、かなり、頑張ったんだけれど。
――もう、だめ、かなぁ。
リアーニァさんが気絶して、周りの水は干上がりつつある。暑い。熱い。なのにもう汗すらでない。
意識が、薄れていく。
――も、じゅうぶん、がんばった、よね……?
それは独り言のはずだった。
――ああ、頑張ったな。
返事をしてくれたかのように、私の魔法が、私に戻ってくる。
流れ込んでくる。数年分の、鏡の記憶。
――ああ、あなた、私に負けないくらい、ずうっとお姉さまを見守っていたのね。
――秘密の魔法も秘密を持てるってことだ。……ただいま。
――……おかえり。
別った心がひとつに戻るよう、満ちていく。なのにもう二度と口喧嘩ができないことが、悲しくて。満ちていくほど、寂しさが胸を熱く、痛く、焦がしていく。この胸の熱に比べたら、天井の火なんて大したものじゃない。
耳を澄ませる。天井は未だ燃え尽きることなく炎を宿し、こうこうと音を立て私たちを炙る。けれど。
私はもう、名前を呼んでくれる人が来ることを、知っているから、微笑める。
「ジーン!」
ほら。さっそくよ。
頬にぽたりと涙が落ちる。きっと温かなそれは、けれど火傷ぎみの肌にはとっても冷たく気持ちよくて。
「え、でぃっ、と……おねえ、さま……」
とても重たくなってしまっていた瞼を開く。
そこには焔に照らされる、傷だらけの、美しい人がいて。
――ねえ、あなた。魔法の私。私、美しいひとの涙を見たわ。気丈なひとの、心からの涙。
こんなの、泣いてしまうわ。だってその瞳は私たちに向けられたもの。手の届かないはずだった、想うことすら許されないひとが、私たちをこんなにも愛してくれて、泣いてくれたのよ。
……だから、ふたり分の心が「三回目」と騒ぐ。
――すき。
――すきだなぁ。
一度も涙を拭うことができなかった彼と、今度は一緒に指先で掬う。ずっとずっと触れてみたかった心がようやく、と甘く痛む。
心には払拭できない罪悪感。私はきっと、許せる日の来ない自傷問答をこれからも続けていく。
……けれど、けれど。
場違いにも気が緩んで、微笑み腕を伸ばす。抱きしめた先は、三回目の一目惚れ。私の無事に涙に濡れる微笑みを前に、納得するしかないのだもの。
――ああ、この人が。
――私たちの、生涯の、大恋愛。
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