第144話 宇宙の果てからこんにちは

 それはとある赤色巨星がまとう水素大気圏で生まれた。

 灼熱の水素の中で生じる電磁パルスが一定のパターンを持ち、自己複製を開始する。何億年とそれが繰り返され、複雑な構成へと進化し、自我を持ち知恵を得る。そしてまた数万年を経て、素粒子や電磁気力を直接操る文明が誕生した。彼らが操るものには、地球人類が未発見の粒子が多数含まれる。


 異様に感じるかも知れないが、電磁パルスのパターンを炭素生命におけるDNAに置き換えれば、そう不思議なことではないと理解できるだろう。生命の本質とは複製と増殖だ。物質がそう指向づけられたとき、生命は誕生する。


 赤色巨星は恒星が寿命を迎える最後の段階と言われる。

 文明を得た電磁パルスは天文学も発達させ、自分たちが住まう赤色巨星が恒星の一生における最終段階だと知り、外宇宙及び平行宇宙への進出を試みて種族全体で技術開発を進めるのだが――まあ、その話はこのあたりでやめておこう。あまりにも本筋とは関係がなさすぎるし、歴史の授業のようで退屈だ。


 そして、電磁パルス生命の生態をそのまま描写しても読者には伝わるまい。これからは地球文明の程度に合わせた形に翻訳・・する形で書いていくことをご承知願いたい。


 さて、舞台はとあるオフィス街にある雑居ビルのワンフロア。

 中堅か、それよりやや下のシステム開発会社だ。

 日々、大小様々な案件が元請け会社から降りてくるが、右から左に孫請けに流す……といったことまではできない。そういう会社を想像してほしい。


 無数のパソコンが並ぶ室内には、えた空気が漂っている。

 それもそのはず。あちこちにカップ麺やコンビニ弁当の残骸が転がっており、コバエがたかっているものまである。デスクの下には、ダンボールを敷いていびきをかく無精髭の男たちもいる。


 そんな戦場のような環境で、エナジードリンク(ノンカフェイン、ゼロカロリータイプ)に長いストローを差し、ちゅうちゅう吸いながら猛然とした勢いでキーボードを叩く女がいる。


「むぎゃぁぁぁぁああああああ!!!! 死ねっ! 死ねっ! 死ね死ね死ね!! みんな死んじゃえ!!」


 名前は――イッセンとしよう。

 およそ8年前に元請けから舞い込んできたビッグプロジェクト<汎宇宙保全計画>のチーフエンジニアのひとりである。なお、この職場ではチーフエンジニアが掃いて捨てるほどいる。それっぽい肩書きを与えるとそれだけで離職率が下がると気がついた経営陣が乱発した肩書きなのだが、一応は手当もつくし、もらって気分の悪いものではない。


「おぎゃぁぁぁぁぁあああああ!!!! 境界面破れてるぅぅぅぅうううう!! どこのどいつだよ!! 選択的透過性とかいうクソ仕様をぶち込んできたドマヌケはよぉぉぉおおおお!!」


 イッセンが奇声を発しながらキーボードを叩いているが、気にする者は一人としていない。


 いま目覚めている者は、フケだらけのボサボサの頭で、血走った目の下を隈で真っ黒に染めてそれぞれパソコンに向かっているのだ。奇声などあちこちから日常的に上がるし、窓ガラスを突き破って外に飛び降りていくのも珍しくない。そういう職場戦場なのだ、ここは。


「あぎゃっ!?」


 猛然とキーボードを叩いていたイッセンの指がぴたりと止まる。

 メッセージングアプリのひとつが、赤い通知を点灯させていたからだ。イッセンの心臓がバクバクと脈動し、手のひらは汗で濡れる。ぷるぷると震える手でマウスを動かし、アイコンをクリック。


「いのばっ!?」


 またしても声にならぬ声。

 両の拳を突き上げ、キーボードに全力で叩きつけそうになり、すんでのところで思いとどまる。深呼吸を一回、二回と繰り返し、エナジードリンクをちゅうと一口すすり、ガチャッと乱暴に椅子を押しのけて立ち上がる。


「課長、課長。現場行ってきます」

「はい、おつかれさん」


 イッセンが声をかけても、課長はこちらに視線すら向けない。


 ただひたすらにパソコンに向かって手を動かしている。課長ももう何ヶ月も家に帰っていない。何を話しかけても「はい、おつかれさん」としか言わないゾンビ状態になってから久しい。


 イッセンにしても、いまさらフォローを頼もうとは思えない。悪いのは元請けと、安易に案件を取ってくる営業なのだ。この第三開発部は、営業への憎しみという一心だけで結束しているのだ。


 席を立ったイッセンは更衣室へ――これは比喩表現がすぎてかえって伝わりづらいかもしれない――超次元転送室へ向かう。電磁パルス生命体であるイッセンの意識を、遠く離れたアバターへ転送する設備だ。


 それは外宇宙どころか銀河も、平行宇宙の境界面さえも一瞬で飛び越える。そう、たとえ行き先がクロガネたちが暮らす第二ベータ宇宙、天の川銀河太陽系第三惑星地球であってもだ。


 現地呼称「日本」の防衛省に格納してあるアバターの状態を走査。

 チェックシステムを走らせ、問題がないことオールグリーンを確認。

 カプセル状の装置に入り、手元の携帯端末でスイッチをオンにする。


 超次元転送には危険が伴い、本来ならば一名以上が安全チェックに同席しなければならない。


 だが、そんな余裕はこの職場戦場には存在しない。機械系もかじっていた同僚が、装置外部の転送スイッチに遠隔操作可能なハードウェアデバイスをかぶせ、転送者一人だけでも装置を起動できるように改造している。


 ぶっちゃけ<管理規約>に反する違法行為なのだが、それを咎める者などいない。


 イッセンは目をつぶり、頭頂からつま先までを何度も往復する意識転送用の走査ビームのほのかな温かみを感じる。ぬるめのシャワーを浴びているような感覚。ほんの少しだけ気分が晴れる。そういえば、最後にシャワーを浴びたのはいつだったか……ああっ、そんなことを考えてはいけない。また気分が落ち込んでしまう。


 そう、この仕事の大義について考えよう。


 このプロジェクトは宇宙の連鎖的崩壊の危機を守るためにはじまった。

 観測されているだけでも23の平行宇宙が衝突し、崩壊しかけている真っ最中なのだ。その衝突点こそが、これからイッセンが向かう天の川銀河太陽系第三惑星地球なのである。


 この危機に、イッセンたちのような先進宇宙の存在が立ち上がった。

 平行宇宙間の行き来が可能なレベルに達した超文明たちが手を結んだのだ。


 まず第七イータ宇宙の植物生命体ハイエルフが、概念系世界樹ユグドラシルを急成長させて根を伸ばし、各平行宇宙群を連結、固定。本当なら引き剥がしたいところだが、そこまでは望めない。


 それから第九イオタ宇宙の反物質生命体ハデス第四デルタ宇宙の暗黒物質生命体ミノスが協力し、根の中に空間を作り出した。人間やモンスターを行き来させ、ユグドラシルの根が崩壊しないよう栄養を行き渡らせるためだ。


 すなわち、これがダンジョンの正体である。


 ダンジョンは決して人に害なすものではない。それどころか、人を、世界を、23もの宇宙を守っているのだ。そういう尊い仕事の一端にイッセンたちは取り組んでいる。そう自分に言い聞かせ、完徹三日目の曇った脳に気合を入れる。


 イッセンたち第二十三プサイ宇宙の役割は、ソフト面の整備だ。

 いくらダンジョンを作ったところで、そこで生命素を発散させる知的生命体が存在しなければ意味がない。知的生命体の喜びや怒り、哀しみや楽しみといった感情によって、ユグドラシルの栄養となる生命素が供給されるのである。


 そこで企画されたのが、ダンジョンをアミューズメントにするという発想だ。

 地球で言うところのコンピューターRPGのように、ドキドキワクワクしながら挑戦できる空間をデザインしたのである。


 その過程において、後進宇宙の現地に生息する原始的情報生命体神々や、国家、企業のたぐいには色々と無理な交渉を強いることにはなったのだが――大事の前の小事。喫緊の事態においてコンプライアンスを万全に守ることなど難しい。


 ダンジョンにはモンスターや謎掛けリドルが配され、ダンジョンポイントDPやダンジョンマーケットなど経済的利得を得られる環境を用意した。配信を通じてダンジョン探索に憧れるような仕組みも用意した。情報通信技術が未発達な宇宙に対しては技術提供も実施した。一例を挙げるなら、渡辺綱を名乗る個体が持っていた<写し絵巻>がそれだ。クロガネたちが持つスマートフォンがダンジョン内でも問題なく通信できるのも同じ技術である。


 衝突の観測から72時間(地球時間準拠)という突貫で整備された一連の仕組みソフトだが……当然のことながら、ものすごく無理があった。納得しない原始的情報生命体神々は力ずくで押さえつけたし、政府、企業への根回しも不十分。セキュリティホールもバカスカ空いているという非常に残念な状態でリリースされたのだ。


 地球人類向けに少しわかりやすく例えるなら、ネットに詳しい中学生なら管理画面のログインページにアクセスできるぐらいのガバさだったのだ。


 ここまで思い至ったイッセンは、改めて叫んだ。


「やだやだやだぁぁぁぁああああ!! やっぱ絶対行きたくないぃぃぃいいいい!! こんな仕事、これっきりでやめてやるぅぅぅうううう!!」


 悲痛な叫びを残し、イッセンの身体が消える。

 アポイントの相手は、第二ベータ宇宙に最初に生まれた破界者バグ


 ――アトラス猪之崎である

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