第131話 土蜘蛛退治

 土蜘蛛――それははるか昔、京の都に巣食っていたと云われる妖怪だ。


 源頼光みなもとのよりみつの一行は、ある日、京の空を舞う無数のしゃれこうべを目撃した。それを追うと、魑魅魍魎の集う廃屋に潜んだ土蜘蛛と遭遇し、激闘の末にこれを退治したとされる。この逸話は南北時代に書かれた『土蜘蛛草紙』に記され、現代でも歌舞伎や能の演目となっている。


 その土蜘蛛が、小山のような巨体で二車線道路を塞いでいた。

 飛び降りざまに、醜い老爺を思わせる巨大な顔面を斬りつけたツナだが、刀に伝わる手応えがおかしい。


「いでえよ゛ぉ!!」


 額から浅く血を流した土蜘蛛が、しわがれ声で叫ぶ。

 柱のように太い前足を横薙ぎに振るう。

 ツナはそれを交差した両腕で受ける。


 衝撃。


 ツナの細身が枯れ葉のように吹き飛ばされた。

 そして空中でくるりと回転し、道沿いにあった民家の屋根に着地する。

 己の体重を消し、衝撃を受け流す源次綱流の受け身『朽葉くちば』だ。


「いだがっだぁ!!」


 土蜘蛛が跳ね、ツナを押しつぶさんと頭上から飛びかかってくる。

 巨体に似合わず、ハエトリグモを連想させる俊敏な動き。

 ツナは隣の民家の屋根に跳び、その攻撃をかわす。

 土蜘蛛にのしかかられた民家は、轟音とともに半壊していた。


 横目で地上を見れば、クロガネの軽トラックが走り去っていくところだった。

 荷台ではソラが右手の親指を立ててこちらに突き出している。

 見たことのない仕草だが、激励なのだろうとツナは受け止める。

 迷わず先に向かったあたり、この程度の敵に加勢は無用と考えたということだ。


「ふふっ、その方がありがたい」


 ツナはソラの仕草を真似て、トラックに向けて親指を立てた。

 そしてにやりと笑ってみせる。


 大抵の者は、ツナが女だと知ると過保護になる。もしくは侮る。迷宮探索では誰かと組むこともあるが、女とわかれば無理にかばおうとしたり、戦闘から遠ざけようとするのだ。守ってほしいなどとは、微塵も思ってないのにも関わらず。


 だからこそ、その信頼が心地よい。

 こんなあやかし風情に苦戦などしては物笑いだ。


 早々に片付けて、後を追いたい。ソラに見せられた写し絵巻では、彼らが向かう先はずっと多くのあやかしどもでひしめく死地なのだから。真に加勢が必要なのは、彼らなのだ。


「しかし、これはちと厄介だな」


 ツナは手にした刀をちらりと見やる。

 刀身には半透明の粘ついた糸が絡みついていた。

 土蜘蛛は、全身にその糸を這わせていたのだろう。

 それが斬撃の威力を弱め、正面から斬りつけたにも関わらず浅手しか負わせられなかったのだ。


「ぬぎぃぃぃ! おどなじぐ喰゛われろよ゛ぉ!!」


 しわがれた絶叫を上げて土蜘蛛が地団駄を踏んでいる。

 その身体には、あちこちに瓦や砕けた木材などが張り付いていた。

 暴れているのは、まとわりついた瓦礫を振り払う意味もあるようだ。


 ツナはその様子を見て奥歯をぎりりと噛みしめる。

 そこは民草の住居であると思われた。

 迷宮改方あらためがたの御役目の第一は迷宮の被害から人々を守ることだ。

 そして何より、武士とは、侍とは、民草を守るがゆえに存在するのだ。


 その道理は、たとえ異界であっても変わることはない。


「や゛っどとれたどぉ! こんどはぢゃんと、じっどじでろよ゛ぉ!!」


 瓦礫を振り払った土蜘蛛が、長い後ろ脚を使って立ち上がる。

 尻をこちらに向け、人を刺す蜂のような格好になる。


「ごれ゛で、おどなじぐなれ゛ぇ!!」


 尻の先端にはいぼだらけのこぶがついていた。

 瘤から白い糸が吹き出され、それが網となって夜空にぱっと広がった。

 ツナは隣の屋根へと飛び移る。

 元いた屋根は土蜘蛛の放った網で覆われ、しゅうしゅうと白い煙を上げた。


「おでの糸゛でぇ、溶゛がじで喰゛っでやる゛ぅ!!」


 土蜘蛛が立て続けに網を発射する。

 ツナは屋根々々を飛び回ってそれをかわす。

 いくつもの家が、網に覆われて溶けていく。


「民草の住まいをなんと心得るか!」


 網をかわしながら、ツナは土蜘蛛に向けて<飛燕>を飛ばす。

 石礫いしつぶてが土蜘蛛の眉間に何度も命中するが、効いている様子はない。

 どうやら土蜘蛛の全身を覆う糸は網とは異なり、その強力な粘性で斬撃や衝撃を吸収する効果を持っているようだった。


「おかあさん、どこーっ!?」


 路地のひとつから、小さな人影が飛び出した。

 それはウサギのぬいぐるみを抱えた幼女。

 わんわんと泣きながら。

 避難の途中で、家族とはぐれてしまったのか。


「あ゛でぇ? うまぞうなわらしがおっどぉ」


 土蜘蛛の身体がそちらに向く。

 家々をもたやすく溶かす強酸の網が、幼女に向かって吐き出される。


「いやぁぁぁあああ!!」


 童女の悲鳴。

 絹を裂くような絶叫が、地獄と化した住宅地に響き渡る。

 ツナは咄嗟にそちらに跳び、刀を回転させて網を絡め取る。


「走れ! 振り返らずに逃げろ!」


 網には酸の液体がまとわりついていたらしい。

 雫が飛び散り、ツナの身体のあちこちを焼いていた。

 刀身からも白い煙がもうもうと上がっている。


「あ、ありがとう!」

「礼など無用。早く行け!」

「う、うん!」


 逃げていく幼女を、背中越しにちらりと確かめる。

 代々伝わる愛刀『髭切ひげきり』がぼろぼろになってしまったが、武士の刀とは民草を守るためにあるもの。こういう使い方で失ったのならば、流祖に顔向けもできよう。


「じゃま゛じやがっでぇ!!」


 醜い顔を怒りに歪めた土蜘蛛が、瓦礫を巻き上げながら突っ込んでくる。

 ツナは使い物にならなくなった『髭切』を、絡みついた網ごと脇に捨てる。

 そして<飛燕>を立て続けに発する。


「いじごろなんで、ぎが゛ねぇよ゛!!」


 土蜘蛛は眉間に何発も石礫を受けるが、勢いはまるで衰えない。

 ブロック塀をなぎ倒し、アスファルトを踏み砕いてツナに牙を剥く。


 赤黒い口腔。

 吐き気を催す腐臭。

 喉奥まで幾重にも並ぶ乱杭歯。


 それが、ツナの眼前まで迫る。

 傷ついた蝶に喰らいつくアシダカグモの如く。


 だが、ツナは逃げない。

 右手をゆったりと前に伸ばす。

 腰を落として長く細い息を吐く。


 致命の牙が降りかかる瞬間、全身を伸ばして掌打を放つ。

 その手のひらは、土蜘蛛の眉間に触れていた。

 小山の如き土蜘蛛の巨体の突進が、細腕一本で止められていた。


「ぞんな゛のむだ、むだぁ! おでの糸には、なんにも゛ぎがねえ!!」

「そうだな。確かにあのねばつく糸は厄介だった・・・

「だっだぁ?」


 ツナの言葉が過去形であることに、土蜘蛛は気がつく。

 そして、熱い何かがはらわたからせり上がっていることに気がつく。


「これは滑るものには通じぬ技でな。少々細工をさせてもらった」


 土蜘蛛は、目を寄せて己の額を見ようとする。

 しかし、いくら目に力を入れても己の額など見えようはずもない。


「意味もなくつぶてを投げていたとでも思ったか?」


 ツナの掌打が刺さっていたのは、土蜘蛛の糸ではない。

<飛燕>による無数の投石が糸に張り付き、並んでいた。


「い゛じごろなんがが、どうじでぇ……」

「滑り止めにしたまでよ」


 ツナは土蜘蛛に背を向ける。

 死地に向かった仲間たちに加勢せねばならぬのだ。

 この程度のあやかしにかまっていられる時間などない。


「待゛で……待゛で……ぇぇええ……れれれれれれ……」


 土蜘蛛の口から、青黒い体液が大量に吐き出される。

 そして、小山のような巨体が地響きとともにずうんと沈む。


 ――源次綱流『鐘搗かねつき


芯金しんがね』『焼入やきいれ』『流水』の三つを修めた者だけが放てる源次綱流の奥義がひとつ。梵鐘ぼんしょうを鳴らす橦木しゅもくの如く、防御を貫き衝撃を体内に反響させる鎧通しの技。


 その秘技が、土蜘蛛の臓腑をずたずたに破壊していたのだった。



※梵鐘:お寺さんにあるでっかい鐘のことです。拳法漫画などでは、裸拳で突いて特訓をするためのものとしておなじみのやつですね!実際にやると迷惑だし、絶対拳を痛めるのでよい子は真似しないでください。

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