第130話 源次綱流印地打ち<飛燕>

 浦波町へとつながる国道を軽トラックが走っていく。

 百万を超える人口を擁する仙台市であるが、その全域が真央区のような大都会ではない。面積だけで言えば、むしろ田畑や戸建てが並ぶ住宅街の方が多いのだ。


 道場のある田園風景が続く風景を抜け、住宅地に入っていく。

 浦波町に近づくにつれ、緊急車両のサイレンや、防犯ブザーのけたたましい音があちこちから聞こえはじめる。それはまるで、ひとつの街が丸ごと悲鳴を上げているかのようだった。


「あっ、モンスター!」


 ソラが軽トラックの荷台から夜空を指差す。

 そこには、禿頭の老人の顔をふたつ持ち、ところどころの羽が抜けた醜い怪鳥が飛んでいた。

 怪鳥はソラの視線に気がつくと、ふたつの顔に薄ら笑いを浮かべる。

 そして涎を撒き散らしながら軽トラックめがけて急降下を仕掛けてきた。


「ていっ!」


 しかし、急襲はあえなく失敗する。

 軽トラックの屋根を使い、三角跳びの要領で飛び上がったソラが縦回転のオーバーヘッドキックで撃墜したのだ。ソラはそのまま空中で姿勢を立て直し、止めの二撃目を加えて荷台に降り立つ。


「いやはや、お見事。いまのがるちゃ・・・なる流儀か」

「空中殺法はルチャの華だからね! 寝技ジャベも見せたいけど、いまは無理かなあ」


 ソラの視線の先には、夜空を舞う怪鳥の群れがあった。

 闇に紛れて見えにくいが、十匹以上はいるだろう。屠殺される家畜を連想させる耳障りな奇声とともにトラックを追いかけて飛んできている。


 トラックがカーブするたびに、その距離は徐々に詰まる。

 ついには数匹が一斉に飛びかかってきた。

 ソラが再び空中に舞おうとするのを、ツナが手で制する。


「技を見せてもらったのだ。返礼に源次綱流をお見せしよう」


 ツナが懐に手を入れ、また手を伸ばす。

 怪鳥の頭から潰れ、血と脳漿が飛び散る。

 怪鳥は「んぐぇ」と情けない声を上げて地面に落ちていく。

 二度、三度。同じ動作を繰り返すたび、怪鳥の断末魔が続いた。


「すごっ! 何それ、超能力?」

「ちょうのうりょく……? いや、印地打ちと申してな。要するに、石投げよ」


 ツナが手に持った石を見せる。

 ピンポン玉ほどの、投げるには手頃そうな石だ。

 そして素早く手を振ると、怪鳥がまた一匹落ちた。


「当流では<飛燕>と言うが……少々大げさで恥ずかしいな」

「いや、すごいって! 名前もかっこいいじゃん! どうやるのそれ!?」


 ツナは「ううん」と小さく咳払いをして、一連の動作を見せる。


「まず、手を振るときは弧拳の要領だ」

「弧拳って、手首を曲げて、付け根で殴るやつだよね」


 ツナの動きを真似て、ソラが何度か素振りをする。

 ツナは頷きながらソラに石を渡し、説明を続ける。


「石は指先に引っ掛ける感じでそっと持つ。そして腕を振り、肘が伸び切る刹那に手首から指先も振る。指はまっすぐ、狙ったところに向ける」

「ええっと、こんな感じかな?」


 ソラが腕を振ると、また一匹の怪鳥が落ちた。

 それを見たツナは目を丸くする。


「なんと、これだけで<飛燕>を会得するとは……」

「なんかこう、腕の使い方が猪之崎さんのビンタと似てるんだよね。なんだろ、肩から先を水みたいにイメージして、びゅーんって放る感じ?」


 天才――その二文字がツナの脳裏に浮かぶ。

 ツナが<飛燕>を会得するには、およそ2年の修業を必要とした。

 それをこの少女は、ほんの数回手本を見せ、たった一度説明するだけでやってのけたのだ。先ほどのるちゃ・・・なる体技にも目を見張ったが、この信じがたい吸収力こそが少女の本質なのだと知った気がした。


「そう、まさしく水。<流水>という当流の極意のひとつだ。限界まで脱力し、流れるように体の力をひとつに集中する」


 ツナは再び<飛燕>を放つ。

 今度は腕だけではなく、全身のひねりも加えていた。

 もはや指先は見えず、バチンと空気の弾ける音がする。

 怪鳥は断末魔すら上げず、飛来する石礫いしつぶてに頭を貫通されて地面に落ちた。


「なかなか使う機会はないが、いまのは<飛燕のきわみ>という。音よりも速くつぶてを投げる技だ。まあ、音の速さなど実際のところは分からぬが」

「さっきのバチンって音がソニックブームってことだよね! 鞭の先端が音を立てるやつ! ええっと、足をこうして、体を捻って……」


 見せたばかりの型を、写し絵巻の如く再現する。

 ソラの全身がぎゅるりと回り、伸ばした指先からバチンと乾いた音が立つ。

 そして、また一匹の怪鳥が地面に落ちた。


「なんとまあ……才能が恨めしくなるぞ。あとで目録を渡さねばな」

「えへへ、免許皆伝って感じ?」

「まだ印地打ちしか教えておらぬではないか」


 ソラの言葉に、ツナは感心の混じったため息をつく。

 源次綱流において目録とは七種あり、そのうちのひとつが印字打ちだ。要するに投擲術なのだが、<飛燕のきわみ>が奥義であり、他の技はこれを修めれば必ず出来る。

 これら七種の目録をすべて認可されて免許皆伝になるのだが、さすがにそこまで説明する暇はない。


「ところで、ツナさんはその石をどこで拾ってきたの?」


 ツナから石を受け取りつつ、<飛燕>と<飛燕のきわみ>を繰り返すソラが疑問を口にする。

 数個ならまだしも、ツナの懐からは何個も同じような形、重さの石がいくつも出てくるのだ。


「ああ、こちらでは知られておらぬのか。<石産貝いしうみがい>というものがあってな」


 ツナは懐からつるりとした巻き貝を取り出した。

 大きさはサザエほどで、ピンポン玉ほどの口が開いている。


「この貝はな、同じ大きさの石を産むのだ」


 貝殻をソラの手のひらにかざすと、その穴からぽこんと石が落ちた。

 ソラはそれをつまみ上げてまじまじと見つめる。


「へえー、ダンジョンってホントなんでもありなんだね。質量保存の法則とかガン無視だ」

「その法則は知らぬが、迷宮が不思議に満ちていることには同意だな」


 ツナは巻き貝からまたぽこりと石を吐き出させると、それを握って腕を振る。

 最後の怪鳥が落ち、夜空に浮かぶものは何も見えなくなった。


「ソラ、ツナ、気をつけろ!」


 そのとき、クロガネの野太い怒鳴り声が響いた。

 軽トラックが急ブレーキを踏み、ソラとツナは足を踏ん張って耐える。


 何事かと前方を見る。

 そこには、小山のように大きな何かがいた。


 巨大な頭部はクロガネの背ほどもある。

 ぎょろぎょろと大きなふたつの目。

 毛むくじゃらで、それはどこか猿に似ている。


 でっぷりとした胴体。

 芋虫を思わせるそれは剛毛で覆われている。

 剛毛は黄と黒の二色。虎柄。


 胴体に比べて足は異様に細く、長い。

 ぎざぎざと尖った棘で覆われた短い脚が左右に二対。

 付け根ばかりが太く、先端が細い不格好な脚がさらに二対。


「ちっ、なんだあのバカデカ蜘蛛は。車が通れねえじゃねえか」


 クロガネがドアノブに手をかけ、車内から降りようとする。

 が、それは涼やかな声で制止された。


「待たれよ。クロガネ殿は先を急がれるのであろう? ここは拙者が任された。土蜘蛛退治ならば、この渡辺綱が引き受けた!」


 荷台からツナが飛び出し、巨大な蜘蛛の、猿に似た顔面に抜き打ちで切りつけた。

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