第99話 鹿折ダンジョン 第9層 寝技の応酬

「まずはこれなんでしょ?」


 ソラが両手を掲げる。

 手四つの誘いだ。


「フォークダンスの誘いかな? エスコートなら慣れてるよ」


 猪之崎がその手を掴もうとする。

 その瞬間――


「って、真面目にやるわけないじゃない!」


 猪之崎の手首を掴み、ソラが飛ぶ。

 瞬時に腕に絡みつき、猪之崎がマットに膝を着く。

 観客席から巻き起こる驚きの声。そしてブーイング。


 ――飛びつき腕ひしぎ十字固め


 猪之崎の肘を折ろうと躊躇なく全体重をかける。


「ハハハッ! エクセレンッッ! 見事な不意打ちだ! 君には悪役ヒールの才能があるッッ!」


 しかし、関節の砕ける感触はない。

 捕らえたはずの猪之崎の腕が返っており、ソラの肩を掴んでいる。


「立ち技の次は、寝技のレッスンだなッッ!」


 ソラの身体が引きずられ、猪之崎の下に入る。

 そこからぐるりと反転し、足を取られて畳まれる。

 その寸前に足を引き、反対に足首を掴んでひねる。

 同じ方向に猪之崎の身体が回転し、片足が脇に挟まれる。

 反られる前に身体を折り曲げ、股の下から身体を通す。


 寝技。

 寝技。

 寝技。


 目まぐるしい寝技の攻防。

 2匹の蛇が絡み合う攻防。

 有利不利すら不明の攻防。


 ある瞬間、それが止まる。


「ガール、タップをするなら早めがいいぞ」

「誰が……!」


 ソラをうつ伏せに倒し、上からかける腕がらみ。

 ソラの左腕がぎりぎりと悲鳴を上げる。


「うらぁぁぁあああッッ!!」


 ごきりと鈍い音。

 それと同時にソラの身体が反転。

 猪之崎の顔面に強烈な肘打ちが叩き込まれる。


 一瞬緩んだ拘束を振り払い、ソラが脱出。

 距離をおいて立ち上がるが、その左腕はだらりと垂れている。


「ハハッ! すごいスマイルだ、ガール。自分の関節を外すなんてそうそうできるものじゃない」

「めちゃくちゃ痛いわよ、バーカッ!」

「ああ、肩が外れるのは痛いな。ちなみに、戻すときはもっと痛いぞ?」


 猪之崎の姿が消える。

 違う、消えるはずがない。

 低空タックル。

 迎撃の膝。

 空を切る。

 左腕。

 引かれる。

 振り回される。

 激痛。

 悲鳴。

 ぼごりと鈍い音。

 投げられる。

 ロープ。

 背中に食い込む。

 跳ね返る。

 眼前。

 二の腕。

 喉。

 衝撃。

 天井。

 息。

 血反吐。

 ラリアット。

 衝撃。

 背中。

 天井。

 降りかかる肘。

 エルボースタンプ。

 身をひねる。

 衝撃音。

 ぎりぎりかわした。

 ごろごろ転がる。

 跳ねて立つ。

 視線の先には、満足気に顎をさする男。


「肩の調子はどうだい、ガール?」

「くっ……!」


 奥歯をぎりぎりと噛み締めながら、ソラは左肩を回す。

 ハマっている。

 痛みはあるが、軽い。


「手負いの子鹿バンビをいたぶるのは趣味じゃないからね」


 猪之崎が肩をすくめて笑う。


「そりゃずいぶんとジェントルなことでッッ!」


 ソラがバク転し、トップロープに飛び乗る。

 コーナーではない。

 ロープがもっともしなる、中央部分。


「ジェントルメンなら、レディのダイブは受け止めるよね?」

「これはおしゃまなマドモワゼルだ。未来のお婿さんに立候補してもいいのかな?」

「受け止められたら考えたげる!」


 ソラが宙に飛び立つ。

 前方に一回転。

 両足が鎌の如く振り下ろされる。

 両腿が猪之崎の顔をロックする。

 上体を全力で反らす。

 後方に向けて投げながら、体を入れ替え猪之崎の両足を脇に挟む。


 ――ドラゴン・ラナ


 飛び技の衝撃でバランスを奪い、一気に固め技を極める大技。

 しかし、フォールをするはずが、その回転が止まらない。

 さらにぐるりと半回転。


 半回転。

 半回転。

 半回転。


 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。


 バランスを崩したコマの如く、リング中央でソラの身体が振り回される。


 ――ローリング・クレイドル


 股関節を極めながら、回転しつつ繰り返しマットに叩きつける技。

 ドラゴン・ラナの返しに使われたことなど、史上一度もない大技。


 回転。

 回転。

 回転。


 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。


 不規則な運動と打撃により、ソラの三半規管がかき乱される。

 自分が上を向いているのか、下を向いているのか、それすらもわからなくなる。


 解放。

 足を掴まれる。


 回転。

 回転。

 回転。


 重力の向きが違う。

 縦回転から、横回転。

 それだけはかろうじてわかる。


 ふっと重力が消える。

 浮遊感。


 直進。

 直進。

 直進。


 飛びながら気がつく。

 ジャイアントスイング。

 放り投げられた。

 さっきのクロさんと一緒の展開!


 膝を曲げる。

 ふくらはぎに衝撃。

 ロープ。

 引っかかった。

 背筋を反る。

 ロープ。

 ぐるりと回って隙間をくぐる。

 復帰。

 リング。

 足元。

 弾力。

 マット。

 大丈夫。

 リングアウトはしていない。

 前を見る。

 景色が歪んでいる。

 肌色の何かが近づいてくる。


「ナイススマイルだ! しかし、君も少し休んでなさい」


 鳩尾みぞおち

 衝撃。

 掌底。


 担ぎ上げられ、リングの外に放られる。


 鈍い金属音。

 冷たい感触。

 パイプ椅子。  


 悲鳴。

 歓声。

 絶叫。


 リングアナウンス。


『おおっとー! スカイランナーⅡ世までリングアウトッッ! WKプロレスリングタッグチーム、生ける伝説、<人類史上最強>、アトラス猪之崎の前には一矢報いることすらできずッッ! あえなくここで散ってしまうのかーッッ!?』


 ふざけんな。

 こんなあっさりやられてたまるか。

 まだまだやれる。

 スリーカウントは聞いていない。

 ぐちゃぐちゃに歪んだ視界の中、泳ぐようにソラが立ち上がろうとする。

 だが、立ち上がりかけては倒れ、立ち上がりかけては倒れる。

 そのたびに、パイプ椅子がやかましい騒音を立てる。


『■※▓△※※◯◆ッッ!!』


 ハウリング。

 不協和音。 

 音割れ。


 誰かがマイクで叫んでいる。


『負けませんッッ!!』


 聞こえた。

 聞き取れた。

 はきはきとした女性の声。


『クロガネさんは、ソラさんは、こんな程度じゃ負けませんッッ!!』


 知っている声。

 アカリの声だ。

 応援。

 これは応援だ。

 膝の震えが止まる。


『クハハハハハ! 応援はありがてえが、クロガネの野郎はロートルの相手は退屈だってな。先に帰っちまったぜ』


 別の声。

 野太い、野獣のような声。


 実況席に視線を向ける。

 そこにいるのは、血化粧を施した魔界からの使者。


『楽しそうなことをしてるってんでな、ちょっくら魔界から遊びに来たぜ』


 アカリからマイクを奪い、高らかに宣言するのはクロガネではない。

 魔界商店街の切り込み隊長、デビル・コースケその人であった。

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