第92話 鹿折ダンジョン 第6層 謎掛け②

「も、もう一度申してみよ。我は耳の調子が悪いようだ」

「ハッ! とぼけやがって。アトラス猪之崎だよ、猪之崎。アトラス猪之崎のプロレスがこのなぞなぞの答えだ!」


 自信満々のクロガネに、スフィンクスが思わずたじろぐ。


「ど、どういうことだ? 何をどうしたらそんな答えになる?」

「へっ、理由まで説明しろってか。別に構わねえぜ。ソラ、ちょっと手伝ってくれ」

「はーい、でも何すんの?」

「プロレスだよ。もちろんガチじゃねえ。説明すんのに相手がいた方がいいからな」

「うーん、まあ別にいいけど」


 クロガネがソラを呼び、真横に立たせる。


「いいか、まず猪之崎はな。手四つからはじめるんだ」


 クロガネはソラに向けて両手を伸ばす。

 意図を察したソラが、その手をがっちりと掴む。

 両手を合わせた力比べ――それがプロレスの手四つの形だ。


「猪之崎は手四つで相手の実力ちからを測るんだ。それに合わせて試合を組み立てるためにな。力で押すか、技で攻めるか。一流のレスラーなら手四つだけで互いの実力ちからを読み取れる」

「単純なパワー比べじゃないもんね」


 そう、目の肥えたプロレスファンならば説明するまでもないことだが、手四つとは単純な力比べではないのだ。


 もちろん、そのまま力技でねじ伏せることもあるが、相手の力を利用して投げに転じたり、関節技に持ち込むこともある。頭突きや膝蹴りなどの打撃で不意をつくことだって可能だ。

 手四つはプロレスの起点であり、そこからの変化は無限大なのである。


「つまり、これが朝は四本足ってことだな」

「待て、真剣にわからん。説明しろ」

「ちっ、話が通じねえやつだな。朝は試合開始ってことだろう? それから四本足ってのはマットについた足の数だ。見りゃわかんだろうが」


 クロガネとソラの足はしっかりと地面を踏みしめている。

 たしかに、マットについている足の数は4本だ。


「続けるぞ、次はこれだ」


 クロガネはソラを大きく振って手を離す。

 ソラはそのまま駆けていき、ロープに跳ね返されたようなジェスチャーをしてから駆け戻ってくる。それに合わせ、クロガネの巨体が宙を飛ぶ。両足を揃えたドロップキックだ。


 ソラがもんどり打って倒れるが、もちろん、当ててはいない。

 寸止めのデモンストレーションだ。


「手四つからロープに振ってからのドロップキック。これが足2本ってことだ。マットについてる足は試合相手の2本だけになるからな」

「そ、そうか」


 返事をするスフィンクスの声が震えている。


「で、最後が夕方だったか? それはもう言うまでもねえだろうが、猪之崎の必殺技フィニッシュホールド、卍固めだ」


 クロガネはソラの身体に複雑に身体を絡め、スタンディグの関節技をかける。

 腕、肩、首、背骨を同時に極め、もがけばもがくほど深く決まっていく、一度かかれば脱出手段のない究極の関節技、卍固めである。


「な、なぜそれが3本足なんだ?」

「馬鹿野郎、よく見やがれ。相手の足は両方ともマットについて、俺は片足しかついてないだろ。これでばっちり3本足だろうが」


 卍固めをかけたまま、会心の笑みを浮かべるクロガネ。

 その顔は自身に満ち溢れ、誤答を疑う様子など微塵もなかった。


「あー、その、なんだ。なぜか言いにくいのだが、不正解だ」

「んだとゴラァッ!」

「痛たっ! 痛いってクロさん!」

「あ、すまん。つい力が入った」


 クロガネは卍固めを解いてソラを解放する。

 そして、額に赤黒い血管を浮かべてスフィンクスに詰め寄った。


「どう考えても完璧な正解だろうが! 難癖つけるんならやってやんぞオイコラ! タコオラ!」

「な、難癖ではない。ちゃんと説明するから下がれ」

「んだとォ!」

「さ、下がってください! お願いですから! 説明しますから!」

「ちっ、つまんねえ屁理屈こきやがったら羽むしって丸焼きにしてやっからな」


 猛犬の如き唸り声を上げながら、クロガネが下がる。

 全身から発せられる怒気が辺りの気温を上げてた。


「ごほん。不正解の理由を説明しよう。普通ならこんなことはしないのだが……あ、すみません。すぐ説明しますんで、はい、ちょっと待ってください。お願いですから!」


 凶獣の眼光に射すくめられ、スフィンクスの顔からだらだらと汗が垂れ、羽根がバサバサとはばたいた。


「ええっと、そもそもですね。『その生き物は』って聞いてるんですよね、この問題。プロレスって、生き物じゃないですよね?」

「ンだコラッ! プロレス舐めてんのか!?」

「ひぃっ!? なんで!? ぜんぜん舐めてないですけど!?」


 クロガネにとって、プロレスとは生き物である。

 たとえ脚本アングルがあったとしても、筋書き通りにはなかなか運ばない。お客の反応、互いの調子、その他様々な要因によって目まぐるしく変化する、まさしく生きた物なのだ。


 しかし、スフィンクスには当然そんな理屈はわからない。

 ただただ理不尽に詰められているように感じるだけである。


「ひゃ、百歩譲って、そこを見逃すとしましょう。でもですね、『昼は2本』に無理がありますよね? プロレスって、ずっとドロップキックしてるんですか?」

「ドロップキック以外にも飛び技は色々あんぞ。ボディプレスでも食らってみるか?」

「ひぃっ!? や、やめてください! あ、あの私もプロレスは結構好きでして、時々観てるんですけど、中盤の攻防って寝技とかもありますよね? やっぱり、2本足って言い張るのは、さすがにこじつけなんじゃないかなあ……って、はは」


 スフィンクスの言葉が尻すぼみになっていく。

 最後には愛想笑いまで付け足していた。


 私はここで死ぬんだ……悲壮な覚悟を決め、スフィンクスはぎゅっと目をつむる。

 人間にはほとんど知られていないものの、ダンジョンで死んだモンスターは基本的には復活できる。だが、それでも死は恐ろしいものなのだ。

 とくに、スフィンクスはこんな役回りなのでまだ死んだ経験がないから余計だ。


 しかし、待てど暮らせど最期の瞬間は訪れない。

 恐る恐る目を開けてみると――そこには、ニコニコと満面の笑みを浮かべるクロガネの姿があった。


「なんだお前、プロレスが好きだったのか。それならそうと早く言えよ、水臭えな」


 そう言いながら、肩をバンバン叩いてくる。

 めちゃくちゃ痛いが、我慢して笑顔を浮かべる。


「好きな選手とかいるのか? 知ってるやつならサインもらってきてやるぞ」

「ええっと、すみません。私、一応ギリシャの方の出身なんで、GWFとか、そっちなんですよね。ドイツの団体なんですけど。あっ、でもアトラス猪之崎は知ってますよ。もちろんWKプロレスリングも! この前のピギーヘッドのやつ、何回も録画観てます。デビル・コースケのファイト、すごかったですよね!」


 スフィンクスは早口でまくしたてる。

 なにしろ命がかかっているので必死である。

 だが、すべてが口からでまかせというわけではない。

 彼女は実際にプロレスが好きだし、ピギーヘッドの試合の配信も生で観ていた。


 だが、それゆえにクロガネの実力も知っている。

 こんな浅層でくすぶっている自分など、相手になるはずもないのだ。


「そうかそうか、デビル・コースケのファンか。でもあいつ、いまは魔界に帰っちまってるからなあ」

「そ、そうなんですか。残念です」


 目の前にいるじゃないか、とは口が裂けても言わない。

 クロガネとデビル・コースケは別人。そういう設定ギミックなのである。


「ま、あいつもそのうちこっちに来んだろ。サインはそんときにもらっておいてやるよ。あ、ひょっとしたら直接会いに来ちまうかもな」

「あ、ありがとうございます」


 絶対に来ないでくれ、という本音は絶対に口に出さない。

 いや、出せるわけもない。


「あの、それで、謎掛けの方なんですけど、ふ、不正解ということでご納得は……」

「おう、納得したぜ! そうだよな、2本足ってのは無理があった。寝技の攻防もプロレスの醍醐味だもんな。俺としたことがうっかりしてたぜ」

「す、すみません。ありがとうございます!」


 誤答のゴリ押しを断っただけなのに、なぜ自分がお礼を言っているのだろう……スフィンクスの脳裏をそんな疑問がよぎるが、もちろん口には出さない。

 クロガネが大人しく下がっていくのを見て、スフィンクスは長い溜息をついた。


「クロさん。ファンを怖がらせちゃダメじゃん」

「悪りぃ悪りぃ。まさかそうだとは思わなくてな」

「うん、思ったより性格も悪くないし、ちゃんとお詫びしなくちゃね」

「ああ、デビル・コースケのサインはちゃんと届けるぜ」


 クロガネが親指を立ててにいっと笑う。

 本人は爽やかなつもりらしいが、スフィンクスにしてみれば猛獣に微笑まれたようなものだ。

 頬を引きつらせながら「あ、ありがとうございます」とかすれる声で返すのがやっとだった。


「それじゃ、次はあたしの番だね。クロさんが色々やってる間に本当の正解がわかっちゃったよ」


 クロガネに代わって、今度はソラが一歩前に進み出た。

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