第83話 仙台駅前ダンジョン第10層(裏) 温泉
■仙台駅前ダンジョン第10層(裏) <アイナルアラロ:温泉>
「ぐあー! くっそ疲れた!!」
湯煙にけぶる巨体がそこにはあった。
肌にこびりついたかさぶたをごしごしと洗い流し、短く刈りそろえた黒い短髪をぼりぼりと掻いている。
身長190cm、体重130kg超の巨体、クロガネだ。
その巨漢が温泉に使っている様子はさながらヒグマのようである。
「日本人ってなあ、よっぽど風呂が好きなんだな」
隣で汗をかいているのはリーゼントの男。
浅黒い肌にはびっしりとタトゥーが刻まれている。
ピギーヘッドの王国<アイナルアラロ>の支配者、<カマプアア>だ。
「好きだけど、今日ばっかりは好きで来たわけじゃないよ」
さらにその隣でぷくっと頬を膨らませているのは風祭ソラ。
肩まで伸びたセミロングの髪を温泉に浸して唇を尖らせている。
「ねえ、アカリさん。髪の毛ってポーションで治るものなの?」
「さあ、ちょっと聞いたことがないですね。薄毛の治療に使われるって話はありますが……」
ソラの不満に答えつつ、髪を梳いてやっているのは
ほとんどカメラを手放さない彼女だが、このときばかりはさすがに撮影していない。
その手は熱に焼かれて縮れてしまったソラの髪を湯に浸しながらしごいている。
真っ直ぐ伸ばそうとしているが、なかなか上手く行かないようだ。
「髪の毛って死んだ細胞ですからね。回復系の魔法が通じるのかどうか……」
「えっ、髪の毛って死んでるの? トリートメントで髪に栄養を、とか言うじゃん!?」
「あれはものの例えですね。革のバッグにワックスを塗ってお手入れするのと同じことです」
「えー、何それ。じゃあ、高いシャンプーとか買っても無駄ってこと?」
「無駄とまでは言いませんけど……。宣伝ほどの効果はあまり期待できないんじゃないですか」
ソラの不満の原因は、正木邸の火災によって炙られた髪の毛がちりちりになってしまったことだ。
あのドラゴンモドキの背中でツーブロックのパンク女とやり合っていたら、いつの間にか周りが炎で包まれていた。それからクロガネに消火を手伝うように言われ――そこからはめちゃくちゃだ。
拾ったバケツで池の水をあちこちにぶちまけていたら自衛隊のヘリが来て、消防車や警察もサイレンを鳴らしながらやってきて、気がつけばパンク女もヤクザ男もいなくなっており、「疲れた!」と叫んだクロガネと一緒に半壊した道場へ帰って、そこからは<アイナルアラロ>に直行である。
本来なら事情聴取や現場検証に協力するべきだったのだろうが、ピギーヘッドたちとの興行の晩に早速起きた事件なのだ。いい加減疲れ果てて逃げてきたというわけだ。
ぶっちゃけ、状況は飲み込めていない。
「結局、何だったのアレ?」
「さあな。俺に聞かれてもわかんねえよ。ヤクザやヤンキーどもには散々恨みを買ってるしな」
クロガネに聞いてみるが、やはりわからない。
アカリにも視線を送ってみるが、肩をすくめて首を振るばかりだ。
結局のところ、ヤンキーだかモンスターだかヤクザだかわからない集団に突然襲撃され、おまけにバカでかいドラゴンまで現れたというのがソラたちの認識なのである。
「あの、一応聞きたいんですけど、なんでコースケさんってヤクザやヤンキーに恨まれてるんですか?」
「あー、それはな――」
「あっ、クロさんが言うと色々マイルドになっちゃうから、あたしから説明するね」
アカリが発した当然の疑問にソラが答える。
まず、プロレスの興行というのは地廻りのヤクザが仕切るのが普通だったのだ。血の気の多い人間が集まり、トラブルが起きやすかった時代にはそれが機能していたこともある。地元のヤクザがにらみをきかせることで、無用な揉め事を抑えていたのだ。
しかし、平成、令和の時代においてそんな存在はもはや必要ない。
反対に、興行系ヤクザはみかじめ料を支払わない興行に嫌がらせをし、金を無心する集団に成り果てていた。クロガネはそれを嫌い、その腕っぷしで片端から
そんなわけだから、クロガネからしてみるとヤクザやヤンキー連中からの恨みは掃いて捨てるほどあり、心当たりが多すぎていまさらどれがどうなのかなど見当もつかないのだ。
「なんだか昭和のヤンキー漫画みたいですね……」
「クロさん、昭和生まれだからねー」
「昭和の頃にはまだ物心もついてねえよ」
クロガネは両手で湯をすくい、がしがしと顔を洗う。
あの金バッジに殴られた傷がまだ痛んでいた。あれほど芯に響く打撃を受けたのは、ソラの亡父である風祭鷹司や、アトラス猪之崎との試合以来だ。どちらも練習試合ではあったが、どんな
あのヤクザ者との戦いは、かつて超日のルーキーとして注目を浴びていた頃を彷彿とさせる熱狂をクロガネの中に蘇らせていたのである。
あんな野試合ではなく、リングの上で
そんな想像をして、クロガネはぶるりと身を震わせる。
きっと、見るものすべてを魅了する最高の試合が出来たのではないだろうか。
やつとの闘いは最高に噛み合っていた。
自分の限界を振り切って、背骨を雑巾絞りして、己という存在の最後の一滴まで絞り出せる、そんな試合ができる予感がしていた。
「あー、くそ。馬鹿らしい」
しかし、クロガネはその妄想を払い除ける。
相手は所詮ヤクザだ。まっとうな試合相手として認めてはならない存在。
一瞬浮かんでしまった妄想を、クロガネは恥じる。
だが、その溢れ出る殺気を受け取ってしまった者がいる。
「馬鹿らしいよね、ホントに」
悔しげに唇を歪めるのはソラ。
彼女の脳裏に浮かぶのは、ツーブロックのパンク女。
身長はほとんど変わらなかった。
体重もほとんど一緒だろう。
それが龍の背に乗って飛び、拳を、蹴りを、肘を、膝を、ありとあらゆるものを交わした。
しかし、火事やら何やらのせいで決着は曖昧になってしまった。
全身に刻まれた青痣が、あの激闘の意味を告げている。
彼らの素性はわからない。
だが、ヤクザ者であることは間違いないだろう。
プロレスのリングで彼らと相まみえることは決してない――はずなのだ。
「それにしても、やることが山積みですね。ひとまずは警察や消防、自衛隊への協力。壊れた道場も直さなきゃいけないですし、マスコミ対応も確実に増えるでしょう。ブンヤさんに手伝っていただけたら助かったんですが……そういえば、ブンヤさんってどこに行ったんですかね?」
密かな闘志に燃えていたクロガネとソラに、アカリが冷水を浴びせる。
現実はリングとは異なり、ややこしい問題が山積みだったのだ。
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