第81話 人外の投石は対物ライフルよりも強い

■仙台市真央区 正木邸内


 臥藤蛮はどこまでも続く廊下を歩いていた。


 クロガネを追って大きな屋敷に入ったのだが、途中で見失ってしまったのだ。

 普通の家とは比べ物にならないほど広い上に、分岐や曲がり角がやたらに多い。

 幼少期を山中で過ごしたせいか、屋内では方向感覚をすぐに失ってしまう。

 

 だがこれは、蛮の方向音痴だけが原因ではない。

 正木邸は侵入者に備え、迷路のように入り組んでいるのだ。

 一見のものは迷うように作られている。

 それでも、一度でも来たことがあれば多少は勝手もわかっただろう。


 しかし、臥藤組は甘貸志あまがし会の傘下ではあるものの所詮は新参の外様。実質的なトップである正木邸に直接呼ばれることなどはなく、ここが正木ヒデオの自宅であることにさえ、蛮は気がついていなかった。

 もっとも、それを知っていたところで遠慮などしなかったろうが。


 震動。

 何かが破壊される音。

 天井からはぱらぱらと埃が降ってくる。

 大方、いつの間にか湧いてきたあのオオトカゲが暴れているのだろう。


 いい加減、面倒くさくなってくる。

 クロガネとやらと殴り合うのは面白かった。だが、あのバカでかいトカゲが、やつの家を壊してからは気が削がれてしまった。つい意地になって追いかけて来たものの、甘貸志あまがし会から受けた命令は正木ユウヤの喧嘩に加勢しろという内容だ。


 肝心の金髪のガキはいつの間にかどこかへ消えてしまったし、これ以上付き合う義理はないのではと思えてくる。


 ついでに言えば腹も減ってきた。

 常備しているココアシガレットは破れた上着とともに失くしてしまった。ショコラを連れて、ラーメンでも食って帰った方がいいんじゃないかという気持ちが大きくなってくる。この時間でもやってる店のひとつやふたつはあるだろう。


 うん、そうだ。それでいい。


 そうと決まれば話は早い。

 蛮はその場で飛び上がり、天井の梁にぶら下がる。

 それから逆上がりの要領で天板をぶち破り、天井裏に侵入。

 さらに瓦屋根を突き破って屋根の上に出た。

 山中で迷ったときの鉄則に則り、まずは高いところに出て視界を確保したのだ。


 屋根の上に出た蛮は、辺りを見回す。

 ショコラを探すためだったが――先に目に入ったのはイタチと格闘する蛇のようにのたうち回る、汚らしいオオトカゲの姿だった。

 その巨大な背中でショコラが跳ね回っている。

 一緒に跳ね回っている女がいるが、そちらは特に興味はない。

 蛮は右手を上げ、「帰るぞ」と口に出すが聞こえた様子はない。

 オオトカゲが暴れる騒音で声がかき消されてしまっているのだ。


 どうしたものかと考えていると、視界の端にちょうどよいものが映った。

 一抱えもある石ころ・・・がごろごろと転がっている場所を見つけたのだ。

 そこは正木邸の中庭であり、岩は庭石やこの騒ぎで倒れた石灯籠なのだが、蛮にとってはどうでもいいことだった。

 投げるのにちょうどいい石ころ・・・がある、そういう認識である。


 蛮は屋根から飛び降り、手頃な石ころ・・・を拾い上げる。

 石ころと言っても、それは蛮の基準だ。

 職人が数人がかりでやっと動かす岩を、キャッチボールの如くオーバースローでぶん投げる。


 数十キロの質量を持つそれは、オオトカゲの前足の付け根に命中し、砕け散る。

 痛いのか、オオトカゲの身体が一瞬硬直し、細長い首がびちっと痙攣した。


 それを見て、蛮は満足げに笑みを浮かべる。

 山暮らしの頃は投石での狩りもよく行っていた。ひさびさだったが、衰えてはいなかったらしい。本当なら頭にぶつけて一気に仕留めたいところだが、さすがに動きが激しく狙いづらい。まずは脚を潰して大人しくさせようと目論んだのだ。


 二つ、三つと巨石が夜空をはしる。

 さながら投石機の如く。

 四つ、五つ。

 ほとんど直線的に。


 命中するたび、オオトカゲが身を震わせ、なんとも形容し難い悲鳴を上げる。

 新鋭兵器の一斉射撃でさえ、びくともしなかった異形の竜。

 それが投石という、単純で原始的な暴力によって苦しめられていた。


 さもあらん。

 物体の持つ衝撃力は質量✕速度の二乗で計算できる。


 戦車の装甲をぶち抜く対物ライフルも、弾頭自体はせいぜい50グラム程度。

 一方で、蛮の投げつける岩は60キログラムをくだらない。

 ライフル弾がちょうどマッハ1(時速1225km)、蛮の投げる岩を時速120kmとすると、じつに11倍超の破壊力が秘められている計算となるのだ。


 それに、考えてみれば、せっかくの喧嘩に水を差したのはこのトカゲなのだ。

 とても美味そうには見えない獲物だが、相応の報いは与えねば腹の虫が収まらない。狩りの邪魔をするということは、つまり己が狩られても文句は言えないということなのだ。


 投石の速度が上がる。

 投石のペースが上がる。

 岩が砕け白い煙が上がる。

 鱗が飛び散り苦鳴が上がる。


 ずうんと、大地が揺れる。

 メキメキと建材が折れる轟音が響く。

 耐えきれなくなった竜が膝を折ったのだ。

 巨体が建屋を砕き、瓦が木の葉のように舞い上がる。


 ちょうど手頃な石ころ・・・もなくなった。

 蛮はパキパキと両手の指を鳴らすと、竜に向かって歩み始めた。

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