第11話 後楽園ホール60個分のバズ
見た目からすると、女の年頃は二十代半ばくらいだろうか。
黒縁の眼鏡をかけて、首から一眼レフカメラをぶら下げている。カメラバッグらしきものを肩から提げており、一見してカメラマンのような身なりをしていた。
「あの、いきなりお声掛けしてすみません。どうしてもお礼が言いたくて!」
「お、おう。なんだかわからねえが、いまはちょっとな……」
困惑したクロガネはぼりぼりと頭をかこうとし、手を止めた。
デビル・コースケの髪は、ワックスとハードスプレーを大量に使って逆立てているのだ。下手に触ると手がべたべたになってしまう。
「あっ、デビルが逃げる!」
「おっかけろ!」
「ササカマー! トドメだー!」
こっそり退散するつもりが、引き止められている隙に
「フワーハハハ! 悪は決して滅びぬ! 貴様ら人間の心に闇がある限りな!!」
ひとまず咄嗟のアドリブで間をとる。
マントを翻し、バク転を2回。
演出担当に目配せし、大量のスモークを炊かせる。
その白煙に身を隠し、控室へ移動した。
控室といえば聞こえがいいが、実際は個人スーパーのバックヤードだ。
広場に隣接しており、更衣室も備えていることからイベントの際は控室代わりに借りているのだった。
「ふー、危ない危ない。段取りがめちゃくちゃになるところだった」
長い経験でハプニングには慣れているが、あのまま第二ラウンドをはじめても盛り上がる目算がない。だらだら引き伸ばしている印象を与えてしまうだけだろう。
そもそも、イベントの目的は商店街を活気づけることなのだ。
イベンターが出しゃばりすぎてよいことなど何もない。
「それにしても今日は暑かったな。喉がカラカラだぜ」
「はい、こちらをどうぞ。麦茶です。よく冷えてますよ」
「お、さんきゅー。それは気が利いてるな……って、おい」
水筒の蓋に麦茶を注いで差し出してきたのは、さきほどの眼鏡女だった。
「あー、ここは関係者以外立ち入り禁止なんだ。すまねえが出て行ってくれるか? 麦茶、ありがとうな」
麦茶を一息に飲み干し、コップ代わりの蓋を返す。
冷たい対応かもしれないが、ここは借り物の場所なのだ。
部外者を勝手に入れるわけにはいかない。
「すみません。どうしてもお礼が言いたくて……」
「お礼ねえ」
そう言われても、クロガネには心当たりが何もない。
ひょっとしたら「試合を見て勇気をもらった」とかそういうファンだろうか。
その可能性に思い当たり、あまり冷たい対応はよくないなと思い直した。
「中はマズイが、外ならいいだろ。こっちへ来てくれ」
「はいっ!」
眼鏡女の表情が明るくなる。
クロガネは控室を出て、スーパーの裏手に出た。
簡単な柵で囲まれたそこは、従業員向けの喫煙所だ。
常連客が利用していることもあるし、ここならば問題ないだろう。
「こんなところですまねえな、場所借りしてる身としちゃ、勝手はできねえんだ」
「こちらこそ急に押しかけたみたいでごめんなさい」
眼鏡女は小柄な身体をさらに小さくして頭を下げる。
押しかけたみたいではなく、押しかけそのものなんだがとクロガネは思ったが、さすがに口には出さない。
「それで、お礼ってのは何のことだい? 悪りぃんだが、ちょっと心当たりがなくってな」
「そうですよね。私、すぐ逃げちゃったし。仙台駅前ダンジョンで、<
「ああ、あのときのお嬢ちゃんか」
クロガネは未だに<
「それで、お礼を言いたくて探してたんですけど、有名なプロレスラーの方だとわかって、今日はイベントでこの商店街に来るとネットで見て、それでやっとお会いできて、なんかテンパっちゃって」
女は堰を切ったように一気に喋った。
あれくらいのことでわざわざ探し歩いてくれたとは、なかなか義理堅いようだ。
そして何より、
「それで、次はいつアタックするんですか? 最初は入場口で探してたんですけど、ぜんぜんいらっしゃらないから、どうされたのかなと思って」
アタック? 何の話だ?
クロガネは首を傾げた。
「試合なら再来週の土曜が一番近いが……。あ、チケットが欲しいのか? せっかくだからプレゼントするぜ」
「そ、そうじゃないんです! ダンジョン配信、次はいつされるのかなと思って!」
プロレスの話ではなかったとわかり、クロガネは少し肩を落とした。
しかし、次のダンジョン配信とはどういうことだろうか。
先日のダンジョン探索は下見で、ソラは配信をしていなかったはずだ。
「あー、ひょっとして誰かと間違えてねえか? 確かにダンジョンにゃ行ってみたが、まだ配信はしたことねえぞ」
「えっ、まさかそんな……」
女は眼鏡の中の瞳を丸くした。
バッグからスマートフォンを取り出し、何やら操作をはじめる。
そして、画面をクロガネの方に向けて言った。
「いえ、やっぱり間違いないですよ! これ、コースケさんですよね!」
「ううん? 確かに俺だな……」
そこには、猪頭と闘うクロガネの姿が確かに映っていたのだ。
「撮ってなかったんだけどなあ。なんで動画があるんだ?」
「気づいてなかったんですか!? カメラドローンですよ! ほら、投稿者が公式になってます!」
女が指差したところには『【公式】ダンジョンチューブ運営』という表示がある。
そして、その下には何やら大きな桁の数字があった。
クロガネは目を何度もこすり、それから声を震わせて尋ねる。
「な、なあ、この12万再生ってのは、12万人が見た……ってことであってんのか?」
「厳密には違いますけど、ほぼそういうことですね。ほら、コメントもすごい盛り上がってますよ!」
「12万……12万っつったら、後楽園ホール60個分だぞ!? マジか! そんなに見てくれたのか!! いよっしゃぁぁぁあああ!! ついにプロレスの時代がきた!! イエスイエスイエスイエスイエスッッ!!」
「えっ、ちょっ、急にどうしたんですか!?」
唐突に絶叫し、ガッツポーズを繰り返すクロガネに、女の目が点になった。
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