第35話 鎖を切る時

「ラット様・・・どうしてここに・・・」

ジェフリーが呆然と立ち尽くす中、ラットがヅカヅカと夫人に歩み寄る。

「お前達、母を馬車に連れて行け」

ラットの言葉に夫人は訳がわからないという表情で、ラットの名を呼ぶ。

「どういう事なの!?」

「母上、これから邸宅に戻り荷造りをしてもらいます」

「荷造り?」

「今回の事で父上は当主の座を私に明け渡し、隠居するとおしゃってます。すでに手続きは済んでいて、明日にでも陛下より承認の文書が届くはずです」

「なんですって・・・?」

「うちの家紋を立て直すには、これしか方法がないのです。何度も事業を失敗した父上の名では誰も手を貸してはくれないのです。ですから、早急に私に引き継ぐ必要がありました。そして、母上は父上と別荘で隠居生活をしてもらいます。父上からは全て私に任せると了承をいただいています」

ラットの説明の間にも、夫人は呆然とした表情で顔を曇らせていく。

そして、嫌がる夫人を護衛達が馬車へと連れていく。

その様子を見た祖母が夫人へと歩み寄る。

「伯爵夫人、お久しぶりです。アンナの母です」

「あなた・・・」

「ラット卿から、これ以上ジェフリーに関わらないと書面を頂きました。ですので、夫人も約束を守って頂きたいです」

「なんですって・・・?」

「あなた方はアンナを、娘を苦しめ死に至らしめました。そして、その息子であるジェフリーまでも長年苦しめた。あなた方が憎くないと言えば嘘になりますが、私はラット卿を信じます。ですので、これ以上ジェフリーを苦しめるのであれば、没落した貴族とは言え、どんな手を使ってでもあなた方を苦しめる覚悟はできています。守るべき家族を命に変えても守る・・それが亡くなった主人の信念でした。領地民もまた家族、それを守り切った主人を私は誇りに思っています。

その主人の信念は私達家族にも根付いています。ですから、ジェフリーは私達家族が命を懸けてでも守り抜いて見せます。夫人もそれをお心にお留めくださいませ」

祖母は毅然とした態度で夫人にそう言い終えると、深々とお辞儀をした。

夫人は悔しそうな表情を浮かべ、馬車へと乗り込んでいく。

ラットはジェフリーにすまなかったと深々と頭を下げ、早々にその場を去っていった。その後ろ姿を見ながら、ジェフリーもまた深々と頭を下げた。


「お祖母様、どうしてここに・・?」

ジェフリーの問いに、祖母は優しく微笑み、ラットから連絡をもらったと話し始めた。

前夜、邸宅に知らせが入って夫人がジェフリーに会いに行く事を聞いた。

直接ジェフリーに連絡する予定が、思ったより宿を探すのに手間がかかり、行き違いになったそうだ。

「ラット様は、良い方だったのね」

祖母の呟きに、ジェフリーは笑みを浮かべ、そうですねと答えた。


「朝から人の家の前で騒がしいわね」

聞き覚えのある声に、ジェフリーが慌てて視線を向けると、あの婦人が門に立っていた。

すぐさま駆け寄り、自分を覚えているかと尋ねると、一度だけチラリと視線を向けた後、家に入りなさいと言葉を残し、自宅へ入っていった。

その後をジェフリー達が付いていく。

家の中は、朝だと言うのにカーテンが閉め切っていて、薄暗い雰囲気だった。

リビングに案内され、ジェフリー達が椅子に座るな否や、婦人も向かいに座り口を開いた。

「あの子は帰ったんだね」

その言葉にジェフリーは息を呑む。

「元々ここにいてはいけない存在だったんだ。これで良かったんだよ」

「しかしっ!あの時婦人は私に悪縁を切れば状況が変わると・・・」

「変わっただろう?あの子は人の姿を取り戻し、あの子の望み通りお前には家族ができた。それは、あの子の一番の願いだったんだ。あの子は薄々気づいていたはずだ。自分が何者か、そしてお前が泣いていた小さな子供だという事に・・・」

「そんな・・・」

「もう知っているかと思うが、お前達は不思議な縁で結ばれている。あの子がここに来たのも必然だった。何故なら、あの子は昔から本当に心底お前の幸せを願っていたからだ。ただ、縁はあったが合間れない関係でもあった。住む世界が違うからだ。

お前達が友情以上に心を通わせたのは、私も予想外だったがな」

婦人はため息を吐きながら、ソファーへと背中を傾ける。

ジェフリー達は、無言のまま婦人を見つめた。

「悪縁を切る・・・ただ、屋敷を出るだけではなかった。逃げる形ではなくきちんと断ち切るべきだった。その結果が今日の出来事だ。だが、それも今日で断ち切る事ができただろう」

「では・・・・」

ジェフリーが期待を込めるように、愛眼の眼差しを向ける。だが、婦人はジェフリーを睨みつけながら口を開いた。

「お前はもう一つ、断ち切る覚悟を持たないといけない」

「私にはもう悪縁はありません」

「悪縁ではない。家族としての縁だ。あの子がこちらに来る事はもうない。だが、お前があちらに行く事は不可能ではない。ただ、やっと得た家族、あの子が繋いでくれた安らぎと幸せ、それを全て断ち切る覚悟はあるか?そして、あちらへいったとしてもすぐに会える保証はない。右も左もわからぬ場所で、また孤独が待ち構えてるかもしれない。それを全て覚悟する事はできるのか?」

婦人の言葉に、ラグナ達がジェフリーを見つめる。

ジェフリーは婦人を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。

「私の幸せはジュンと共にある。家族には申し訳ないが、それでも私はジュンに会いたい。ジュンの側で共に生き続けたい」

淀む事ない声で、ジェフリーは力強くそう答えた。

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