第32話 繋がる過去

食事の後、心地良い風に誘われるかのように、ジェフリーは少し散歩してくるとみんなの元を離れた。

静かに波打つ湖を見つめていると、ふと遠い昔の記憶が頭を掠め、足が自然に動く。

草原に入って、左手側に湖、右手側は母やジュンが薬草などを探していた草原、その中間にあった木の根元・・・・幼いジェフリーはそこに座って母を待っていた。

そして、不思議な声を聞いた。

恐らくそれはジュンで、来る度に不思議とその声は聞こえていた。

そして、その場所でジュンらしき姿を一度だけ見た事があった。

母が病に伏せて数日が経った頃だった。

お腹が空いて1人でこの草原に来た。木の実を拾って口にしながら、これからの事が不安で泣いていた時だった。

「泣いているの?」

突然聞こえたその声に振り向くと、揺らいだ人の形をした透明な少年の姿が目に止まり、その表情は心配そうにジェフリーを見つめていた。

怖くはなかった。

1人で母を待つジェフリーにとって、その声はとても安心ができ、心地良い物だったからだ。

「お母さんが病気なの・・・」

幼いジェフリーは涙ながらにそう答えると、その揺らいだ姿の少年はジェフリーを優しく包み込んだ。

「泣かないで・・・僕がここにいるから・・・寂しくないよ」

そう優しく声をかけ、背中をポンポンと叩いてくれた。

どうしてその事を忘れていたのか不思議に思う程、ジェフリーの中で鮮明に思い出される。

そして、一本の木の前で足を止めた。


「こんなに大きくなっていたのか・・・気付かないはずだ・・・」

あの頃は、そんなに見上げなかった木は、随分と太く背が伸び、ジェフリーはその木を見上げていた。

懐かしむ様に木を撫で、その根元に腰を下ろし、もたれかかる。

あの出来事があってから、すぐに母の容態が悪化した。

母が心配でここに来る事ができず、食べ物は近くの店の残飯を漁っていた。

数日後には母は息を引き取り、ジェフリーは悲しむ間も無く、伯爵家へ連れて行かれた。

そっと目を閉じ、過去の出来事を振り返る。

もし、あのままここに通い続けていたら、もっとジュンの声が聞けて、今のこの状況も変わっていたのかもしれない。そんな後悔が押し寄せ、ジェフリーは眉をギュッと寄せる。


(ジェフリーさん・・・・)

心地よく吹く風に混じって、微かにジュンの声が聞こえた気がして、ジェフリーは目を開け、慌ただしく辺りを見回す。

それでもやはりジュンの姿はなく、気のせいかと小さくため息を吐く。

(ジェフリーさん・・・・聞こえますか?)

その瞬間、気のせいではない事に気付き、持たれていた木を見つめる。

「ジュン・・・・ジュンなのか?」

震える声でそう尋ねると、木の方からまたジェフリーの名を呼ぶ声が聞こえた。

ジェフリーは目を潤ませながら木を撫で、ジュンの名を呼ぶ。

(聞こえているといいな・・・・ジェフリーさん、僕は無事に帰ってきました。そして目を覚ました時、はっきりと思い出したんです。小さい頃、ジェフリーさんの声が聞こえていた事を・・・)

懐かしい声で語り始めるその声に、ジェフリーはじっと静かに耳を傾ける。

(ジェフリーさん、僕、小さい頃に大好きだった絵本があったんです。毎日その絵本を片時も離さず持ち歩いて、暇さえあれば読んでいました。その絵本を久しぶりに見つけたんです)

「絵本・・・・?」

ジュンの声にジェフリーが目を丸める。

(その絵本は、戦いに疲れて感情を失った騎士が、一匹のうさぎに出会うんです。

うさぎは騎士の事を可哀想に思って、一緒に感情を取り戻す旅に出かけるんです。

その旅の中で騎士は色んな感情を取り戻していって、うさぎと騎士は強い絆で結ばれた友達になるんです。でも、うさぎは人間より寿命が短い。

うさぎが寿命を終える時、騎士に約束させるんです。

一緒に旅をして、一番楽しかった街に戻って幸せを掴んで欲しいと。感情を取り戻した今の騎士なら必ず幸せになれるはずだから、決して1人でいないでと約束させるんです)

その物語を聞いて、ジェフリーの目から涙が溢れる。

(きっとジェフリーさんの世界は、この絵本の世界だったのかもしれないです。

僕は、絵本に描かれていた騎士が大好きでした。

絵本の最後に騎士はとある街に戻って、ある女性と出会って幸せな家庭を築いて終わるんですが、街に戻るまでの間、女性と出会うまでの間、騎士はずっと1人だった。感情を取り戻したからこそ、その1人だった時間がとても寂しかったんじゃ無いかと思ってました。それが僕は悲しかった。だから、僕はうさぎになりたかった。

騎士を置いていく運命なら、先に騎士が1人にならなくて済むようにしてあげたかった。幸せを見届けたかった。だから、僕はうさぎになってジェフリーさんに会いに行ったんだと思います。

そして、ジェフリーさんの幸せを見届けた・・・・でも、でも、ジェフリーさん、僕はジェフリーさんを幸せにするのは僕でありたかった。見届けるのではなく、隣でジェフリーさんの幸せな笑顔を見ていたかった・・・ジェフリーさん、僕、ジェフリーさんに会いたいです・・・」

涙声でそう呟くジュンに、ジェフリーは何度もジュンの名前を呼ぶ。

届けと願いながら、何度もジュンの名前を呼び続けた。

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