第22話 旅立ち

「ジェフリーさん、お母様の故郷に行きましょう」

テーブルの上で自分の身支度を済ませたジュンが、突然言葉を漏らす。

「聞いていたのか・・・」

ジェフリーはジュンを抱えると、膝に置き頭を撫でる。

「声が聞こえて・・・ごめんなさい」

「謝ることはない。私も突然の訪問には驚いたが、最後にラット様の気持ちが聞けて良かったと思っている。・・・実を言うと、ラット様には憎いとかの感情はなくて、ただ部屋に篭っている事が多かったからか、かわいそうな人だと思っていた。

それに、身代わりとは言え学ぶ機会を与えられた事に罪悪感もあった。本来ならそれは全てラット様の為にある物だったから・・・だが、味方がいないと思っていたこの屋敷で、1人でも・・・ラット様が私の身を案じてくれた事に、心が救われた。ありがたい事だ」

ジュンの頭を何度も撫でながら、ジェフリーはほんの少し笑みを浮かべる。

その笑顔を見たジュンは良かったですねと微笑み返した。


見慣れた部屋を見渡し、ドアを閉める。

少しひんやりとした廊下は人気がない。

朝食の準備なのか、遠くに人の声がするが今まで誰かに声をかけてもらった事はない。だから、こうしてジェフリーが出て行く事に誰も気付かないだろう。

昔はそれが寂しかったが、今は気付かないでいてくれる事に感謝をする。

ギィーッと音を立てる扉を開け外に出ると、もう日が差し始めていた。

門へと向かい、小さく開けるとその隙間に体を滑らせる。

カシャンと音をたて閉めた柵を握りしめて邸宅を見上げる。

大きな表玄関からは一度も入った事がなかった。

人目を避ける為に、ジェフリーに許可された出入り口は使用人達と同じ裏口だ。

その玄関を見つめた後、邸宅全体を見渡す。

すると一つの窓辺に人影が見えた。

ジェフリーは深々とその人影に頭を下げると、今度は躊躇わずに背を向け歩き出した。

ジュンが鞄からひょこりと顔を出すと、ジェフリーを見上げながら小さな声で言葉をかける。

「ジェフリーさん、お疲れ様でした。長い間、よく頑張りましたね」

優しく労うように声をかけるジュンに、ジェフリーは微笑みありがとうと答えた。


ジェフリーの母親の故郷までは三日ほど時間を要した。

長い時間乗り合い馬車に揺られ、日が暮れると近い街で宿を借りる。

途中、乗り合い馬車は無くなり、二日目は小さな町でラットからのお金を使い馬を一頭買った。

馬に乗る事にジュンはとても怖がっていたが、それもすぐに慣れ、風が気持ちいと喜んでいた。急ぐ旅でもなかったから、その日の夜は野宿した。

ラグだけを敷いて、寄り添うように横たわる。

近くに焚いた焚き火の音だけが響く静かな森・・・それでも少し開けていたからか、空に浮かぶ満天の星にジュンはとてもはしゃいでいた。

それを嬉しそうに、心から愛おしそうに見つめるジェフリー。

そのうち、ジュンの体が人の形を彩ると、ジュンは少しだけ寂しそうに微笑みながらジェフリーに抱きつく。

王都を出た頃から、ジュンの体は不定期に人の形を成しては、突然元に戻るという事を繰り返していた。

それが何を意味するのか、心当たりがないわけではない。

だが、不安よりも互いにぬくもりを感じ取れる事だけを優先にした。

何も言わず抱きしめ合い、見つめ合い、時折キスをする。

その時間だけが、2人の心を温めた。

幸せに満ちた心地よい温もりだった。

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