第八夜

 あれから、毎日、ヨウをモデルに絵を描いている。

 下描きの段階では上手く出来たと思ったのだが、いざ色を塗り始めると、何かが足りない気がした。


「休憩にしようか」


 私が告げると、ヨウは振り向いて立ち上がる。


「じゃあ、シャワー浴びて来る」

「分かった」


 私は絵の事を考えたが、どうして上手くいかないのか分からなかった。

 描けば描くほど、これではないと言う気持ちが強くなる。

 私は、人物画を描くのは初めてだったから、その所為なのかも知れない。

 そう結論付けると、ベッドに腰かけて、気分転換にと、気紛れに普段は見ないテレビをつけてみた。

 しかし、チャンネルを変えてみても、代わり映えのしない番組ばかりで、興味をそそられるものはない。

 私が面白くないと、テレビの電源を切ろうとした時、ある名前が耳に飛び込んで来た。


――天音あまね


 私は、慌てて、テレビを食い入るように見る。


――天音透あまねとおる、四十二歳が、包丁で刺され死亡。


「天音」と言う名字は、それ程あるものではないだろう。

 ならば、この「天音透」こそが、ヨウが殺したと言う父親なのではないか。


 私がテレビを見つめていると、後ろからリモコンを奪われた。


「ヨウ君?」


 私が何か言うよりも早く、ヨウが口を開いた。


「僕が殺したんだ」


 ヨウはそう言ってテレビの電源を切った。


「ちゃんと死んでたんだ……」


 その後、小さな声で「良かった」と続けた。


「これって……。本当に……殺して……?」

「そう言ったじゃない」


 動揺する私に、ヨウは当たり前の事のように告げる。


「僕が殺したんだ」

「どうして……」


 私は、ヨウが殺している可能性も考えていた筈なのに、動揺して頭が回らなくなった。

 だから、深入りしないようにと考えていたのに、つい口をついて、ヨウの内面に踏み込むような質問をしてしまった。


「聞きたい?」

「嫌……」


 断わろうとした私の声に、ヨウが被せて来た。


「聞いてよ」


 その声があまりに寂しそうで、私には、ヨウが告げた言葉を拒否する事が出来なかった。

 私が何も答えられないでいると、ヨウは小さな声で礼を言ってから告白を始めた。


だまされたんだ」


 ヨウはそう言って、私の隣に腰を下ろした。


「お母さんが死んだ事を隠していたのが、許せなかったんだ」

「それだけで……?」


 私には、ヨウがそんな理由で、人を殺すとは思えなかった。


「そう。馬鹿だと思うでしょ? でも、僕には大切な事だったんだ」


 ヨウのほほを涙が伝った。

 私は、その言葉の中には、伝えきれない「何か」が隠されているように思えた。


「全部、話してくれないか?」


 私はそう言って、ヨウの肩を抱いた。

 すると、ヨウは私の肩に頭を預けて、ゆっくりと話し始めた。


 その話はこうだ。


 ヨウの母親は難病で、治療の為に多額の治療費が必要だったらしい。

 しかし、ヨウの父親はごく普通のサラリーマンで、年収が低い訳ではないが、それ程の額をもらっている訳ではなかった。

 このままでは、母親の治療をする事が出来ない。

 そう思った父親は、どうすれば金が稼げるかを真剣に考えたのだろう。

 その時に、小児売春が検索にヒットしたのかも知れない。

 父親はあろう事か、自分の息子に売春をさせて、その金を母親の治療費に充てようと考えたのだ。

 ヨウは父親の提案を受け容れて、体を売る事になった。


「そんな事、別につらくなんてなかったんだ」


 ヨウは母親の為に父親の言う事を聞いていたが、いつからか母親に会わせてもらえなくなった。

 けれども、容態が悪くて面会謝絶で会えないのだと言われれば、それを信じる他ない。

 それから何年経っても、父親は「面会謝絶」と繰り返すばかりだったと言う。


「思えば、あの頃からおかしかったんだ」


 父親は、いつしか仕事を辞め、ヨウの稼いだ金を使って酒浸りの日々を送るようになった。

 その頃から、父親のヨウへの性的虐待も始まった。

 しかし、ヨウにとって、それは大した問題ではなかったのだと言う。

 つらかったのは、そんな事ではなく、母親に会えないという事だけだった。


「ただ、お母さんに元気になって欲しかったんだ」


 ヨウは、手の甲で涙をぬぐって、また続けた。


 そんなある日、ヨウは父親が客と話しているのを聞いた。

 その時、父親が言ったらしい。


「あれは金の成る木だな。母親の為

ためと言えば、いくらでも男に股を開く。母親が死んだとも知らずにバカな奴だ」


 そして、ヨウは初めて、母親が死んでいた事を知った。

 客が帰った後、ヨウが父親を問い詰めると、葬式も何もかも、何年も前に終わっていると知らされた。

 ヨウは、いつ母親が死んだのかも知らなければ、葬儀に出る事もなく、墓が何処どこにあるかさえ知らなかった。


「お母さんの事、大好きだったんだ。だから、何でも出来たのに……」


 そう言って、ヨウは鼻をすすった。


 ヨウは、全てを知って、父親を殺して自分も死のうと思ったらしい。

 そこで、台所にある包丁を持ち出し、油断している父親を後ろから刺した。

 包丁を引き抜くと大量の血が流れて、ヨウは怖くなってしまった。

 その場に包丁を捨てると、そのまま家を飛び出した。

 しばらく走っていたが、少し落ち着いて来ると、ヨウはやはり生きていてはいけない気がして、ゆっくり歩きながら、どうやって死のうか考えていたそうだ。

 その時、丁度そこに私が通りかかったのだ。


「初めは死のうと思っていたから、何処かに行って欲しくて、あんな態度を取ったんだ。でも、笹川ささがわさんは、それでも声をかけてくれたから……」


 そこで、私の中で全てが繋がった。


「生きたいって思っちゃいけないのかな?」


 私は、すすり泣くヨウの肩を慰めるように引き寄せた。


「悪くないさ。生きたいなら、生きればいい」

「笹川さん」


 私は、ヨウに誘われるように、唇に触れるだけの口付けをした。

 そのまま堕ちそうになる気持ちを抑えて、それ以上は何もせず、ただ、ヨウと一緒に眠った。


 次の朝、私が目覚めると、ヨウは隣にいなかった。


「ヨウ君。何処だ?」


 料理でもしているのだろうとリビングに行くが、ヨウの姿はない。

 ただ、作業机の上に置き手紙があって、幼さの残る字で「ケイサツにいきます」とだけ書いてあった。

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