第3話 鋭利な心
「イリナ、やめなさい」
何を、とは言わないが、見ていられなくなった長老がついにイリナを止めようとする。しかしその声は、咎める、というには随分と優しかった。
どこか気遣うような、同情的な、できれば止めたくないような、そんな声色。
先ほどまでの飄々とした態度とは異なる、老人の声の変わりように少年は気を取られた。
「あれ、でも勇者様ならすっごい仲間とかはいないの?ほら、どんな怪我でも直しちゃうような魔法使いとか」
長老の言葉を無視し、なおもイリナは近づく。
さすがに彼女の様子に違和感を覚えたのか、少年はイリナの方を振り返ろうとした。
「あ、こっちを見ないでね、恥ずかしいから。前からだと近づくと見えちゃうかもしれなくて、その、お胸がねっ」
きゃっ、と言わんばかりに恥じらうそぶりを出しつつ、イリナは勇者が振り向かないように先手を打つ。
少女は勇者まであと三歩のところまで迫っていた。
少年はなぜか一度深呼吸をした。そして、心なしかゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いや、確かに、昔にはいたけれども、今は、一人だよ。仲間は、いない」
「まぁ、なんてひどい。」
あと二歩。
「ひどいのは僕の方さ。自分から一人になったんだ」
少年の意識が少し、ここでないどこかに向いた。
「喧嘩でもしたの?きっと勇者様は悪くないわ」
あと一歩。
「喧嘩はしたよ。それに言ってることも彼らが正しかった」
「じゃあ、どうして一人になったの?」
そう言いながらイリナは静かにナイフを前に持ち替えた。あとは目の前の背の真ん中より少し左側に、突き刺すだけだ。あたりをつけて、一気に―――
その時、風が静かにイリナの肩をなでた。
「生きていてほしかったんだ。大切な人たちだったから」
「っ!」
瞬間。イリナは動けなかった。
『生きていてほしいんだ、イリナには』
寂しさと、優しさと、少しの後悔と、それでいて確かな決意を感じさせる少年の言葉に、どこか懐かしさを感じてしまったから。
イリナは魔法にでもかけられたかのように、ナイフを構えたまま立ち尽くした。
いつまでそうしていたか、急にイリナとの会話がなくなり、少年はゆっくり振り向こうとする。
イリナは勇者に気づかれないように、慌ててナイフをポケットに押しこんだ。
振り返った少年とは、目を合わせられなかった。
「あっ、あはは、急いで来たから途中で全部落としてきちゃったみたい。ごめんなさい。わたしってほんとドジだね、ははは……」
「そっか、でも気持ちだけでもうれしかったよ、ありがとうね」
ついぞイリナの敵意には気づかなかったのか、少年は静かにほほ笑む。
「……」
イリナはそれ以降何も言えずただ後ろへと下がった。
村人たちは、イリナの急変に驚きながらも、何も起こらなかったことに皆ひそかに胸をなでおろした。
そうこうしているうちに、長老の指示で端切れを取りに行っていた使いが戻ってきた。やがて小汚い布切れが少年に渡された。長老と少年が言葉を交わす様を、心ここにあらずといった風に、イリナはただぼうっと見つめていた。
「本当にありがとうございます。皆さんにはご迷惑をおかけしました。それでは、さよ―」
「待って!」
気が付けば、イリナは勇者を引き留めていた。
「わ、わたし、普段薬草を採ってきて薬を作ってるの。だから、家に帰れば余ってる薬がたくさんあるの、だから、だから、ちょっと寄って休んでいかない?うん、そのほうがいい、絶対いいよ」
「イリナ……」
老人が、可愛そうな子を見るような目で呼びかける。
少年は急な話に困惑したが、それ以上に村の面々が困っているようだった。
「わたしの家なら勇者様が泊まれる余裕はあるし、食べ物もあるよ。ねっ行こう」
周りの声が聞こえていないのか、そう言ってイリナは少年の手を引いて村の中へと入っていく。
イリナは自分でもよくわからないほどにこの少年を引き留めることに必死だった。
少年は意外にも、村人たちから抗議の声が上がらないことに驚いていた。
理由はわからないが、彼も誘惑にはあらがえなかった。緊張の糸が途切れ、休めるという安心から疲労がどっと押し寄せた。
朦朧としてきた意識が頭の中の疑問符を押し流し、手を引く少女の横顔を最後に、彼は意識を失った。
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