第2話 来訪者と怪しい雲行き
村の入り口では村長と男衆が、眼鏡をかけ、剣を携えたボロボロの少年と対峙していた。
「あ、あのっ、突然訪ねてごめんなさい。家から出た後道に迷った上に魔物に襲われてしまって。ここがどこかもわからなくて……いきなりですごく失礼なお願いだってことはわかっているんですけれど、どうかこちらで少し休ませていただけませんか」
ずいぶん前に怪我したのか、布が赤黒く変色しなおも出血の止まらない足を引きずりながらも、少年は無理やり気を付けの姿勢をとり、頭を下げた。少年の黒髪にも血がこびりつき、ところどころ髪が不自然に固まっていた。
「頭をお上げなさい。少年、いや勇者殿」
「えっ」
伝えてもいないのに、自身が勇者であることを看破されたことに少年は驚く。
「気づかないとでも思いましたか、実は前に町から来た商人からあなたの噂を聞いておりましてなぁ。なんともついに国境を越えてきたと。まさかと思いましたが本当にこんな辺鄙な村をわざわざ通ってくるとは、勇者というのは皆もの好きなんですかな、はっはっは」
杖に手を置いた老人が快活に笑う。しかしながらその目の奥に宿る光は決して友好的なものではなかった。そもそも、血みどろの人間を前にして笑うなど、尋常のことではない。
「そもそも、我々はみな、ここいらの獣のことを名前で呼びはしても、『魔物』などとは言いませぬ。迷子のヒトというにはいささか設定に無理がありますな。勇者殿は嘘をつくのも苦手のようですなぁ。ははは」
雲行きが怪しくなる老人の言葉に、勇者と呼ばれた少年は、身分を隠した己の失敗を悔いながらも、なんとか挽回の糸口を探す。
「……僕が勇者だと言ってしまうと皆さんに混乱を招いてしまうと思って伏せました。お願いする立場で偽りを言ってしまったのは、本当に、すみません。ただ、それでもどうか、一日だけでもいいので、空いている場所をお貸ししていただけませんか」
血が足りず、疲労の回ってきた頭では良い言い訳を考えることはできない。そもそも嘘が下手な少年には、正直に謝る以外の選択肢はなかった。
「そうは言われましても、こちらとしても初めから騙してくるような人物を、大切な村に迎えたくないのが正直なところですな。それに、勇者ともあれば我々を見ればそれがとても無理な要求であることはわかりますじゃろ」
老人の言葉を聞きながら、ちらりとその横を見れば、屈強な男たちがじっと少年を見ていた。
いや、見るというよりは睨め付けるの方が正しいか。
――彼らが全員、鉄製の農具を手に持っているのは、決して農作業の途中でやってきただけではないだろう。
「そう、ですよね……」
緩むことのない拒絶の姿勢に少年が尻込みする。さらに奥に眼をやれば、民家の中ではどこも、母親と思しき人物が子供を抱きしめて震えているのが視えた。
どうやら彼が想像していた以上に、この村は勇者を受け入れないようだ。
「分かりました。無理を言ってすみません、ご迷惑をおかけしました。すぐに出ていきます。その代わりに止血用の端切れを一枚でもいいので恵んでいただけませんか」
できるなら薬になるものか食料も欲しいところだが、おそらく望みすぎだろうと少年は考える。村に立ち入らないという宣言で、村人たちの目に安堵の色が見えたあたり、このあたりが現実的な妥協点だと結論づけた。
「そうですな、我々としてもけが人を放っておくのはちと心苦しい。布切れ三枚で手打ちということにしましょうぞ」
その時だった。
「ねぇ、おにーさん」
突如、まとまりかかった会話に場違いなほどに甘ったるく幼い声が割って入った。
「うわぁ、ひどいけが。痛そう。あ、わたしイリナっていうの。おにーさんは、どうしてそんなに傷だらけなの?」
勇者を除いたその場の全員がイリナを振り返る。困惑、焦り、心配、様々な視線を感じるが、彼女は意に介さずゆっくりと少年に歩み寄っていく。
「え、ああ、国境を超えたあたりで魔も、獣の大群に襲われてね、油断したらこうなったんだよ」
男ばかりの場に急に現れた少女に、少年は戸惑った様子で答える。
「それはほんとうにかわいそう。ぜったい痛いよね、大丈夫?」
心底思いやるような声音を作りながら、イリナはなおもゆっくりと詰め寄る。手は後ろに回し、年相応に少し膨らんだ胸を強調するような姿勢のまま、見上げるような上目遣いで、わざとらしく少し足を高く上げて歩きながら。
「いや、痛いのは痛いけれども、ありがたいことにこちらのみなさんが血止めのための布を分けてくれるから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。」
「そんなぁ、それだけなんて、いくらなんでも大人たちは冷たすぎるよぉ。おにーさんもそう思うよね、ねっ」
普段は作らない甘くあざとい声に、自分でも嫌気がさしながらもイリナは話し続ける。最大限に勇者を油断させるために。
「いや、突然やってきて厚かましいのは僕の方だよ。それに僕は勇者だから、普通の人よりも治りもちょっとだけ早いから。本当に、大丈夫だよ」
痛ましい傷口を少女に見せないよう隠しつつ、少年は少し照れたように答えた。
「ええー、あの有名な勇者様なんだぁ、すごい。本物に会えるなんて。やっぱりいろいろ規格外なのねっ」
イリナはできる限り勇者にキラキラした眼差しをおくる。純粋な好奇心を装って。
「まあでも、力とか耐久力とかは常識的な人間の範疇に収まるよ。現にこの通りだしね」
ははっ、と少年は皮肉げに笑って見せた。無理に自分を笑いものにするのは、愛嬌ある少女の前で無様な姿をさらしたことへの照れ隠しかもしれない。
「あ、そういえば私、けが人がやってきたって聞いて応急手当の道具を持ってきたの。傷口を縛ってあげるから、後ろ向いてくれる?」
「えっいいのかい?ありがとう」
そういって彼はイリナに背を向けた。イリナは村男たちの横をすり抜けて進む。
予想外の動きに、彼女を呼び止めようとして手を伸ばした一人は、少女の背をみて言葉を失った。他の面々も同様だった。
――イリナが後ろ手に隠し持ったナイフに、皆、彼女の意図をすぐに察したのだった。
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