season3 (61~68)

ぐるりの坂

 今年になって初めて蝉の声を聴いた気がする。梅雨つゆが明けてもいないのにやたらと日差しの強い昼だった。


 私は近所の坂を上っていた。

 どこにでもあるような何の変哲もない坂だが、ときおりのぼ最中さなかに気分の悪くなる人がる。

 磁場のせいか坂道錯視か、三半規管がおかしくなって眩暈めまいを起こすようである。

 頭がぐるりと回されるような感覚だから、<ぐるりの坂>と昔から云われている坂なのだ。

 頻繁ひんぱんに通る坂ではない。とはいえ、近所ゆえに何十回は歩いているだろう。

 ただ私は平衡感覚が良いのか、一度も眩暈を起こしたことはなかった。


 坂を歩いていると、道の前を白鶺鴒はくせきれいさえずりながら横切るように飛び去った。

 ふと空を仰ぐ。

 鳥の動きと音に、興味が引かれたのだ。

 雲一つない天には現れた。

 巨大な腕だった。爪は長く毛むくじゃらで筋肉質だ。腕は見る間に大きくなり、私の頭をがっしりと掴み、ぐっとじった。

 筋を違えてはたまらないから、逆らわずに私は体を回した。

 ぐるりと一回転すると、頭の芯がふらついた。立っていられず、思わずしゃがみ込む。

 初めて経験する眩暈にしばらく静かに息を整えていた。

 いつの間にか巨大な腕は消えていた。


 ああ、なるほど。わざわざ<ぐるり坂>という名前が残っているのは、か。

 頭を回転させられていたわけだ。

 妙にに落ちた。

 あの鬼のような毛むくじゃらの腕が、本当に鬼なのかは知らぬ。狐かむじなかもしれない。何が面白くて児戯じぎめいた悪戯いたずらをするのかも、誰にも判るまい。


 額にうっすらと汗がにじむ。蝉の声に交じって遠雷が鳴った。

 今年も暑い夏になりそうだ。私は歩き続けた。

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