列車のなかの地縛霊
記憶がはっきりしない。
出勤のために電車に乗り、運よく
がたんと電車が走り出した。揺れを全く感じない。自分の手が透き通って向こう側が見える。
下を見ると、胸から腹にかけて血が盛大に流れ出していた。切り裂かれた身体。痛くはない。だって、これは過去なんだから。
そうか。私、死んじゃったんだ。
電車が走っている中、男が突然包丁を出して襲いかかってきた。人を何度も刺すのは恨みがある証拠、ということを聞いたことがある。けれど男は全く知らない人だし、他の人にも同じくらい何度も包丁を振り下ろしていた。たぶん、あいつが憎んでいたのは世界そのものなんだろう。
私は殺されて幽霊になった。でも何故か列車からは出れなくて。いわゆる地縛霊というものになってしまったらしい。
理不尽だとは思うけれど、そこまであの男を恨んではいない。成仏できるならさっさとしたい。けれど、<場>の法則とでもいうしかないものが私を離してくれない。私が死んだ場所──列車の中に私の魂は閉じ込められてしまったのだ。
電車そのものはすぐに運転が再開され、日常の中に埋没していった。
私は何もすることがなかった。本当に暇なので、メイクの確認に自撮りしている高校生の後ろにそっと入ってみたり、ふわふわ浮いて荷物置きの棚に寝そべったりしていた。痴漢されてる人がいるとその間に割り込んだ。結局干渉はできないのだけれど。
たまに見える人がいると嬉しくて手を振った。実際、血だらけの幽霊が微笑んでいても怖いだろうな。怖がらせる気なんて全くないんだけれど。こっちに何のメリットもないし。
ただ幽霊が出る、という噂が広がればお
ある日、突然急ブレーキがかかった。私には全く影響なかったけど、立っている乗客の中には転ぶ人もいた。
飛び込んだな。私には判った。上半身だけの彼女が、ズリッ、ズリッと中に入ってきたから。
同時に、私を捕らえていた<場>が逆に私を押し出そうとするのを感じた。どうやら<場>の中には一人しかいられないルールらしい。
彼女には残酷な時間かもしれないな。私は弾き出され、歩き出した。もし出られたら行くと決めていた場所。
伝えられるかどうかはわからないけれど。実家の両親の顔を見て言うんだ。
ただいま、って。
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