夢枕に立つ

 仕事に疲れて泥のように私は眠っていた。気がつくと白髪の老人が立っていた。

 まわりはやけに白っぽい霧に覆われていて、ああこれは夢だな、と思った。

「気をつけろ壮一そういち、お前の不倫相手が包丁を持ってやって来る。お前の行動が問題なのは確かだが、かわいい孫のためだ。警告しておく。このままでは刃傷沙汰になって命を落としかねないぞ」

 そう言って老人の姿は消えた。

 私は目を覚ます。

 不可解な夢は私を悩ませた。ここは二階建てのアパートの一室。窓から外を覗くと、確かに不審な女がいた。

 もしかしたら、あの女のことを言っていたのだろうか?

 なるほど、事件になるかもしれない。ただ、私にはそれよりも気になることがあった。


 


 私は有森沙知絵さちえ。そろそろ同僚の寿退社が気になるOLだ。全く顔も知らないあのおじいさん、たぶん夢枕に立つ部屋を間違えたのだろう。ショートカットにしているとはいえ、孫の性別を間違えるかね。

 このアパートに住んでいる夫婦といえば、おそらく右側の隣の隣、刈羽崎かりわざきさんだろう。ただあのご主人、ひどく陰気でぼそぼそとしか挨拶をしない人だ。不倫してるなんて想像だにしなかった。

 それでもこのままにはしておけない。私は外に出て、刈羽崎さんの部屋の呼び鈴を押した。

「はーい」

「〇号室の有森です。壮一さんはいらっしゃいますか?」

「え? 主人に御用ですか?」

 ビンゴ。

「あの、ちょっとお話が──」

 二回に上がってくる足音が聞こえた。

 刈羽崎さん夫婦がそろって出てくるのと、女が姿を通路に現わすのがほぼ同時だった。私は女の顔を見て、どこかで見た顔だ──と思った。高校時代の記憶が浮かび上がる。

「あずみ?!」

 私はあずみに駆け寄り、小刻みに震えるあずみの手を押さえた。包丁を固く握っている手を。

「高校の時ソフトボール部でセカンド守ってた、沙知絵だよ。いやー、懐かしいなあ」

 包丁が、音を立てて落ちた。それを見て壮一さんの顔が蒼白になる。

「なんで、沙知絵……」

「酒でも飲みながら話そう。全部聞くよ。ね?」


 あずみはもう泣いて飲んで泣いて、さらに泣いた。涙で憑き物が流されたかのように翌朝、別人の如く明るい顔で帰っていった。私は二日酔いでもう仕事どころではなく、会社に休みの連絡を入れた。まさかあずみがとは思わなかった。


 そして静かになったベッドに寝っ転がる。怪我人がいなくて結果オーライ。もしやあの老人は間違えたのかな、と考えながら眠る。

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