笑う椿

 頃は幕末の江戸のお話。


 田舎育ちのお糸は大きな商家に奉公に出ていて、内気だが真面目な彼女は精一杯仕事に励んでいた。

 ある日庭掃除をしていたお糸は、一本の見事に咲き乱れた椿つばきに目を奪われる。

 思わず真っ赤な花びらに触れてみると、なんと、<ふふふ>とくすぐったげに笑ったのだ。椿の花が。

 誰かのいたずらかと木の周りをまわってみても誰もいない。これは狐かあやかしか、怖くなってお糸はその場を離れ、なるべく近づかないようにして掃除を終えた。

 誰にも笑う椿のことはしゃべらなかった。


 一年がたって、仕事にも慣れてきた頃。

 慣れが油断を誘ったか、結構なをやらかしたお糸は主人からきつい説教をくらってしまった。

 悔しくて眠れず、ふと庭に出てみると月夜にひそかな笑い声がする。


 ――あの椿だ。


 椿のところに向かったお糸は、風もないのに枝を揺らし、囁きあっている花たちを見た。そっと顔を寄せてみる。

<田舎の芋娘がしくじったってさあ>

<ふふふ>

<たいしてよい器量でもなし、仕事くらいはこなしてもらわなくちゃあねえ>

<大食らいのくせにね>

<ふふふ>

<ふふふ>


 自分のことを笑われている。かっと頭に血が上ったお糸は、椿の花をつまんで力任せに引っ張る。と、ぽろりと簡単に取れた。

 しかし普通ではない、どろりとした蜜のような感触がする。手のひらを見ると血のように赤く粘っこい汁がべっとりとついているではないか。

 お糸は恐ろしくなって、手の中の花を地面に叩きつけた。

 その瞬間、

<ああああ>

<ああああ>

<ああああ>

 という断末魔を残して、


 ぼたぼたと、いっせいに椿の花が落ちた。


 同時に、母屋から魂消たまげるような悲鳴があがる。

 お糸は家に駆け戻ると、その光景に腰を抜かした。



 家人一人残らず、首が胴から離れて死んでいた。



 その椿には二度と花が咲かなかったという。

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