第3話 自分を納得させる感覚
そんな五月病に罹っていた雄二であったが、同じ頃、実は裕美にも異変が起こっていた。思春期である裕美は、少し言動もおかしなところがあるような気がしていたが、それは、大人になるためにはl、ある程度仕方のないところで、実は雄二も気にかけていいるところでもあった。
「最近の裕美が少し気になるところがあるんだ」
というではないか。
「どういうことなんだい?」
と聞くと、
「ハッキリと、どこが悪いというわけではなく、精神的に何かずれているような気がするんだ。話をしていても、急に違う話に代わってしまったり、かと言って一貫性のない話というわけではないんだ。どこか、偏った考え方に似ているような気がするんだ。気を付けてあげた方がいいとは思うんだが、どう話をしてあげればいいのか、よく分からないんだ」
という。
「それはそうだよね。しかも今は思春期の時期なので、特に何を考えているか分からないところがあるだろうから、下手に入り込むと、噛みつかれる可能性がある。それで、もしそれを避けようとすると、相手に、自分が狂気になっているということを悟らせることになりかねないからね」
と弘前がいうと、
「じゃあ、裕美は自分の行動の元が分かっていないということかな?」
と雄二がきくので、
「おれはそう思うんだ。俺も思春期の頃、似たようなことがあったからな。しかも、自分は恥ずかしがり屋だったと思うので、何か自分に対して相手が違和感を持ってるとすれば、どうしても警戒してしまう、そうなると、こちらがその後、何を言っても相手に気持ちが伝わらないということもあり得るからな」
と弘前は言った
「でも、お前はそのままおかしくはならなかったんだよな? ということは、裕美も放っておいても大丈夫だということになるのかな?」
と雄二がいうので、
「それは何ともいえない。俺の場合は、自覚のようなものが少しはあったので、それ以上ひどくはならなかったが、一歩間違えれば、おかしくなっていた時期が続いていて、君の知らない俺になっていたかも知れないんだ。しかも、そうなっていたとすれば、俺たちが知り合うこともなければ、ましてや、友達になることもなかったかも知れない」
と、弘前は言った。
「お前はそれをなんだと思っているんだい?」
と聞かれて、
「ハッキリとは分からないが、思春期の中では大人になる過程においていろいろなことが頭をめぐるだろう? お前だって、思春期だった時期はあったんだからね。そういう時にどれか一つだけ、特化した考えだけが派生してくれば、そこまで心配することはないと思うんだけど、一つのことだけであれば問題ないと思うんだけど、他にたくさん派生していることがあると、少し気になるんだよ」
と、弘前は答えた。
「どういうことなんだ?」
と聞かれて、
「俺も実際にそんな状況になったので、俺なりに調べてみたんだけど、ただ、病気というわけではないだ。たぶん、精神的に不安定になっている時に、子供から大人になろうとして背伸びをしようとしたり、まわりを自分と比較してみたりした時に感じる矛盾や違和感が、自分を苦しめることがある。俺はそんな感情が別の意識を深めるんじゃないかって思うんだ」
というと、
「どういうことなんだ?」
「これは、実際の病気でもなければ、学説でもないんだけど、中二病という言葉を聞いたことがないかい?」
と聞かれて、
「ああ、聞いたことはあるんだけど、詳しいことは分からないんだ」
「それはそうだろうね。何しろ、ラジオで流行り出した言葉から端を発していて、ネットが普及してから、意味も少し変わってきているとも言われているからね」
と弘前がいうと、
「そうなんだ。それが、子供が大人になる時の障害になるというのかい?」
と聞かれて、
「障害というのとは少し違っているのかも知れないけど、障害というよりも、本当はちゃんとそれらの感情を感じて、それを自分の中でちゃんと消化することで、大人になっていくのだろうけど、それを解決できずに曖昧にしようとしているのかも知れないな。あるいは、自分に当てはめて考えるものなんだろうけど、自分に当てはめすぎて、理解できずに進んでしまうということが往々にして起こってしまうと、一気にたくさんの矛盾を自分で引き受けることになってしまう。それが成長という不安定な時期に自分を苦しめることになるんじゃないかって思うんだ」
と弘前は言った。
本当はもっといろいろな考えが頭の中にあるのだが、それ以上言ってしまうと、雄二自身が、何かの病気になってしまいそうで、少し怖かったのだ。
雄二という男も、考え込むと抑えが利かなくなり、コントロールが難しくなることがある。そんな時、妹の存在が大きかったのだが、今回はその妹の話だったので、本当であれば、もっと話したいこともあったのだが、これ以上言ってしまい、気持ちを混乱させてはいけないと、弘前は感じたのだ。
そんな状態でも、
「まあ、兄貴のお前がしっかりしてあげていれば、大丈夫なんじゃないか?」
と言ってあげた。
少し精神的にいっぱいいっぱいだったかも知れないが、下手にブレーキをかけすぎると、雄二の場合はまずいことにもなる、
この場合の、
「お前がしっかり」
という言葉は、雄二の中の自尊心を復活させるという意味でいいのではないかと思ったのだ。
そんな雄二が、まさかとは思ったが、
「五月病」
に罹ってしまった。
五月病というのは、中二病とは違って、実際の精神疾患である。
一過性のものではあるが、本人としては結構きついに違いない。それまでの自分を、一時の間、全否定する形になるのだから、
「うつ病のようなものだ」
と言っても過言ではない。
しかも、五月病というのは、その時、自分が五月病に罹っているという意識がないということを聞いたことがあった。
本人は五月病というのがどんなものなのかということをおぼろげに分かっていたとしても、
「まさか、俺が五月病に罹るだなんて」
という思いを抱くに違いない。
それだけに、五月病に罹ると、あとになってから、
「お前。あの時五月病に罹っていたんだぞ」
と言っても、本人は分かっていない。
「俺は、うつ病だと思っていたけど」
という意識しかないのだ。
そして、彼はいう。
「うつ病だったら、その後に躁状態になるんだと思っていたんだけど、それはなかったんだ。だからただのうつ病ではないかも知れないと思うようになった時、それまでのうつ状態から抜けることができたんだ」
と言った。
「それはきっと、抜けることができたのは、抜けれるという光のようなものが見えたからなんじゃないかな? それは、躁うつ病というものに罹った時にあるものだって、一度精神科の先生に聞いたことがあったんだ。俺は、以前躁鬱病になりかかったことがあって、精神科の先生と話をしたことがあったんだけど、その時の話が印象的だったということは覚えているんだ。今は少し忘れかかっているんだけど、でも、お前と話していると、その時の状態を思う出すことができるんだ」
と弘前がいうと、
「そんなものなのかも知れないな」
と、五月病を脱した雄二は言った。
だが、その時には、裕美の、
「中二病」
と思しき状況は進行していた。
「医者に見せた方がいいのかな?」
と雄二が聞くので、
「俺は今は何ともいえないんだけど、症状によって、病気でもないのに、病院に連れていかれると、まるで病気のような気分になることだってあるだろう?」
というと、
「それはそうだな。風邪の妹に付き添って病院に行ったときなど、熱があるわけでもないのに、なんとなく熱が出てきたような気分になって、体調が本当に悪くなったことがあったのを思い出したよ」
と雄二がいう。
「それと一緒で、悪くもないのに、まるで悪いかのような状況に追い込まれると、せっかくのいい方向に行っていたことがおかしくなることだってあるんだ。そのあたりは気を付けておかなければいけないからな」
と弘前は言った。
「でも、お前に心理学の先生が知り合いにいてくれるのは、心強いよ。最悪、先生に相談してみたいな」
「それはありだと思うぞ。だけど、本当は本人と話をさせるのが一番いいと思うんだけど、さっきの話のように、いきなり連れていくのは難しいだろうから、妹の様子を見ながら、お前が感じたことを、少しずつメモって言っていると、話もしやすいかも知れないぞ」
と、弘前は言った。
「なるほど、確かにそうだな。ただ、あくまでも表から見ての行動しか分からないので、妹が何を考えているかまでは、分からない。だから、あまり先入観を持つことなく、メモるようにしておくのがいいと思うんだ」
と、雄二はいった。
「それはもちろんだよね。妹が心配だという気持ちは分かるけど、観察日記だと思えば、先入観や主観を持たない方がいい。客観的に見ることができるのが一番なんだろうな」
と、弘前は言った。
この時の会話は、すでに五月病から抜けた雄二が、自分が我に返った時、初めて妹の様子がおかしいということに気づいたことから、弘前に相談してきた時のことだった。
弘前とすれば、
「五月病が抜けたことで、俺に心配かけたという気持ちで、連絡をくれたに違いない」
という思いだったが、まさか、それだけではなく、妹のことの相談まであろうとは思ってもいなかった。
だが、話をしているうちに、何か気になることもあるように感じたので、
「どうかしたのか?」
と、戸惑っている雄二の背中を押してやると、まるでところてんを押し出すように話し始めたのだった。
一度堰を切って話始めると、水はどんどん濁流となって流れ込んでくる。底も見えない状態に、雄二は必死になって話しかけてくる。
「まあまあ」
となだめているつもりであったが、雄二の様子にただならぬ雰囲気を感じたので自分のことのように、前のめりになっていた弘前だった。
「まだ、五月病が完全に治っていないのかも知れない」
とも思ったが、この様子を見て。
「ひょっとすると、完全に治りいっていない雄二を見て、中二病の気があった裕美は、その発症を促す結果になったのかも知れない」
とも感じた。
そうなると、きっかけは裕美本人なのだろうが、その背中を押したのは、雄二の五月病だということになる。この兄妹は、お互いに今まで精神的な病気があったわけではないので、一度に偶然起こったというのも考えにくい。それだけに、背中を押したという考え方は理にかなっているかのように思えたのだ。
中二病として、いくつか紹介されているが、
「洋楽を聞き始める」
「うまくもないコーヒーを飲み始める」
「売れたバンドを、売れる前から知っているといって、ムキになる」
「やればできると思っている」
「親に対してプライバシーを尊重してくれと激昂する」
「社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると、アメリカって汚いよなと急に言い出す」
などということが紹介されている本があるという。
また、承認欲求や、自己同一性という二つの心理から生まれるといっている人もいるという。
空想と現実の分かれ目が分からなくなるなどというのも、一種の中二病ではないかと思われるが、それを感じた時、
「それって、ドン・キホーテのような話のようだな」
と、雄二が言ったのを思い出した。
あの話は、雄二がいうには、
「ドン・キホーテという話は、騎士道物語の読みすぎで、現実と物語の区別がつかなくなった郷士が、ミスからを遍歴の騎士と任じて、冒険の旅に出かけるって話なんだよ」
というのだ。
「なるほど、現実と空想の区別がつかないという意味では、中二病のような発想に近いのかも知れないな。ちなみに、あの物語っていつ頃のことなんだい?」
と言われた雄二は、
「確か、十七世紀に入った頃じゃなかったかな? 日本でいえば、関ヶ原の戦いの後くらいなので、ちょうど、江戸時代に入った頃のことかな?」
という。
「ということは、西洋では、すでにその頃から、中二病的な発想が精神疾患の中には考えられていたということになるのかな?」
と弘前がいうと、
「そうかも知れないな。ただ、それを精神疾患としてとらえていたかどうかは、分からないンけどね」
と、雄二は言った。
「ドン・キホーテというと、有名な話があるだろう?」
と弘前に言われた雄二は、
「ああ、風車に向かって突進していく話だね?」
「うん、そうなんだ、君はあれをどう思うかね?」
と雄二に聞かれ、
「あれは、ドン・キホーテが、風車を魔法使いに替えられた巨人が風車のかたちゅで俺たちに挑んできていると思い込んでいたんだよ。俺は最初に聞いた時、ドン・キホーテという人は教養がなくて、風車というものを見たことがない。だから、とにかく敵だと思って突っ込んでいったというものだと思っていたんだ。要するに、未開人であるブッシュマンが、空を飛ぶ飛行機を見て、巨大な鳥だと思って、槍を空に向かって投げたというような話と同類だと思っていたんだけど、どうやら違っていて、ドン・キホーテは風車の存在を知っていて、それを、巨人が魔法使いの陰謀によって風車にされてしなったと、思い込んでいたようなんだ」
と弘前は言ったが、
「そう考えると、実に微妙な感覚になるんだよな。現実的な発想はあるんだろうが、それが、空想世界と現実とがうまく整理できないことで、頭が混乱してしまって、実が納得できるような都合のいい解釈をするようになったんじゃないかって思うんだ。だから、これは精神的な疾患や病ではなく、誰もが抱く妄想に対して、いかに自分を納得させようとしているかという、「いくつかある解釈の一つに過ぎないような気がするんだ。だから、中二病というのも、本来であれば、一つの発想を、思春期という精神状態が、他の世代の精神状態と違って、いくつもの発想を生むことができるんだけど、その理屈をいかに解釈するかということを考えると、いくつかのパターンが生まれてくる。それをひとくくりにできないことから、抽象的な名前で、中二病などという言葉を使っているんじゃないかな?」
と雄二は言った。
「そもそも中二病というのは、本当の病気というわけではなく、学会で発表されていたり、症例として考えられているものでもない。つまり、思春期における不可思議な態度に対して、いかに解釈するかということで、抽象的な名前を与え、いかにも病気であるかのようにいうことで、その形を示そうとしているんじゃないかとも考えられる」
と、弘前は言った。
二人は、こういう会話を始めると、とどまるところを知らない。
「こいつは、俺が言いたいことの例を先に出してくれるので、発想がうまくかみ合った時は、いつまでも、限りなく話を続けることができる相手だ」
と、お互いに感じていた。
「ドン・キホーテの話をどのように解釈すればいいのかって、たまに感じるんだけど、どう解釈すればいいんだろうか?」
と、弘前は言い出した。
「一度調べたことがあったんだけどな」
と前置きをしてから、雄二は続けた。
「最初は、あくまでも、滑稽本として描かれたものだったらしいんだ。道化のようなイメージのね、つまり、読んだままそのままの感想が主流だったんだろうね。だけど、時代が進むと、昔からの騎士道というものに代表されるような古き悪習のようなものを諷刺し、やがて打倒に繋がったという道徳観や、批判精神が読み取れるという説が生まれてきた。もちろん、ドン・キホーテという作品を文学作品として評価してのことなんだけどね」
というではないか。
「なるほど、それもありうる気がするな」
というと、さらに雄二が続ける。
「だけど、その後には、人間の悲しい性であったり、悲しい部分を、比喩する形で描いたという解釈が主流になってきたんだよ。俺は、そのどっちも一理あることで、どちらも否定できるほどの材料はないと思うんだよね」
という。
「結構難しい解釈になってくるとは思うんだけど、これが中二病という発想と絡み合えば、また違う解釈が生まれるんじゃないだろうか? 道徳的な諷刺だったりするのであれば、かなり考えられているものであり、悲しさを描いたのだとすれば、滑稽から悲劇が生まれるという発想もないわけではない。ただ、それまでは、悲劇は悲劇という発想がどうしても強く、喜劇から悲劇は生まれないという発想があったのだとすれば、この作品は、かなり前衛的だったのではないかと言えるんじゃないかな?」
と、弘前は感じた。
「人間というのは、誰が何と言おうとも譲れない感覚が、その人それぞれにあると思うんだ。それは、決して人と共通しないところでね。だけど、この話を見ていると、逆に人と共通するところで、人には譲れないものもあると考えらさせられる小説なんじゃないかって俺は思ったんだ」
と、雄二はいう。
「それはいつから、そう思い始めたんだい?」
と聞くと、
「実は最近なんだよ」
「ということは、五月病から立ち直ってからのことかな?」
と追われた雄二は、
「ああ、そうなんだ。あの時の感覚が五月病だったというのは、あとになって分かった気がするんだけど、あの時は、本当にただのうつ病だと思っていたんだ。だけど、その原因というものが、自分がまわりから取り残されているという、焦りを誘うような感覚だったんだ。だから、五月病だったといわれても、自分を納得させられるものはなかった。だから自分なりに納得させようといろいろ考えていたんだけど、その時に、さっきのような発想も生まれた気がするんだ。自分を納得させるには、ある程度、融和に考えておかないと雁字搦めになってしまうと、気持ちに余裕が持てない分、納得など不可能ではないかと覆うようになったんだよ」
と言った。
「なるほど、今のお前だから、中二病という発想も、このドン・キホーテの話と結び付けるという発想も、自分を納得させるという観点から考えると、考えられないこともないのではないかという考えも芽生えてくるんだろうな」
と、弘前は、自分で言っていて、よく理解できないと思いながら言ったが、雄二の微妙な顔を見ると、やはり、理解されているようではないと思うのだった。
「弘前の言っていることは、なんとなく分かるんだけど、どこか曖昧で、混沌としていて、弘前自身、自分を納得させられているのかな?」
と言われた。
お互いに、言葉が、
「自分を納得させる」
という意味合いを持っているとは感じていたが、それを口に出していったことはなかった。
別にタブーだなどと思ってもいなかったが、いう必要のないことだという理屈のあったのだ。
「お前も、自分を納得させるということが、自分の持っている発想や空想に大きな影響を与えていると思っていたんだな?」
と雄二がいうので、
「ああ、そうなんだ。この感覚は自分だけではなく、きっとみんなが思っていることだろうと思っていたので、きっと言葉に出す必要はないものだと感じたんだけど、こうやって口に出して言われてみると、まるで目からうろこが落ちたような気がするというものだよな」
と弘前は言った。
「皆が分かっていると思っていて、そのために言葉にしないことって結構あると思うんだ。それは勝手な解釈でもあるんだろうが、こうやって口にしてみると、今までどうして言わなかったのかという思いが結構、気持ちを持ち上げてくるものだよな」
と、雄二は言った。
「そうなんだ。この感覚が、どこからきているのかは分からないんだけど、この思いを感じるようになったのって、俺は思春期の頃からではないかと思うんだ」
と弘前がいうと、
「そうか、お前もそう思っていたのか、実は俺もなんだ。この感情が大人になるということだとは思わないんだが、それはひょっとすると、子供の頃から持ってはいるんだが、実際にそれを意識するということが、大人への階段を上るということではないかと思うんだよ」
と、雄二が言った。
「俺は、今までに五月病というものを感じたことはなかったんだけど、どんな感じだったんだ?」
と言われた雄二は、
「そうだな。お前はうつ病に罹ったことはあったかい?」
と聞かれた弘前は、
「ハッキリとうつ病だという診断を受けたわけではなかったけど、それらしいことはあった。だけど、その時はまわりからは、うつ病ではなく、被害妄想だって言われたことがあったな」
と弘前がいうと、
「うんうん、そうだろう。俺もうつ病だと思った時、被害妄想という発想を思い出したんだ。俺が何を言おうとも、まわりは自分のすべてを否定しそうで、被害者になったという感覚だね。それを思うと、誰にも相談できなくなって、孤独な気分になったといえばいいのかな? だけど、孤独を感じなければいけないわけでもなく、せっかく苦労して大学に入ったという感覚もあっただろう? つまりは、本来なら楽しいはずの大学生活で、なぜこんな思いをしなければいけないのかという、もったいないというような気分になったというのも事実だったんだ」
と、雄二は言った。
「そっか、その感覚は、俺もかつていつだったかあった気はするんだ。何をやっていても、楽しくない。まるで皆が俺をいじめているような感覚で、苛めなんて存在もしていないはずなのに、俺が勝手に引きこもってしまって、あとから思えば、それでまわりが、俺に対して悪いことをしているという思いにいたって。誰か一人を悪者にして、まるで生贄でも捧げるかのような風潮になってしまったということがいびつに感じられたんだな」
と、弘前は言った。
「それって、子供の頃かい? それとも大人になってから?」
と聞かれて、
「どっちだったんだろう? 大人になってからなのか、子供の頃なのかという基準が、思春期の前か後かということであれば、あとのような気がするな」
と、弘前は言ったが、それを聞いた雄二は。
「俺も似たような感覚に陥ったことがあったんだが、俺の場合は、思春期よりも前だったと思うんだ。だから、お前ほど印象に残っていたわけではなく。おぼろげだったんだろうな。だから、五月病に罹ったのかも知れないな」
というのだった。
なるほど、それであれば、雄二が罹って、自分に罹らなかったという理由もそれなりに納得がいくような気がした。
「自分を納得させるという感覚」
この思いが、雄二にも弘前にもある。それが絶えずなのかどうなのかは分からない。
二人にあるということは、ほぼ皆にあると思ってもいいだろう。その人の感じ方には、完全に個人差があり、この個人差が、それぞれの人格を形成しているのではないかとも思えたのだ。
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