第2話 ある兄妹の話

 弘前慎吾という男がいる。今は二十五歳になっているのだが、高校時代の友達に、

「坂口兄妹」

 というのがいて、兄の雄二と同級生で、結構仲が良かった。

 時々遊びに行っては、妹の裕美とも挨拶を交わしていたが、裕美は結構積極的に話しかけてくれていた。

 最初に見かけたのは、小学六年生の頃で、その頃は、

「早く、中学生になりたいな」

 と言っていたものだった。

 坂口と仲良くなったのは、高校二年生の頃で、その頃まで、弘前も坂口も、お互いに他に友達はおらず、ある意味、

「似たもの同士」

 ということで、仲良くなったのではないかと思っていた。

 お互いに家も近かったので、よく一緒に遊ぶことも多かったが、弘前は自分の家に呼ぶというよりも、坂口の家に遊びに行く方が多かった。坂口の方で、

「いつでもいいから、来てくれよ」

 と言っていたので、ついついお言葉に甘えていたというのも、あるのだが、それよりも、妹の裕美に会いたいというのが、本音だったかも知れない。

 まだ最初は小学生だったので、すぐには意識をすることはなかったのだが、中学に入ってから、急に、

「大人びた身体」

 になったのを見ると、会うたびに、ドキドキしてしまっている自分がいることに気づいていたのだ。

 もちろん、そんな素振りを誰にも見せなかった。この気持ちは、兄の雄二に見られるのが嫌だというよりも、妹で本人であり裕美に知られるのが嫌だった。それだけ、弘前の気持ちが揺れ動いているかということだったということなのだろうが、すぐには分からなかったのだ。

 二人の親は共稼ぎで、しかも、雄二と裕美は、本当の兄妹ではなかった。少し年が離れているような気がしていたので、気にはなっていたが、父親の方が再婚で、雄二は、父親の連れ子だったのだ。それでも、

「俺たち兄妹は、本当の兄妹のように育ってきたからな。俺の方も、裕美が生まれた時は、まだ七歳だったから、妹ができたということを、真剣に喜んだものさ。学校から帰ってきて、一緒に遊んであげるのが結構楽しくてな。裕美がいたから、俺もお義母さんに対しても変な遠慮もなかっただ。最初に再婚という時は、少し違和感があったけど、それを裕美が払拭してくれたんだな。だから、本当の妹以上の妹だって俺は思っているよ」

 と、雄二は言っていた。

 もちろん、妹の前ではそんな気持ちは照れくさくていえないだろうが、それが彼の本心であり、それを親がもし知っているとすれば、これほど嬉しいことはないだろう。

 それでも、二人は決して裕福な方ではなく、共稼ぎをしなければやっていけなかった。普通に生活をしていくだけならよかったのかも知れないが、とりあえず、

「雄二には大学進学をしてもらいたい」

 という思いと強く、義母が持っているようで、共稼ぎというのも、厭わなかったのだった。

 義母は、どうやら、何か、手に職を持っているようだった。

 最初はパートで働いていたようだったが、そのうちに正社員転用が認められ、晴れて正社員になってからは、少しくらいの残業もいとわなかった。

 雄二にその分の家庭での負担が少しかかるようだが、

「大丈夫?」

 と義母に聞かれて、

「ええ、受験勉強の合間の息抜きですよ」

 ということだった。

 雄二は成績もよく、あまり学費もかからない公立大学への入学も、さほど苦労することなく合格できるレベルであったことも、

「家事を気分転換にできるだけの学力」

 はあったのだった。

 この気分転換が功を奏してか、雄二は、第一志望の公立の大学に現役で入学することができたのだった。

 弘前も、隣の県の私立大学に入学できた。第一志望というわけではなかったが、自分の成績を考えると、十分に希望の大学だったといってもいいだろう。雄二も弘前もほぼ、希望通りの受験の結果に、満足していた。

 妹の裕美も喜んでいて、

「やっぱりお兄ちゃんだけのことはあるわね」

 と手放しの喜びようだった。

 ただ、家族で一番喜んだのは、共稼ぎをしてでも、雄二を大学に通わせてあげたいと思った義母だったに違いない。

 つつましくと言いながらも、精一杯の祝賀会を坂口夫妻が開いてくれた。家族だけではなく、弘前も誘ってくれたのだが、

「弘前も誘っていいかな?」

 と、雄二が言ってくれたからだった。

 実は、雄二は、

「弘前を誘うことで誰が一番喜ぶか」

 ということが分かっていたからである。

 そう、その時に一番目を輝かせたのは、裕美だったからだ。

 裕美がどうやら、弘前のことを好きなようだということを、雄二は兄として分かっていたようだ。

 ただそれは、まだ中学生である裕美とすれば、憧れのようなものではないかということが分かっているからであった。

 実際に裕美としては、弘前のことを好きであったが、その好きだという感情が、

「女として」

 という意識ではないということを感じていたのかも知れない。

 ただ、憧れでもいいから、好きだという感情は、非常に心地いいもので、許されるなら、ずっとこの気持ちを持ち続けていたいと感じていたのだった。

 その気持ちを分かっているのは、実の母親と雄二だけだった。

 実の母親の方も、

「娘が誰かにあこがれているというのは分かっているけど、誰なのかは分からない」

 と思っていた。

 ただ、それが、

「弘前君だったらいいのに」

 という思いを持っていたのも事実で、かといって、本人に聞くのも違う気がするので、希望的願望として感じているしかなかった。

 そういう意味で、雄二が、

「弘前も誘っていいかな?」

 と聞いた時、裕美と同じように、目の色が変わったのは、義母だった。

 義母の目の色と裕美の目の色では若干違っているのであろうが、お互いに、

「気持ちを確かめたい」

 という気持ちに変わりはないようだった。

 裕美の方としても、自分の気持ちが憧れであると思ってはいたが、実際に弘前が受験に成功して、気分が開放的になっている状態であれば、それまでとは少し違った感情を与えてくれるかも知れない。

 違った目で見ることにもなるだろうが、自分の気持ちを確かめられるという意味もあったに違いない。

 ただ、そうなると、ただ嬉しいというだけではなく、少し怖いという感覚もあるに違いない。

 それを思うと、弘前を読んだことを、まず喜んだ自分の気持ちを考えると、怖いという思いよりも、

「確かめたい」

 という気持ちの方が強くなっているのではないだろうか。

 その時に、裕美は自分を大人として見たのかも知れない。

 それがいいことなのか悪いことなのか、その時の誰も分かっていなかった。

 もちろん、裕美にも分かるはずはない。

「神のみぞ知る」

 とは、まさにこのことなのかも知れない。

 その時、雄二はこの中では蚊帳の外だったのだが、蚊帳の外だということを、どこかの瞬間で、雄二は気づいたのかも知れない。

 その感覚が、その語の二人、いや、弘前をも巻き込む形になり、信教の変化であttり、自分たち各々が苦しみを味わうことになるのだが、それをいかに感じなければいけなかったのか、まだ大人になり切っていない三人には、分からないことだったのではないだろうか。

 そんな祝賀会は、それなりに盛り上がったのだが、どこかぎこちなさがあった。

 父親以外の人は、

「皆、自分が悪いんだ」

 と思っていたようだ。

 自分が誰かに対して、ぎこちない態度をとっているのを、その人が感づいて、お互いに微妙な雰囲気になっていることから、全体の雰囲気を悪くしているんだと思っていたに違いない。

 その相手がそれぞれ違っていたのだ。

 義母は、裕美に対して、裕美は弘前に対して、弘前は雄二に対して、雄二は義母に対して……。

 と、それぞれに、一方通行の思いと視線の方向を示していて、しかも、この四人がそれぞれに円を描いているのだが、その円は、スパイラルであり、決して交わることのないものだったのだ。

 そのことを、誰も気づいていない。自分のことで誰もが精いっぱいだったのだ。それは気を遣っているという意味と、自分の意識をまわりに悟られたくないという思いが交錯し、一番強いのが、自分の見ている相手に気づかれたくないという思いであったが、その相手が自分ではなく、他の誰かを見ていることも分かっているので、ぎこちなさは、疑心暗鬼にも繋がっていくのであった。

 その気持ちは、その日だけのことのはずだったのだが、ぎこちない雰囲気が残ってしまったのが、雄二と裕美の兄妹においてだった。

 やはり、二人が本当の兄妹ではないということがネックになっているのか、意識をしていないつもりでも、意識の中で渦巻くものがあるというのを、お互いに分かっているのであろうか?

 考えてみれば、雄二と裕美の兄妹は、微妙に年の差があった。普通の兄妹であれば、六歳差というのは、結構なものではないだろうか。

 これが成長して、三十歳代、四十歳代であれば、そこまで離れているという意識はないかも知れないが、十歳代であれば、かなりのものであろう。

 それは兄から見た妹というよりも、妹から見た兄の方がその意識は強いのではないかと思えるが、意外と上から見る方が遠くに感じるということはあるもので、この時の裕美の感覚が微妙に違っているのが、その後の裕美の気持ちに変化を与えたと考えるのも、無理のないことだったに違いない。

 小学生の頃の裕美と、中学二年生になった時の裕美では、まったく違って見えるたのは、弘前であった。

 小学生の頃は、

「友人の年の離れた妹」

 という意識しかなかったが、今では、制服を着ている裕美を見るとドキドキする自分を感じる。

 たまにしか見ないのであれば、それも無理もないことのように思うが、ちょくちょく家にも遊びに行っていて、頻繁に顔を合わせているにも関わらず、このような気持ちになるというのは、弘前としては、照れくさい気持ちになるのだった。

 ただ、この気持ちは、裕美に対しての気持ちから向いたものではなかった。もし、裕美に対して向いているとすれば、裕美の視線とどこかで重なって、二人がその後、お互いを意識するようになるというのも無理もないことだろう。

 弘前が裕美を見ていたのは、

「裕美が大人の女になってきている」

 という意味での視線であり、裕美個人に対しての、弘前本人の気持ちからではなかったのだ。

 一種の、

「男としての目」

 だったといってもいいだろう。

 したがって、裕美の視線は、相手を大人として見ている視線ではなかったのではないだろうか。

 見ているつもりであっても、まだ実際の裕美はまだ子供であって、身体は大人に成長しているが、精神状態は子供だtたという、中途半端な状態だったのかも知れない。

 そのことを、裕美も弘前も気づいていない。その場にいた人の中で、そのことに気づける人がいたとすれば、義母だけだったのではないだろうか。

 雄二にとっては義母と言っても、裕美にとっては、本当の母親である。しかも、雄二の母親ではない。

「こんなことを感じてはいけない」

 と思いなgらも、裕美は、母親のことを、

「自分だけのものだ」

 という意識でいたに違いない。

 その感情が裕美の中で、雄二に対しての思いと、弘前に対しての思いとを複雑に絡ませて、まるで、

「負のスパイラル」

 を形成しているようだった。

 裕美にとって、兄である雄二の視線の暖かさが、自分の甘えを増長させてくれているようで嬉しかった。まだまだ甘えたい子供の気持ちを感じていた半面、身体は大人への移り変わっていることだけは意識しているので、精神はまだまだ子供だとは思いながらも、どこか、納得のいかない自分がいることを感じていた。

 そんな裕美が憧れていると思っている弘前が、自分のことを見つめていることになぜ気づかなかったのか。裕美が、弘前の視線を感じるようになったのは、弘前の最初の視線と、様相が変わってきてからのことだった。

 少し目線が変わってきたことで分かるようになったのだが、その意識は弘前が裕美を大人の女だと感じ、それまでの照れ隠しではなく、心身ともに大人の女になったという意識を持ったからではなかったか。

 裕美はそのことを分かるはずもなく、弘前の方は、裕美のことを女としてというよりも、女性としての紳士的な視線で見ることができるようになったことで、裕美が自分を見ていることに気づいたのだと考えていた。

 二人の間の感情は、誰であろうとも入り込むことはできなかった。それがいくら兄である雄二であっても同じことで、もし、雄二が入り込むことができる場合があるとすれば、

「兄としてではなく、男として裕美のことを愛するようになった時だ」

 と言えるのではないだろうか。

 雄二には、裕美のことを女として見ることはできなかった。

 確かに、一緒に住んでいて、ドキドキしないわけではなかった。

 異母兄弟だとはいえ、父親が同じなので、血が繋がっていないわけではない。その思いがあるから、雄二は、妹を愛することはできないのだと思っていた。

 しかも、生まれた時を見ていて、自分が子守をしていたという意識が強い。

 その思いの強さが、血の繋がりという意識とともに、裕美との間の結界を意識することなく、結界をやり過ごしているのだろう。

 弘前は、その頃もまだ、頻繁に坂口家を訪れていた。

 祝賀会を境に、裕美が家にいることは少なくなった。

「今日も裕美ちゃんいないんだ」

 と雄二に聞くと、

「ああ、そうなんだ。最近、新しい友達ができたようで、その友達のところに行っているんだ。今までだったら、お前が来る時は特に家にいることが多かったような気がするんだけど、どうしたんだろうね?」

 というではないか。

 弘前はそれを聞いて、ホッと一安心だった。

――そうか、裕美ちゃんも友達ができて、出かけているだけなんだ――

 と、嫌われたくないという思いもあってか、裕美が家にいないことの理由を聞かされたことで安心する自分が少し恥ずかしい気もしていた弘前だった。

 雄二は、裕美と弘前の微妙な気の遣い方に気づいているわけではなかった。むしろ、雄二としては、裕美が誰かを好きになるのであれば、弘前が一番いいと思っていた。しかし、そう思えば思うほど切ない気持ちになるのは、仲良くなっていく二人を見ている自分が辛い気持ちになるからだということを、その時は分かっていなかったに違いない。

 公立大学に一発で入学できるだけの頭は持っているが、あくまでも勉強を中心とした頭ということで、機転を利かせたり、自分の発想をさらに豊かにさせるといった。そんな頭脳ではないのだ。

 雄二は堅物ではないと思うが、こと妹のことになると、思い込みがどこかにあるからなのか、頭が固くなってしまうようなところがある。それが、

「兄妹としての感情」

 なのか、それとも、

「兄妹としての気持ちをさらに進展させたところに存在している結界の向こうにあるものなのか?」

 という感情を、雄二には想像できるほどの精神的な余裕がなくなっていたようだ。

 雄二のどこにそんな気持ちがあるのか分からなかったが、気が付けば、この二人にそれぞれ、何かが迫ってきていることに気づかなかった。しかも、それが二人ともお互いに時期を違わずということだったのは、年齢的には必然であるが、本当に必然なのかどうか、誰が分かるというのだろうか?

 雄二と弘前は大学生になったが、付き合いは続いていた。そこに、妹の裕美が絡んでいるということを二人は分かっているのだろうか。裕美がいなければ、弘前が、坂口家にいく理由がなくなるからだった。

 もっとも、大学に入学してからすぐの頃は、お互いに気を遣ってか、連絡を取ることはなかったが。それをありがたいと思っていたのは、雄二の方だった。

 実は当時、湯治には、

「何か理由は分からないけど、寂しさがこみ上げてきているような気がする」

 と感じていた。

 弘前の方は、別に寂しさも何も感じていなかった。大学に行く毎日が楽しく、梅雨前くらいは、

「どのサークルに入ろうか?」

 という平和的なことを思っているだけだった。

 友達も大学生としては、多すぎもせず少なすぎもしない。大学というところは、こちらから話しかけることはなくとも、相手から話しかけてくるところである。だから、話しかけてきた相手にいかに合わせるかというのが、大学生活での最初の問題であり、だからこそ、高校時代までの友達の存在を忘れてしまうほどになるのも、無理もないことだったのだ。

 だが、雄二の場合は少し違った。

 入学した大学で、お約束のように、友達でもない連中が声をかけてくる。雄二は最初の頃はちゃんと返事をしていたが。そのうちに返事をしなくなっていた。億劫だというよりも、返事を返している自分を想像することが嫌だったのだ。

 生真面目な性格が、こんなところでも違和感として出てくるのだった。

 まわりが、そのことを悟って、話しかけなくなってくる。

「やっと、清々した」

 と思うのだが、一抹の寂しさが襲ってくる気がした。

 だが、それは寂しさではない。寂しさではないと分かっていながら、寂しさとして納得させようとする、矛盾している考えに、違和感を感じていたのだった。

 自分にとって、寂しさが何であるか、そのことを真摯に考えようとしたのは、その時がひょっとすると初めてだったのかも知れない。

 そう思うと、今まで自分が真摯な気持ちで生きてきたということを、自分で否定しようとしているかのようで、嫌だった。

 その思いを寂しさとして、一絡げにしてしまっているように思えた。

 それが、

「五月病」

 であるということを、雄二は分かっていなかった。

 五月病という名前はもちろん、どういうものを五月病というのかということも分かっていたはずなのに、それを自分で結びつけることができなかったのだ。

 もし、これを弘前に話していれば、

「それは、五月病というものだ」

 と教えてくれただろう。

 弘前だけではなく、その時自分のまわりにいた友達だって、それくらいのことは気づいたはずだ。

「気づいたことも気を遣って話すことができないほどの友達しかいない」

 ということが、雄二にとっての五月病を引き起こす要因だったのではないかと言えるのではないだろうか。

 そんな五月病であるが、それはあくまでも、個人差というものがある。だから、罹る人は結構いるといわれるが、実際に罹った人を見るということは珍しいといわれる。

 それよりも、自分が五月病に罹ってしまい、まわりを見る余裕がなかったからではないかというのも一つの説ではないだろうか。

「五月病」

 という言葉と、寂しさ、いわゆる、

「やるせない寂しさ」

 という言葉が、切っても切り離せない関係にあるというのも、まんざらウソでもないかも知れない。

「五月蝿」

 と書いて、

「うるさい」

 と読むが、五月というのはいろいろと比喩する言葉として当て嵌まるものが多い。

 五月の中で一番最初に思いついたのが、この五月蝿いという言葉だというのも、実に皮肉なことであろうか。

 そんな五月病に罹ってしまったことを、まわりの人は分かっていたようだ。その症状から、

「五月病だろうね。一時期は きついかも知れないけど、すぐに治るから心配しなくてもいいって」

 と、義母が弘前に話してくれた。

 きっと、父親と話をして、父親から諭されたのだろう。確かに五月病はうつ病のような感じになるが、ほとんどは、一過性のものであり、すぐに治るものである、

 そもそも、五月病というのは、誰が罹るというのだろう? 社会人になっても罹るといわれるが、社会人と大学生とでは、天と地ほどの違いがあるので、そのギャップに苦しむというのは分かるが、大学生というと、逆にそれまで縛られていた。あるいは、自らが縛っていたタガが外れて、開放的になるはずなので、それのどこに寂しさであったり、うつ病のような気持ちになるというのだろうか?

「大学生における五月病というのは、それまで自分を縛り付けておくことで、一つの目標に向かって、余計なことは考えないでよかったんだが、大学生になると、急にそのタガが外れて、いい言い方をすれば、開放的になるが、悪くいえば、何事も自分で考えて判断しなければいけなくなる。それまでは、まわりが腫れ物にでも触れるように接してきたが、今度はそうはいかない。すべて自己責任になるんだ。それに耐えられないと思うのが、五月病なんじゃないかな?」

 と言っている人がいたが、

「まさにその通りかも知れないな」

 と、弘前は話を聞いて納得がいった気がした。

 だが、弘前には、そのような五月病はなかった。高校時代は、自分の方が雄二よりも縛られているという感覚が強かった気がする。気を遣っていたのは雄二の方であって、高校時代に余裕がなかったのは、弘前の方だった。

 考えてみると、余裕があったからこそ、余計に不安を感じたのかも知れない。

 高校時代には、それなりにリーダーシップが取れていたのだが、今度、大学に入ると、皆に余裕があり、それだけに上下関係もハッキリとしている。

 しかも、今までどこにいても輪の中心という感じだった雄二にとって、大学一年生というのは、一番下で、上下関係では、どんなに優秀であっても、一番下の学年なのだ。

 どちらかというと実力主義を考えていた人間が、今度は、年功序列のような、封建時代を思わせる身分制度を感じさせられると、理不尽に考えたとしても無理もないことだ。

「時代を逆行しているではないか」

 と思ったことだろう。

 特に歴史は好きな科目で、歴史を理屈から理解していた雄二にとって、

「時代には流れというものがあり、それに逆らうようなことをすれば、確実に時代は後退するものなんだ。それを歴史は実際に証明しているではないか」

 と言っていた。

「例えば?」

 と聞くと、彼は三つ、大きな歴史の転換期を語った。

「まず、一つは、乙巳の変と呼ばれる一連の事件からの大化の改新時代のことだね。あの時代は、海外と平等に付き合っていこうとして、仏教を厚く保護しようとした蘇我氏と、新羅に陶酔し、助けようとした、中臣鎌足や中大兄皇子らが日本古来の宗教を推し進めようとした流派にクーデターを起こされてしまったことだね。今までは、自分たちの独裁を目論んだ蘇我氏を、中大兄皇子や中臣鎌足らが、成敗したといわれているけど、実はそうではない。ある意味、聖徳太子がやろうとした改革の前にまで戻ってしまったといってもいいだろう」

 といった。

 これが一つ目で、二つ目は、

「平家の滅亡だね。平清盛は、福原の港を開いて、海外貿易や海外文化を積極的に取り入れようとしていたが、権力を握るために、貴族化してしまった。源氏は、東国節を味方につけるために、今までは土地を貴族や僧侶が手にしているという荘園制度というものを覆し、領主が農民に土地を保証する代わりに、戦争などの時には兵役と、税としての年貢を納めるという主従関係のハッキリとした封建制度が拡充したよね。これは、大化の改新と並んで、日本の歴史が、百年後戻りをしたといわれることがらだったんだよね」

 ということだった。

 確かに、この二つは歴史上でもターニングポイントとして習ったことだが、学校で習うのは定説であり、

「史実は正しかったんだ」

 ということしか教えてくれなかった。

「そおして、もう一つは、信長暗殺かな? 明治維新の坂本龍馬暗殺を口にする人もいるけど、坂本龍馬の思想はその後の明治の元勲によって達成されているからね。確かに明治初期は一部の人間によって腐敗もしかかったけど、それは坂本龍馬が生きていたとしても変わらないかも知れない。だけど、織田信長という男の存在は、彼一人がいるいないで、時代がまったく変わっていたという意味で、私は本能寺だと思うんだ」

 と、雄二はいうのだった。

 そんな時代を考えていた雄二も五月病に罹ったというのは、やはり、

「五月病は恐るべし」

 と言っても過言ではないのではないだろうか?

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