第2話 喫煙率

 令和三年になると、すでに七十五歳になっていた茂三であるが、これまでの人生をよく振り返るようになった。

 中年になるくらいまでは、結構、学生時代のことなどをよく思い出していたが、四十代も後半くらいから、あまり過去のことを思い出すことはなかった。

 そのかわり、自分がまだ若いという錯覚を覚えるようになっていて、その感覚があるから、過去を過去だとは思わないのだろう。

 そのくせ、すでに自分の年齢をしっかりと意識しているのは、肉体年齢が年相応か、あるいは、それ以上だろうと思っているからに違いない。

 茂三は、これでも大学を卒業していた。今のように、

「猫も杓子も大学や専門学校」

 などということはなかった。

 当時、専門学校時代が珍しく、四年制の大学か、女の子であれば、短大などであろう。

 医大や、薬科大、商船大学などという、専門的な大学はあったが、今のビジネス専門スクールのような形態のものはなかったのだ。

 当時の大学生は、いや、大学生に限らず、ほとんどの人がタバコを吸っていた。

 統計によると、統計が始まった昭和三十年代から、今までずっと喫煙率は下がり続けているという。

 男子だけで見ると、今は二十パーセントちょっとくらいだろうか。しかし、昭和三十年代では、何と、成人男性の八割は吸っていたのだ。それから思えば、三分の一以上の差があるといってもいい。

 理由はいろいろあるだろう。

 昭和五十年代に入ってから叫ばれ出した、

「嫌煙権」

 というもの、それに付随するものとして、

「副流煙の効果」

 がどれほどのものかが大きな影響を示しているのだ。

 副流煙というのは、

「自分が吸ったタバコによる煙の影響よりも、他人が吸うタバコの煙の影響の方が大きく、肺がんなどになりやすい」

 というものである。

 自分が気を付けていても、まわりが気にせずに吸っていて、その影響で、自分が肺がんになってしまってはたまったものではない。これほど理不尽なものはないということで、副流煙の影響を鑑みて、

「嫌煙権」

 というものが叫ばれ出した。

 つまり、副流煙によって被害を受けないために、煙を嫌がることができる権利といえばいいのか、

「少しでも理不尽をなくそう」

 という運動が、世間で頻繁に起こるようになった。

 何しろ男子の八割がタバコを吸っているのだから、タバコを吸っていない人からすれば、たまったものではない。だが、八割対二割では、勝ち目はない。

 しかも、世間では、今のように禁煙場所など、ほとんどなかったのだ。

 一部の病院などにはあったかもしれないが、基本的にはどこでもタバコが吸えた。会社の事務所でも、会議室でも、電車の中でもホームでもである、

 つまりは、灰皿が置いてあれば、どこで吸っても構わない。そして吸っていい場所には必ず灰皿を設置してさえいればいいということになっていたのだ。

 しかし、嫌煙権が叫ばれ始めると、まずは、禁煙場所が設置されるようになる。会社の一部に禁煙場所を作ったり、電車の一車両を禁煙にしたりであるが、それは、まだ喫煙者の方が多かったからのことである。

 そのうちに、嫌煙権が強くなり、世間的に喫煙が悪いことのように言われ始めると、禁煙室が、今度は、喫煙ルームに代わってきた。

 つまり、普通の部屋では禁煙で、喫煙ルームだけはタバコを吸ってもいいという具合にである。

 そうなってくると、どんどん喫煙人口は減ってくる。それまで喫煙者だった人が、タバコを吸わないようになり、タバコが売れなくなった。そうなると、たばこ税が取れなくなることで、政府はタバコの値上げに踏み切ることになる。

 そうなると、タバコを止める人が、さらに加速するというループに入るのだった。

 禁煙者には、これほどありがたいことはない。

 それでも、タバコを吸い続けるやつらはいて、基本的に元々マナーの悪かったやつらが、タバコを止めるわけもなく、分母が減ったのに、分子が減らないのだから、喫煙者のマナーの悪さが目立つようになってきた。

 そのため、質の悪い連中のために迷惑をこうむる人たちがたくさんいて、その中で実は一番迷惑に思っているのは、

「マナーを守って喫煙している人たちではないか」

 といえるのではないだろうか。

「たちの悪いやつらのために、真面目にタバコを吸っている俺たち、愛煙家までが、禁煙の人から白い目で見られるんだ」

 ということであろう。

 禁煙者は、喫煙者を、

「十羽一絡げ」

 でしか見ないのだ。

 特に今まで八割の連中から迫害されてきた禁煙者にとって、やっと巡ってきた自分たちの意見を主張できる立場である。

 今の若い連中は、昔のことを知らないから、これが当たり前だと思っているのだろうが、昔を知っている人間からすれば、喫煙者がどれほど横柄で、ひどかったのか知らないに決まっている。

 最近までも、飲み屋だったり、パチンコ屋などでは、店の中や、台の前で吸えたりした。

 特にパチンコ屋のいる喫煙者は、まったく煙の行方などお構いなしだ。

 ちょっとでも煙たい顔をすれば、

「なんだ、ここでは吸っていいんだぞ」

 と、吸ってもいいというのを盾に、恫喝してくる。

 これほど、まるで、やくざかチンピラではないか。

 昔、嫌煙権が叫ばれるようになって、徐々に禁煙の場所が増えていった時、パチンコ屋や飲み屋でタバコを吸おうとしている人の中には、タバコに火をつける前に、

「すみません。タバコ吸ってもいいですか?」

 と断ってくれたものだ。

 今は、タバコを吸うこと自体が、まるで罪悪であるかのような風潮になっているのに、喫煙者が禁煙車を恫喝するというのは一体どういうことなのだろう。

 それほど世の中が腐りきっているということなのであろう。

「タバコというのは、身体に悪いから、規制しているというのに、それを喫煙を権利であるかのようにいうのは、どういうことなのだろう?」

 という人もいた。

 その主張は間違ってはいない。

 なぜならば、

「嫌煙権というのは存在するが、喫煙権というのは存在しない。パソコンで変換しても、嫌煙権は出てくるが、喫煙権は出てこないのだ」

 そして、法律的にも、そんな言葉は存在せず、

「喫煙の権利というのも、法的には存在しない。ただ、あるとしても、それは、かなり制限を受けるものであり、特に最近の受動喫煙という検知からは、さらに制限されるといってもいい。つまりは、嫌煙権を主張する人間に対して、喫煙を主張することはできない」

 ということになるのである。

 タバコを吸う人が、どんどんやめていくのは、こうした喫煙することによって、迫害を受けること。

 さらに、健康上も、肺がんになる可能性が一番高いということも証明されているのだから、いいことは一つもない。

 そして、度重なる値上げに対して、タバコを吸うメリットは何もないということだ。

 なんといっても、昭和の終わり頃から比べれば、タバコの値段は、二倍から、三倍近くにも跳ね上がっているのだ。それを考えると、本当にタバコを吸うメリットがどこにあるというのだろう。

 昭和の頃は、刑事ドラマなどで、ニヒルな俳優が刑事役などで、タバコを吸いながら、片方の手をズボンのポケットに突っ込み、咥えタバコをしながら歩いていて、すぐに道端に捨てて、革靴でもみ消すというシーンを見せられたものだ。

 それを恰好いいシーンとして放映していた時代だが、今そんなことをすれば、警察に捕まるレベルであろう。少なくとも罰金を取られて、周りからは白い目で見られるのが関の山である。

 それだけ、タバコというのは、

「百害あって一利なし」

 ということなのである。

 これが大麻や麻薬などであれば、大変なのだが、タバコではここまではない。だが、考えてみれば、麻薬などとどこが違うというのか、せめていえば、

「麻薬は、高額なので、やくざの資金源になったり、禁断症状や幻覚を見るために、事故や事件を起こしかねない」

 というのがあり、警察は撲滅を公然とできるのだが、タバコは、それに比べれば中途半端だ。

 受動喫煙禁止までやったのだから、この世から撲滅してもいいはずなのに、それができないのは、税収として、確立しているからだろう。

 たばこ税がなくなれば、その分を他で調達しないといけなくなり、間違いなく、消費増税に繋がるのは見えている。そういう意味で、タバコというのは、

「必要悪」

 の一つなのだろうか?

 この世に、いくつかの必要悪があるという。

 その中に、タバコも含まれているが、その発想として、

「依存症や健康被害の危険があり、周囲を不快にすることがあります。しかし、法律で国の税収を支えています」

 と言われている。

 つまりは、税の問題がなければ、必要悪ではなく、ただの悪だということになり、

「この世に必要のないものだ」

 ということになるであろう。

 同じ、二十歳になるまでは飲めないものとして、アルコール飲料がある。

 この場合は、

「飲みすぎると酩酊状態になり、問題行動を起こすことがあります。しかし、リラックス効果があるため、ストレス発散や社交場では欠かせないものとなっています」

 と言われている。

 酒にも酒税があるにも関わらず、ここでは税が問題にされていない。ストレス解消などの問題であれば、こちらは必要なものといえるので、

「必要悪」

 だといえるだろう。

 他には、

「医薬品、自動車、少く両添加物、戦争、やくざ、ギャンブル、リゾート開発など」

 というものがあり、それぞれに、一長一短があるのだろう。

 タバコに限っていえば、必要悪にもなりきれない、

 今の時代を鑑みると、どのような立場や寒天から見ても悪としてしか見えないという、

「絶対悪」

 に分類されてもおかしくない部類ではないかと思うのは、作者だけであろうか?

 今の時代は、昭和末期のような、

「タバコはどこでも吸えて、タバコを吸うのは、悪ではない」

 というような観点があった時代からすれば、今は全く違っている。

 今の時代にタバコを正当化しようなどというのは、ある意味自殺行為に思える。誰が何といっても、悪でしかないのだ。

 そんなことを考えていると、茂三の友達に、嫌煙をテーマにした小説を書いているやつがいたのを思い出した。

 茂三は、大学に入って文芸サークルに入り、小説を書いていた。その時は、まだ嫌煙権ということは、卒論のテーマになるくらい、まだまだ浸透していない時代だった。sの友達は、先輩が書いた卒論の、

「嫌煙権」

 ということに興味を持ち、彼は彼なりに、論文ではなく、フィクションとしての小説で、自分の世界の中で、嫌煙権という一つの話題を描こうとしていたのだ。

 一見、難しいように思えるが、普段からの不満を文章にしていって。それを物語りとして紡いでいけば、一つの物語になるはずである。

 小説を書き続けるということは、妄想の中で、物語を組み立てていくということであり、一種の、

「妄想遊びだ」

 といってもいいだろう。

 彼もどちらかというと、端艇小説のファンで、端艇小説を子供の頃に読んだのがきっかけで、小説を書こうと思うようになったというのだ。

 彼は、嫌煙権を小説にするくらいなので、極端な、

「勧善懲悪」

 な性格だった。

 時代としては、テレビが普及してきて。マンガを実写化したドラマ風の子供番組のほとんどが、勧善懲悪をテーマにしていたので、子供がテレビを見るというだけで、勧善懲悪に染まっても仕方のないことであった。

 特に彼の完全超額はかなりのもので、子供番組よりも、さらに勧善懲悪性の強い、時代劇などを結構見ていたのだ。

「悪は必ず滅びる」

 というのが、彼の口癖で、茂三もどちらかというと勧善懲悪だったので、子供番組はよく見ていたが、さすがに時代劇には抵抗があった。

 まずは、

「老人が見るものだ」

 という意識が強く、さらに、その思いがあるからか、

「時代劇というのは、老人相手なので、同じ勧善懲悪でも、大げさであったり、何かのアイテムが必要だ」

 と思っていた。

 それが、印籠であったり、背中の桜吹雪であったり、とにかく、何か一つ必殺技を持っていて、それをクライマックスになったら示すことで、勧善懲悪を成し遂げるというのが、老人向けの番組の作り方だったのだ。

 今でこそ、テレビ番組で、勧善懲悪系のものはなくなってきた。

 むしろ、悪が存在はするのだが、

「悪人に限って、権力を持っている。だから、その権力に主人公はいかに立ち向かうかということになるのだが、昭和のように、なんでもかんでも、悪をぶった切るということはしない。もっとリアルに描いて、時として、正義であっても、悪には勝てないということもあるのだということを示しているドラマだってあるのだ」

 といえるであろう。

 それだけ、時代は変わってきていて、勧善懲悪が正義の代表だなどということはなく、

「正義感だけでは、どうなるものでもないのが、この世の中だ」

 とばかりに、リアルさを強調する作品が製作されるようになってきたのだ。

 そっちの方がウケたりする。

 勧善懲悪が視聴率を稼ぐなどという時代ではなくなっているのだ。

「いつから、そんな時代になったのだろうか?」

 一つの転機としては、

「バブルが弾けた頃が一つの契機ではなかっただろうか?」

 バブルが弾けた時、神話と言われていたようなものが、一気に崩壊したものもあったりした。

 たとえば、

「銀行の倒産神話」

 などが、その一つではないだろうか。

「銀行は、絶対につぶれることはない」

 と言われていた。

 しかし、バブルの時期は、そもそもが、

「新規事業を開発すればするほど儲かる」

 という時代で、そのために、銀行に融資を頼む。

 銀行も、まさかバブルが弾けるなど誰も思っていなかっただけに、他に負けじと、融資合戦を繰り広げる。そのうちに投資した分が焦げ付いてくる。そうなると、完全な自転車操業が露呈し、にっちもさっちもいかなくなる。

 銀行は多額な融資を回収することができないのだから、当然、倒産するというのも当たり前のことだ。

 まるで算数の公式のような考え方なのに、どうして誰もバブルの限界というものを考えなかったのか、当時の政治家や、資本家、財閥の罪は重いのかも知れない。

 倒産を逃れるために、何とか公的資金を投入したり、債権者にそのつけを回したりしたが、そうなると、市場経済そのものが狂ってくる。これが、バブルの崩壊につながったのだろう。

 何といっても、一つを引き締めれば、他もうまくいくなどということはないのだ。基盤すべてが緩んでしまっているので、どこかに力を入れれば、バランスが崩れてしまって、崩壊を早めるだけになってしまう。

 要するに、一度支障をきたすと、絶対に修復は不可能なのだ。

 それが、バブルの崩壊であり、今までの経済を象徴しているのだ。

 ここ三十年間で政府がやってきたことは、そのほとんどが失敗で、その結果の今の時代なのである。

 そんなバブルの時代が終わりを告げたのは、会社で管理部に所属していた茂三が、一番身に染みて分かっていたのかも知れない。

 茂三の会社の管理部には、経理課、総務課、人事課などに分かれていた。

 人事課に所属していた茂三は、自分がちょうど、主任をしている頃に、バブルが弾けるのを感じていた。

 特に採用というところにおいて、顕著だった。まだ、リストラなどという言葉が出てくる前で、最初、バブルが弾ける数年前は、空前絶後ともいえるほどの、

「売り手市場」

 だった。

 逆に、その五年ほど前というのは、逆に大不況の頃で、大手企業が軒並み採用を自粛した時期でもあった。

「このまま、日本企業は衰退していくのだろうか?」

 と思っていると、どこでどうなったのか、一気に売り手市場となり、就職したいという学生よりも、募集の方が多いのだから、学生とすれば、引く手あまたというところであろうか。

 学生の中には、複数の有名企業から内定をもらい、どこを選べばいいかという嬉しい悩みだったくらいだ。

 しかも、別に優秀な学生でなくとも、そのような状況なので、企業側も人材確保に必死であった、

 内定の時期から、研修と称して、海外旅行に連れて行ったり、高級ホテルで、飲めや食えやの大宴会が催されたり、キャバクラのはしごもあったかもしれない。

 そんな時代が、二年ほどだっただろうか。完全に、

「ロウソクの炎が消える前の最後の悪あがき」

 とでもいえばいいのか、とにかく、人材の確保だけが急務だった、

 すると、バブルが弾けた。

 バブル前に請け負った仕事を、彼らの力を借りてこなしてしまうと、今度は、一気にバブル崩壊の手立てを打たなければならない。

 拡張した事業は、速やかに撤退。それにより、新規事業の社員は、解雇。

 そして、いよいよ本格的なリストラが始まった。

 まずは、定年間際の社員、さらに中間管理職の中から、リストラ候補の、リストアップを行い、依願退職をほのめかす。

「今なら退職金に色を付ける」

 という言葉で、誘うが、なかなかまだバブルの崩壊がどのようなものなのかを身に染みていない社員には、そんな言葉が通用もしなかった。

 しかし、実際に仕事を与えず、窓際に追いやり、気まずい雰囲気に持っていけば、社員の方から、退職を言ってくる人もいた。

 そして、数年前、あれだけ、

「ヨイショ」

 して、入社させた入社三年目くらいの連中を、集団で依願退職させる。

 彼らとすれば、

「会社に裏切られた」

 としか思わないかもしれない。

 いや、本当に裏切ったのだ。会社のためとはいえ、これまでおだてにおだてて確保した連中を、最上階まで登らせて、そこで、はしごを外すという暴挙に出たのだ。集団で、

「自殺しろ」

 と言っているようなものである。

 そんな会社であったが、彼らにとって、そのままこの会社にいて本当によかったといえるだろうか。

 次第に会社は衰退していった。規模も縮小し、倒産寸前までいった。茂三も、路頭に迷うのを覚悟したほどだった。

 しかし、

「捨てる神あれば拾う神あり」

 大企業が、合併を申し込んできた。

 もちろん、百パーセント吸収される側ではあるが、それでも、社員にとっては、路頭に迷わない分よかった。しかし、上層部は一新され、会社内では、

「吸収された側の社員」

 として、給料面では差があきらかで、仕事をしていても白い目で見られる。

 またしても、ここで、リストラが吹き荒れる。それでも残った社員がどれだけだったことだろう。

 そんな時代がしばらく続いただろうか。その頃には、働き方が大きく変わった。それまでは、コマーシャルなどで宣伝していた栄養ドリンクのキャッチフレーズで、

「二十四時間戦えますか?」

 というものがあった。

 とにかく仕事をすることが正義であり、仕事は山ほどだった、何しろ、ほとんどの大企業は、新規事業を立ち上げているのだ。そして、そこに下請け、孫請けなどが受注を受けて、仕事をこなすというような社会体制になっていた。

 それだけ人もたくさんいたし、新規事業、さらには新店を立ち上げるとなると、夜を徹しての仕事になる。

「一体、いつ寝ているんだ?」

 というくらいに働きづめであったが。それでも仕事をしただけの給料はもらえたので、今よりは労働意欲があったに違いない。

 しかし、そのうちに、どんどん新規事業から撤退するようになり、いわゆるバブル経済が限界に達してくるのだった。

 そもそも、

「実態のない泡のようなものを商売している」

 というのが、文字通りのバブルであった。

 株であったり、土地などを、右から左に流すことで利益を得るという人が多く、

「土地ころがし」

 などという言葉もあったくらいだ。

 そんなバブルが弾けると、一気に不良債権が膨れ上がり、自転車操業の運転資金はなくなってしまう。

 銀行も融資した分がまったく回収不能になるので、融資ができなくなる。

 元々、銀行や金融業は、利子で設けているわけだから、過剰に融資することで、その分の利子が膨れ上がり、儲けていたのだ。

 バブルの時代は、少々過剰に借りたとしても、

「次に借りる手間が省けた」

 というくらいで、

「銀行で引き出すお金が。一万円のつもりが、二万になった」

 というほど、別に害はなかったのだ。

 それなのに、それを運転資金にしていると、利子にすら手を付けてしまって、首が回らなくなる。

 バブルの時代が、

「別にいいのに」

 というほど、銀行は貸し付けてくるくせに、経済が回らなくなると、銀行はまったく見向きもしてくれない。

 もっとも、銀行の被害は、尋常ではなかった。過剰融資という罪深いことをしたつけがまわってきたのだろうが、それを差し引いても、銀行はひどいものだっただろう。

「銀行がつぶれることはない」

 という銀行不敗神話が、あっけなく崩壊したのだ。

 その時にどうすれば生き残れるかということで、合併しかないという考えに至ったことで、何とか生き延びた銀行であるが、考えてみれば、今の大手銀行が、元々どこの銀行だったのかなど分からないほど、合併している。

 昔の大手都市銀行と呼ばれていた財閥系の銀行が、他の財閥系に銀行と合併するなど。当時誰が考えただろう。

 そこまでしなければ、生き残ることはできなかったのだ。

 そんな時代だったのだが、仕事において、会社の収入が減って、売り上げが伸び悩むと、今度は考え方を百八十度変えるしかなかった。

 それまでは、売り上げを上げれば利益が出るという単純なものだったが、今度からは売り上げにめどが立たない。そうなると、支出を減らすしかなくなってくる。

 そこで、経費節減が言われるようになった。

 もちろん、一番の経費は、人件費であるが、人件費を減らしながら、社員に対して、

「使用していない電機は消しましょう」

 などと、実に細かいところを指導した。

 さらに、

「定時になったら、皆会社を出てください」

 と、残業を許さないようになった。

 確かに仕事は減っているが、人員もカットされるので、仕事量は却って増えてしまったりする人もいた。この時の弊害として、

「楽な人は楽だが、忙しい人は忙しい」

 とばかりに、仕事が一人に偏ってしまうという問題が発生したりしていた。

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