防刃チョッキ義務化

島丘

防刃チョッキ義務化


 20××年より義務化が決まった外出時の防刃チョッキの着用は、定着するに相当の時間が必要と考えられた。

 未着用確認次第罰金をとるにしても、朝の通勤ラッシュ時など一人ひとり確認する暇などない。学校や会社で確認するようにと通知をしても、上手くいかないのが現状だった。

 成長ざかりの子供たちにこんなものを着せるなとPTAが声をあげ、従業員の少ない中小企業では「どっちでもいいよ」と軽い対応。大企業こそ受け持ってはくれるが、不満の声はあちこちからあがった。


 今年度より交通安全課の課長を任された吉橋よしはしは、頭を悩ませる毎日だ。上からはせっつかれ下からは批難され、民衆の支持も得られず成果も得られない。

 そのせいか、最近活気づいている自警団とやらも、我々こそが警察に成り代わる存在だと声高に主張していた。

 そんな連中を黙らせるよりも優先されるのが、防刃チョッキの定着なのだ。


 何せ義務化だ。決まったのだ。もはや子供を一人で留守番させられるような平和な時代は終わったのだから。

 どうすれば定着するのかと悩む吉橋のデスクに、湯気のたった湯呑が置かれる。


日山ひやまくん。私は猫舌だと言ったろう。熱いのは苦手なんだ」

「はぁ」


 事務員の日山は、交通安全課では数少ない女性の一人であった。束ねもしない長い髪をいじりながら、日山は言う。


「言ってましたっけ」

「四度目だよ」


 そうっすか、と。それで仕舞いだ。

 親のコネだかなんだかで入ってきた彼女は好き放題している。仕事中には堂々と携帯をいじり、昼休憩だと言って二時間帰ってこなかった。デスクで煙草をふかし、高いヒールは歩く度に廊下に響き渡る。だが妙な色気と愛嬌がある女で、なぜか一部の同僚や来客には好かれていた。

 吉橋とて彼女が苦手ではあるが、とんでもなく嫌っているわけでもない。


 日山は吉橋のデスクに手をつき、広げられた書類を覗き込んだ。


「なんすか、これ」

「お、おいおい、勝手に見るなよ」


 慌ててかき集める。責任問題とまではいかないが、見られていいものでもない。紙には義務化の未定着、防刃チョッキ使用率のパラメーター、売れ行きの推移、企業や会社での対応、問題点など、吉橋の頭痛の種があちこち蒔かれていた。

 日山は悪びれた様子もなく「すんません」と軽く頭を下げた。あんまり最小限の動作だったので、最初は何をしているかわからなかったくらいだ。


「つーかあれっすよね。チョッキ全然流行りませんね」

「うぐっ、い、痛いところつくなぁ」


 デスクに戻りながら、日山は言う。真隣に座る日山の同僚は電話対応中で、いつもよりワンオクターブ高い声で謝罪を繰り返していた。恐らくまたクレー厶だろう。防刃チョッキ義務化についてのご意見ご相談は、すべてここに回ってくるようになっている。

 他の職員もみんな忙しなくしていた。暇そうなのは日山だけだ。

 彼女は足を組み、肘をついて爪を眺め始めた。


「まぁでしょうねって感じっすわ。あんな重くてダサいもん誰が着るかっつーの」

「いやいや、安全のためだからね。国民の、皆さんの」


 強調して言うと鼻で笑われた。こちとら一応上司である。


「つってもまだまだ日本人なんて平和ボケまっさかりですよ。どこどこで人が刺された、殺された、強盗にあった暴力をふるわれた。今に限らず昔から、日本のあちこちで起こってたことじゃないっすか。それを今さら自衛しようなんて」

「件数が比じゃないんだよ、十年前と比べて」


 事実危うい状況なのだ。他国との戦争の気配は、見えこそしないが肌の表面を撫でている。触発されてか何なのか、世間が殺気立っているのも事実だ。

 だからこそ、自分の身は自分で守るべきだと、あちこちで自警団なるものが騒いでいるのだ。


「実際防刃チョッキしてた方がいいんだって。どこで何があるかわかんないんだから」

「つっても必要性がいまいち湧かないっすからね」

「必要性……」


 必要性、か。確かにそれは重要だ。

 一昔前に、自転車に乗る際のヘルメットの義務化が始まったときも、今と同じような問題に直面した。それでもじわじわと浸透していったのは、必要性を皆が感じ始めたからだ。


 交通事故にあって強く頭を打ち付けたものの、ヘルメットをしていて助かった。その逆に、ヘルメットをしていないがために亡くなった。そのような話が散見され、次第に一人、また一人と、人々はヘルメットをつけるようになった。

 それと同じことができれば、解決するかもしれない。だが何年先になるのやら。早いところ成果を出せというのが、上からのお達しなのだ。


「いっそ刺されりゃいいんすよ」

「は? え?」


 突然物騒なことを言い出す日山に、吉橋は目を丸くした。だが言葉の意味を理解して、奇しくも自分と同じことを考えていたのだなと気付く。


「一回刺されりゃわかりますって。チョッキの必要性」


 言った直後、電話が鳴った。他の職員は手が離せない状況だったので、さすがの日山も受話器を取る。相変わらず電話対応を舐め腐っているとしか思えない話し方だが、今はそれどころではなかった。

 とある考えが、頭からなかなか離れなかったのだ。


 いいや、そんなことをしてはいけない。国民を危険に晒すというのか。本末転倒ではないか。そもそも倫理的にどうなんだ。世間にバレたら辞職で済まない。


 現実的な問題点が次々と浮かんでは消えていく。しかし――


 吉橋はパソコンのメールを開いた。上司からの催促だ。最低でも半年以内に好転させよとのお達し。そんな無茶な。できなければ降格まったなしときた。

 もはや手段は選んでいられなかった。家で待ってる八歳の娘と、愛すべき妻のため。是が非でも結果を出さなければならない。

 吉橋は決意した。悪魔と契約する心持ちで、大舞台から飛び降りる勢いで、ひとつの電話をかけた。



 三ヶ月後、防刃チョッキの使用グラフは右肩上がりとなっていた。

 メディアではこぞって防刃チョッキの必要性が囁かれ、はやりのYouTuberなどは、『防刃チョッキ比べたった』などの動画を打ち出している。最近では買った防刃チョッキを自己流にアレンジする者も多く、ときに可愛らしく、ときにより強固に、様々な防刃チョッキが世間を賑わせた。


 上司からのお褒めの言葉に、吉橋はニヤニヤを隠しきれていない。

 この三ヶ月の努力は無駄ではなかったのだ。


 物騒な連中を雇い、人々を襲わせた。防刃チョッキを着ている人には腹を、着ていない人には腕を狙わせた。

 万が一捕まって情報がバレないように細心の注意を払い、身代わりとして他の人間を犯人として差し出したりもした。一部の警察ともグルだ。


 ある日、とあるインフルエンサーが被害にあった。つまりターゲットになった。

 彼女はチョッキを着ておらず、腕を切りつけられ全治二週間の怪我を負った。自身のチャンネルで防刃チョッキの大切さを涙ながらに語った。

 視聴者からは同情と共感と批難のコメントが相次いだ。それが火種となり、あちこちで燃え上がったわけだ。


 吉橋の計画は、ついに発芽した。今や防刃チョッキは、出せば出すほど売れていく大人気商品だ。大型量販店勤務の妻も、在庫がなくて困っていると言う。


「それもこれも日山くんのおかげだよ」


 影の功労者である日山は、三ヶ月経った今も、変わらず仕事をサボりまくっていた。そうして相変わらず無愛想な顔でスタスタ机にやって来たと思うと、一枚の紙を差し出してきた。


「辞めます」

「は?」

「つーか今どき紙で退職届け出すなんて古いっすよ。今何年と思ってるんすか」


 呆気にとられる吉橋など目にも入っていないのか、日山はさっさと自分の机に戻っていた。そして三日後、本当に辞めてしまった。

 必要書類を全て揃え、数少ない仕事の引き継ぎまで完璧にこなした上での退職だ。まったく意味がわからない。


 しかし今の吉橋には、辞める職員を気にかける余裕はなかった。出社最後の日、いつも通りさっさと帰ろうとする日山を呼び止めて、ありきたりな労いの言葉をかける程度だ。


「課長もあれっすよ。恨まれる立場にいるんすから、ちゃんと防刃チョッキ着たほうがいいっすよ」


 最後にそんなことを言って、怠惰な台風のような事務員は去っていった。



 さて、その翌日のことだ。吉橋は朝のニュースに釘付けになっていた。

 防刃チョッキを定着させるために、警察が不正を働いたと報道されていたのだ。吉橋が行った数々の不正が、赤裸々に語られていた。


 語っているのは女性だ。パリっとしたスーツにまっすぐで綺麗な黒髪の、利発そうな女性。

 それが日山だと気付くのに、しばらく時間がかかった。

 警察を敵視する自警団に所属していると知ったときには、飲み込むのに更に時間がかかった。

 画面越しでも脳髄にまで響く凛とした声と、昨日の気だるそうな声が重なる。


『恨まれる立場にいるんすから』


 最後の言葉の意味がわかって、吉橋はその場で立ち尽くした。

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