西暦2059年4月13日(日) 15:00

 15:00。

 配信への参加を終えたYOSHIはログアウトし、エヴリィカのプランナー・マネージャーと軽い打ち合わせと今後の予定の話をし、「そろそろしおれてる頃だろう」と予想して、『先生』に電話をかけた。


「こちら善幸、どうぞ」


『どうぞ? じゃないが』


「どんな感じだ? 状況は」


『めちゃくちゃ、めちゃくちゃ、問い合わせ来たに決まってるだろう……! 君なぁ! 世界的に指折りの強さと見られてる男が一介の新参Vliverに負けたとか話題になったらどうなったと思う!? 君が負けてVliverの勝ちと表示された画面のキャプチャだけ拡散されてどうなったと思う!? 君の名前ずっとトレンド1位でこっちどうなってたと思う!?』


「大変だったろうなぁ……って」


『大変だったが???』


 YOSHIは貸してもらっている部屋のベッドに腰を下ろした。

 高いベッドは、まあまあぽふんとする。


「あれは敬意の表明に必要な行動だった」


『必要なわけがないだろ! なんなんだ! その思考は!』


「また儲けてるんだからいいことだろう、先生にとっては。エヴリィカの注目度が上がっただろ? 話題性で株価の類が上がっただろ? それに乗じて儲けてるだろ? その儲けはまた海外の資産家からの投資に偽装してセンターに入れて施設運営に使ってるんだろ? 俺を使って稼いでバレたことがないものな、先生は」


『………………………………………』


「一体どうやってるんだ? 公安が一回突っついて何も出て来なかったことは知ってる。普通のインサイダー取引の類じゃないとは思うんだが……」


『教えるわけがないだろう、君に』


「それもそうか」


 電話の向こうの『先生』は、どこか疲弊していて、元気な時の対大人嫌味ラッシュがなく、普段よりずっと話しやすくて、彼の性格の下地にある理知的な部分が多く表に出ていた。


『うーん、うーん、ここでかなり話題性が高まること自体は予想してたんだけども、君が上手くやってVliverチームなんぞが上まで勝ち抜いていくことは予想してたんだけども、流石に初手でここまで話題になるだなんて……』


「だろうな、そうなると思ってやった」


『なんでだ!?』


「有価値の話題性とやらを事務所に手土産で渡した方が今後やりやすいだろうなというのが1つ。もう1つは、俺の評価を下げつつ、俺の実態的な話題性を確認しておきたかったからだ」


『実態的な話題性? ……ああ、なるほど、面白いな……"配信業はよく知らないけどそれ以前に俺は俺のネットでの評価も正確には知らない"ってことか。善幸君の好きな言葉で言えば、敵を知り己を知れば百戦あやううからずとかそういうの』


 1を語れば10を知る。

 性格が死ぬほど悪いことに目を瞑れば、先生は善幸にとって話しやすい相手であった。察してくれるから楽、とも言う。


「俺には悔いるべき記憶がある。俺が、野球の大会で結果を残して注目されてからの話だ。俺は、近所の年下の子供に混じって野球を教えていた。でもそこに記者達と、なんだっけか……名前忘れた球児の奴が来て、1打席勝負しろ、記事にする、みたいなことを言ってきた。俺はどうでも良かったんだが、そいつらが来たせいで近所の子供達の練習が中断されちゃってな……俺目当ての奴らが、俺以外の奴らのための場所を踏み荒らして行ったんだ」


『君生まれてこの方野球の大会とか出たことないだろ』


「……まあ、たとえ話だ」


『んまあ、んまあ、言いたいことは分かる。ポシビリティ・デュエルでそういうことがあったって話だろう? 君を目的にして集まって来る人間は、エヴリィカのファンではないしエヴリィカを好きでもないから無神経な振る舞いをし、Vliverの娯楽的な界隈を荒らす可能性があるわけだ』


「そうだ」


『たとえばオンラインのフリー対戦で善幸君目当てで殴り込んで来て、もののついでにVliver達を全滅させてから善幸君に挑むとか、そういう害悪プレイヤーが来る可能性だってあるわけだ。流石にいくらか対策はあるんだろうけど』


「かもな」


『なら、一度"YOSHIが負けた"という半ば虚報の大ニュースで現在のYOSHIの話題性の規模を測っておくのは間違いじゃないのか……? しばらくすればどういう戦いの顛末だったのかは広がるわけだしね……"YOSHIはもう前ほど強くない"みたいなデマが拡散すれば一時的にYOSHI目当ての挑戦者も減るかもしれない、か……』


「そういうことになる」


『言われればまあ君らしい立ち回りには思える。それがどう転がるかはかなり不確定だが……どう転がるかは本当に運次第だな、これは……』


「そうだ、分からない」


『というか、というか、自分で言いたいことくらい自分で一から十まで語れ……なんで僕が君の言いたいことをことごとく一から十まで語らにゃならんのだ……』


「そうだな」


 電話の向こうで、先生が壁を蹴る音がした。


「ただ、少し思ってなかった事態になってきた」


『へえ、へえ……君の不幸か。是非聞きたいね』


「日程がキツい」


『は?』


 先生は思わず聞き返した。

 第一世代ロットである善幸とのここ20年弱の付き合いで、善幸の口から一度も聞いたことのない言葉だったからだ。

 そもそも、善幸が"キツい"と言うこと自体がめったにないことで、先生は反射的に天変地異の前触れかと恐れ慄く。


「ややこしくて一発で覚えられない日程だと思うが、聞いてくれるか」


『君と違って僕はお勉強が得意だから一発で覚えられるに決まってるだろう。君と違って』


「……まず、脚本ホンとしては4/13(日)に3人が気が逸って練習を初めて、それに俺が付き合って指導を開始してくれるみたいな感じの流れがリスナーに説明されてるんだそうだ」


『ふむ、ふむ。ん? 今日では』


「今日の昼だな。で、26日・27日あたりにTTT同期のポシビリティ・デュエルの既存チームがあるからそこと模擬戦をしてほしいと言われてる」


『商業主義の都合と話題性の都合を感じるねえ』


「それから4/28(月)にエヴリィカ五期生第一陣の1人が俺のチームに参入してくる……らしい。収録スケジュールで前後するらしいが」


『え、途中で増えるのかい、仲間』


「増えるらしい。で、5/9にデビューしたエヴリィカ五期生第二陣のメンバーが5/10に初配信して、5/11に俺のチームに参入することを電撃発表。即戦力になる奴だと聞いている。5/12にストリーマー大会のトーナメント組み合わせが発表されて、5/15から一回戦開始。この大会をVliver達を率いて勝ち抜いて欲しいと頼まれてる」


『……これだいぶキッツくないかい?』


「そういう話をしている」


『いやあ、いやあ、楽しくなってきたねえ!』


「そうか」


『是非もっとキツい人生を送ってくれ、な?』


 善幸は先程まで書いていた自分用のメモを、画像データで先生の下へ送った。



■四月

 12土 昨日 仕事受けた

 13日 今日 顔合わせ

    ↓

 この13日で未経験者を

 経験者とコラボできる実力に鍛えないと

    ↓

 26土 TTT同期が来るコラボ?

 27日 TTT同期が来るコラボ?

 28月 5人目が合流して仲間入り

      ↓

   ここの11日で詰められるだけ詰める

■五月   ↓

 9金 新人がデビューするらしい

 10土 デビューした新人が初配信するらしい

 11日 デビューした新人が6人目の仲間になる

    ↓

 この4日間で新人を連携に組み込む

 最低でも大会に通用するレベルに

    ↓

 15木 大会一回戦

 16金 大会二回戦

 17土 準決勝

 18日 決勝



 先生は口では煽っていたが、内心はちょっと引いていた。


『これは……フルに使っても中々……』


「フルには使えないぞ」


『は?』


「『対人練習配信しかしなくなると興味のないリスナーが離れるから、いつも通りの配信もさせてほしい』と頼まれた。メンバーは歌とかRPGとか、いつも通りの配信もして合間で俺の教導や特訓を受けることになる」


 先生はちょっとどころでなく引いた。


『……いや、いや、できるのかい? これ』


「俺の可能性を試すにはちょうどいい。この短期間と限られた時間で、あの3人を劇的な成長に導き、脚光を浴びさせることができるのか。試されているのは俺だ」


『他人から無茶振りされても怒らないでその結論しか出さない君は凄いよ、共感も尊敬も絶対にしないけども。ま、ま、僕は遠巻きに君の醜態を眺めて楽しむ準備でもしておくかね』


 電話の向こうで、先生が呆れの溜め息を吐く音がした。


 先生も薄々、この案件が"仮に負けても良い宣伝になるプロモーション企画"としての側面を持つことに気付き始めたのだろう。

 初心者がポシビリティ・デュエルでデビューし、世界チャンプの指導を受けてメキメキと実力を上げ、最終的に大会で勝つか負けるかまでを盛り上げていく、一ヶ月を丸々使ったリアルタイム進行の成長物語。

 スケジュールを見る限り、絶対に勝つために余裕を持って組んだスケジュールではなく、Vliver側のスケジュールに合わせてねじ込んだ面もかなりありそうだ。


 と、同時に。

 この無茶なスケジュールを組んでおきながら、風成善幸であればあるいは勝たせることができるのでは、という欲張った期待があることも透けて見えていた。

 先生は、そういう裏の意図を読み取る技能に長けている。


「だが、幸運にも才覚のある人間とチームを組めた。あの3人には『可能性』がある。後は俺がそれをどう磨いていくかで、結果が決まる」


『ホントぉ?』


「無論だ」


 この競技における『真の強者』とは、『誰にも負けない者』ではない。

 『強者が集まるトップ帯で安定して勝率5割以上の者』だと、善幸は考えている。

 勝率6割以上で紛うことなき天才。

 勝率7割以上で人外。

 勝率8割以上で、伝説となれるだろう。

 だがそれでも、10割は居ない。


 1000年に1人の天才が現れようとも、勝率10割に達することはありえない。

 それがこのゲームだ。

 『原作』においても、一時なれど不敗伝説を打ち立てたキャラは、どこかで必ず敗北を喫するようになっている。


 勝てば勝つほど、このゲームにおいては逆境となる。

 対策が進むからである。

 いかな強者も、対策を進められれば苦戦は免れない。

 裏を返せば、弱者であっても戦術・対策・連携によって、強者に拮抗する手段はあるということだ。


 善幸の見立てでは、あの3人を一ヶ月猛烈に鍛えたところで、ソロでのトップ帯勝率は良くて1割前後にしか届かない。

 あの3人を一線級に仕上げるならば、最低でも半年は欲しいところだ。

 しかしながら、それも戦術次第であると善幸は考える。


 善幸は強いが、強さだけでは勝ち抜けない。

 この案件で善幸が試されるのは、強さ以外の部分に宿る資質である。


『っていうか、っていうか、善幸君が全員ぶった切って終わらせていけば、足手まといが居ても関係無く勝てるんじゃないか。ストリーマー大会とか、どうせ大した奴居ないだろうし……』


「世間を舐めるな」


『世間を舐めるな!? 君は僕を舐め腐ってないか!?』


「金が回る界隈には才人が集まりやすい。配信だろうと、競技だろうと。多くの界隈では、アマチュアの上限とプロの下限に境界線はほぼ無い。そして、プロゲーマーっていうものは古今東西、収入の補助のために配信者を始めてることが多い」


『つまり?』


「金回りが良く、アマチュアトップ層が集まり、プロゲーマーも混ざっているストリーマー大会では今の所、俺のチームに勝ち目は無い」


『嘘だぁ~~~~~え? マジ?』


「マジだが」


 風成善幸には、『原作知識』があった。


 先生のように善幸の強さを知り、大会に出るストリーマーのレベルを知らない人間ならば、「勝ち目はあるはず」と楽観視することもあるだろう。

 善幸だって、無知なまま油断していたら大した準備も無く大会当日を迎えていた可能性はあった。


 だが善幸は、かのネオ・ストリーマーズ・サーバーに巣食う強敵共つわものどものことを知っていた。

 大会の参加予定メンツの中で、一際目立つ配信勢達。

 彼らは『原作』の『ネオ・ストリーマーズ・サーバー編』における強力なネームド・キャラクターだったからである。


 潜伏と狙撃のみを愛し、どんな狙撃対策もすり抜けて敵チームの中核メンバーを仕留めて持久戦で勝つ塩試合メーカー『アイリス』。


 品性の無さと容赦の無さを抜群の才能と桁外れの練習量で包み込む炎上系ガンアクション配信者、『ディスりーランド』。


 他ゲーの世界大会で優勝してから金欲しさにポシビリティ・デュエル中心の配信者業に転向したものの、対戦配信で連戦連勝な割にトークが下手でファンが増えない『柴田勝つイェイ』。


 声が可愛いからと大手事務所のVliverにスカウトされ、お遊びで始めたところたまたま国内最高峰の才能が開花し、ゲームを始めて一週間で全国大会ベスト4の選手に完封勝ちをした『相良あいらびゆ』。


 圧倒的な総合力によりシンプルに隙がなく、YOSHIでも数の優位を作らなければ戦いを避けたい程の実力者、氷雪の停理アイスエイジ花鳥風かとか雪月ゆづき』。


 その他諸々、善幸らにとって油断ならない相手が跳梁跋扈するのがネオ・ストリーマーズ・サーバーである。

 おそらく5月の大会には、そのサーバーの原作ネームドの何人かが、あるいは十数人以上が参加するだろう。


 ネオ・ストリーマーズ・サーバーの群雄割拠が本格化するのは、原作通りなら原作主人公がデビューする来年からであるはずではあるが、今の時点で恐るべきユニットが揃っていることは間違いない。


「5月のストリーマー大会で優勝出来たら6月の大会でTTTのチームを2つ受け持ちませんか、とかもエヴリィカの人から言われてる」


『気が早いな! 期待されてるなぁ!』


「先に軽くそういう話をしておけば、いざという時に俺の方が長期的なスケジュール調整を勝手にやってくれるんじゃないかという本音があった気がする」


『あー、あー……とりあえず、こっちで控えてた君の仕事関連の連絡先一覧送っとくよ。スポンサー企業の窓口とか、担当の電話番号とか含めて。スケジュール関連で何か使えるかもしれない』


「助かる」


 先生から送られてきた"使うか分からない仕事の小道具"をデータフォルダに入れ、善幸は軽く目を通していく。


『いや、いや、というか、だね。やっぱり普通の配信の方は一時的にやめてもらえばいいんじゃないかい? 事前交渉の時から思ってたけど、エヴリィカは善幸君を軽んじてるわけじゃない。結果的に無茶振りしているだけだ。いやそれもどうかとは思うが! 善幸君を尊重してる事務所なら、こっちから色々要求しても難色は示さないはず。善幸君が指導に注力する以上、向こうもその期間は特訓に集中して他のことをしないのが礼儀なんじゃないか? どうせVliverの普段の配信なんて遊んでるのと変わらな───』


「必要ない。俺が勝利に導けるか、それができる可能性があるかどうかだ」


『まぁたそういう……』


 何気ない会話の中で。


 何気なく、善幸は言った。


「それに、あの楽しげな場所はずっと残っていてほしい。『いつも通り』が奪われることで、失われる日常や、そこで毎日得られていた楽しさが無くなるかもしれない。俺はあの3人に強さを与えるが、それと引き換えに、あの場所にあった楽しさを代価に支払わせたくない」


『……ん?』


 先生は、善幸の何気ないその言葉に、さらりと流せないほどの特大の違和感を覚え、訳も分からず思考が止まった。


 その違和感を、先生は言語化できない。


『珍しいことを言うじゃないか。君の口からそんなセリフ、初めて聞いたよ』


「そうか? あ、言うの忘れてた。泊まり込みで教えてくれたりしないか? みたいなことをチームメンバーの男に頼まれてな、俺もエヴリィカのVliverが寝泊まりしてる宿舎の一室をしばらく貸してもらうことにした。これなら時間を見つけて直接指導できるしな。後で引っ越すから部屋のものはそのままにしといてくれ」


『いつもそうやって頼まれたら聞くんだからな君は!』


「すまん」


『……。渡しておきたいものもあるから、センターに帰って来るならその前日には連絡入れておくんだぞ……』


「何をくれるんだ? 罰?」


『此処はゴルゴダか? いいから時間が出来たら帰ってきなさい。来月大会なのは分かっているけども、それ以前に4/27は君の20歳の誕生日だぞ』


「……あー……」


『忘れるなよ……』


 その後もいくつかの打ち合わせをして、今後の方針を確認、互いの認知をすり合わせ、通話は終わった。


「よし」


 そして善幸は、部屋の備え付けのデスクに向かう。


「始めるか」


 今から3時間。

 1人1時間、3人分で3時間。暫定的な3人の育成プランと、その後使っていくフォーメーションを考える。

 普通の人間では真似できない不可思議で不可能な予測によって、最終的な育成完成形と、そこから展開するにあたって最適な戦術を想定することが、善幸にはできる。


 何故ならば。


「俺の全身全霊をぶつけて、ズルをする」


 不寝屋まう。

 伊井野いのり。

 アチャ・東郷。


 この3人が数多くの試行錯誤を経て自分なりのスタイルを確立した後の戦闘シーンを、善幸は見た覚えがあった。


 『最速で原作のレベルまで押し上げる』……3人のアバターを見たことで連鎖的に蘇った記憶を深掘りすれば、それができる。それは善幸だけに許された反則だった。






 19:40。

 スキルツリー想定、トレーニング内容、連携パターン、特化技能訓練、その他諸々の暫定的計画を組み終えた善幸は、背伸びをした。


「んっ……」


 くぅ、と腹が鳴る。

 11時前に腹に入れたラーメン・カレー・オムライス・フライドポテトも既にエネルギーとして使い切られてしまった。

 約9時間ぶりの食事を求め、善幸はのそのそと共用ロビーの自販機に向かう。


 こうして、善幸がこの『アルタミラの洞穴』の一室を拠点にしてみて、初めて分かったこともあった。

 楽なのだ。

 圧倒的に楽。

 目の前のことに打ち込んで、気付いた時に部屋を出て、共用ロビーや廊下にある冷凍食品の自販機をぽちぽちするサイクルが圧倒的に楽。

 楽なのだ。

 善幸もまた、この洞穴の生き方の常識にあっという間に飲まれつつあった。


 共用ロビーへと降りていくと、部屋に飯を持ち帰ろうとしている男、高層ビルじみた階段を上り下りして運動不足を解消している男などとすれ違う。

 どうやらここには、各々の生き方と在り方が詰まっていて、それが事あるごとに色とりどりの顔を見せる場所らしい。


「お」


「あ」


 そして、共用ロビーに降りたところで、善幸は見知った顔を見た。

 車椅子。

 黄金の麦畑のような髪。

 絶世の美女。

 伊井野いのりの、中の人だ。


 善幸の顔を見るだけで幸せになった、と言わんばかりに、いのりは陽気ににこにこと笑った。


「こんばんは~せんせ~」


「こんばんは、だな」


 共用ロビーの隅にはコンロがあり、そこで料理ができるようだった。

 車椅子が自動で変形して高さを合わせ、いのりがそこで料理をしている。

 今は何かを煮込んでいるようだ。


 今日の配信中に善幸が見ていた、猪獣人のメイド姿だったいのりのビジョンが、料理をしている今のいのりに重なって見える。


「料理をしてるのか」


「えへへ~数少ない得意技~。あ! せんせ~も食べていかない~?」


「え? いや、俺は……」


「だめ? いや?」


「……いや、別に嫌とかではないが……」


「いぇ~」


「それじゃあ、まあ、いただきます」


 善幸はいのりのすぐ後ろの椅子を引いて座る。

 テーブルに肘をついているが、いのりが体の不自由ゆえに怪我をしそうになったなら、すぐに助けられる位置だ。


「今日もお疲れ様~せんせ~が頑張ったおかげでわたしも助かった~デイリーめでたしめでたし~」


「ああ……いや……その……なんだ、いのりも頑張ってたな。教えてる側だったからよく見えてた。一番知識も無いのに、周りの人の声をよく聞いて、しっかり考えて、ちゃんと動けていた。俺が知る限り最も勤勉な初心者だった」


 いのりはきょとんとし、照れた様子で笑む。


「えっへへ~さんきゅーさんきゅ~」


 立ち上がって手を伸ばせば届く距離。


 ほんの少しの空間に、暖かな空気が満ちる。


 と、そこで、"いのりと待ち合わせをしていた"2人がやってくる。


「おん? おう、ヨシ! あんたもメシか! な、な、一緒に食お? な?」


「ズッケズッケ行くなおめえはよぉ! リアルで会ったら配信の距離感は忘れてまず敬語でコミュニケーションでしょうがぁ! 僕は悪くねぇ! まう師匠が勝手に……」


 一見して女性らしい部屋着。

 されど部屋着とは思えないほどハイセンスで、リラックスできそうなゆったりとした生地の上着に、さらりと着こなされたスタイリッシュなスラックスを合わせた、灰髪ポニーテールでつり目の女性。

 不寝屋まうの中の人だ。


 もう片方は、善幸には見覚えのない男。

 しかし口調で誰だか分かる。

 身長がギリギリ160無い低身長、見かけを実年齢より5~10歳は若く見せる丸顔の童顔、どこか性根を悪く見せる目つきの悪さ、どことなくオタクっぽさを感じさせる楕円の丸眼鏡。しかし、丁寧に切り揃えられた髪やピシッとした黒の私服は、大人になりきれない印象を残しつつも、しっかりとした清潔感とちゃんとした人間性を感じられた。

 おそらくは、アチャ・東郷の中の人。


「東郷は現実だと初めてか。YOSHIだ。本名は風成善幸」


「へけっ。アチャ太郎なのだ」


「平家? 確かに俺はYOSHIの名前から源義経にたとえて語られることも多いが……」


「本物のYOSHIだぁ! 天然物だ! わぁー!」


 東郷がきゃっきゃして、善幸がいつもの無感情な顔で見つめていると、いのりが善幸の前にお椀を置いていく。

 テーブルに置かれたお椀の中には、熱々のポトフがあった。


「はい、どうぞ~いっぱいあるからいっぱいおかわりして大丈夫だよ~」


 善幸は割り箸を割って、ポトフに手を出す。

 わんぱくな食欲に身を任せた善幸はまず肉を食いたいという衝動に身を任せ、ポトフに浮く牛肉をつまみ、口に運んだ。


 そして、目を見開く。

 不味い、美味い、ではない。

 そのポトフは、優しかった。

 とても優しい味がした。

 腹の底から暖かさが染み渡り、心まで満たされるような。


「……」


 善幸は続き、カブに手を出す。

 善幸は目を見開いた。

 つまみやすい程度の硬さがあったはずなのに、口に入れた瞬間ほろりと溶けたかと錯覚するほどの柔らかさ、そして中まで味が染みた結果として生まれた味わい、旨味の塊のカブ。

 野菜嫌いでも間違いなく絶賛するだろうと思うほどに、癖がない。


 次にニンジンを口に運ぶ。

 善幸は目を見開いた。

 適切な糖度のニンジンを選択し、ダシをよく染み込ませた味わいは、自然な甘みと旨味が組み合わさったハーモニーを奏でている。

 カレーに放り込まれたニンジンよりなお食べやすく、かつスープ内部で『牛肉の添え物』としての役割を最大限に発揮し、牛肉とニンジン双方の存在感を高めていた。


「……」


 やがてスープの中に隠れていた、半透明のタマネギの存在に気付かされる。

 善幸がそっとつまんで口に運ぶと、口の中でとろりと溶けた。

 善幸は目を見開いた。

 まるで、口に運ぶまでタマネギになりすましていたスープがそこにあったのかと錯覚させるような火の通し具合。

 口の中でとろりと溶けたタマネギの残りを噛みしめると、小気味良いシャクッとした食感と共に、スープとタマネギの味が混ざった旨味のうねりが舌を撫でる。


 善幸が期待度を高めてスープを飲めば、舌を満足させる塩胡椒の適度な風味と、それを押し包む多重層的な出汁の味わいが感じられた。

 善幸は目を見開いた。

 肉の出汁、野菜の出汁、そしておそらくは下地に使われた昆布とコンソメの下地の風味か。

 味が薄いわけではなく、さりとて濃すぎるでもなく。

 熱々でなければゴクゴクと飲みたくなるような飲みやすさが、出来たて熱々の状態で良さを引き立てられ、ゆっくりと味わいたくなるスープとして完成している。

 じんわりと染み渡るような優しい味と温かみは、まるで口と胃の両方で味わっているかのよう。


「……」


 不味い、美味いではない。

 そのポトフは、優しかった。

 美味しいことは確かなのだが、それ以上に優しかった。


 病気の時に食べさせる料理のような。

 野菜が苦手な子供を野菜に慣れさせる料理のような。

 母親が子供の誕生日に振る舞う料理のような。

 絶品料理とはまた違う、人の心が求め、人の体が受け入れている、そういう料理。


 善幸は深呼吸し、深く頷き、認める。


「俺の負けだ」


「へ?」


 おかわり自由といういのりの言葉を、善幸は真摯に受け止める。

 善幸、まう、東郷のためにいのりが置いたお椀は3つ。善幸は1つを完食し、残り2つを同時に掴んでそれも食べ始めた。

 まうと東郷は戦慄する。


「躊躇いもなく2つドローしよった!」


「強欲な壺?」


「うける~」


 いのりはまうと東郷の分を改めてお椀によそって、今度は香ばしい香りと共に鳥の胸肉を焼き始めた。

 善幸はもりもりとポトフを平らげつつ、3人に状態を問いかける。


「練習後の疲労感はどうだ?」


「ちかれた~と言いたいとこだけど、まだまだ全然頑張れるよ~!」


「疲れちゃってェ……まあでそこそこ動けるくらいかな僕は」


「余裕やな」


 いのりは楽しそうに微笑んでいて、東郷は少し感じた疲労感を絶対に表に出さないようにしていて、まうは全く疲れている様子がなかった。


 YOSHIが見たところ、3人の残り体力はいのりが45、東郷が65、まうが110といったところだ。


「……」


 人にはそれぞれの個性がある。

 その一部は、異能とも言える強みを持つ。

 一般的に異能の天才と見られている風成善幸は、不寝屋まうが自分に無い異能を持つことを完全に理解した。


 脳裏に浮かぶのは、ここ2日分の不寝屋まうのスケジュール。



●06:30【朝活】見せたる、うちの新しいダンベルを【不寝屋まう/エヴリィカ】

●20:00【ポシビリティ・デュエル】わいとたたかえ……重大発表も!【不寝屋まう/エヴリィカ】

●22:00【#いのまう】アイドル(Remake ver.)/不寝屋まう・伊井野いのり(cover)

●23:00【同時視聴】リメイク版おにめつ映画見よや!【不寝屋まう/エヴリィカ】


●06:30【朝活】ポシビリティ・デュエル流行りのスキルセット検索の旅【不寝屋まう/エヴリィカ】

●11:30【ポシビリティ・デュエル】結成! 新チーム! GOGO合同練習【不寝屋まう/エヴリィカ】

●17:00【公式】ぶっちゃけ生トーク! 人生で一番美味しかった焼き肉は何?【不寝屋まう/うさみのうづき/大河ぱとら/ミス赤兎馬/エヴリィカ】


20:00 ←今この辺


●22:00【メン限】うたえ、わがのど【不寝屋まう/エヴリィカ】



 他の誰よりも無理をしているはずのスケジュールで、他の誰よりも無理をしていない異様な体力。壊れない体。壊れない喉。疲労しても病気になりにくく、体調を崩しにくい免疫力。少しの休憩で体力が戻る回復力。毎日配信を行うのが当たり前のVliver環境において、天性の資質を持つ体。


 善幸がいかに無理な特訓を課そうとも──技術的にそれをこなせるかは別として──体力的には絶対に振り落とされないに違いない。

 おそらくは、無理なスケジュールの中で最も頼りになるタイプの人種。


「なんやヨシ、初めて見る目でうちを見とるな」


「働きアリみたいなやつだな、と……」


「働きアリ!? なんでや!? 仮にも女子やぞ!?」


「僕が解説してやろう。働きアリは皆メスなんだ」


「知っとるわぁんなこたぁ!」


 わいわいと賑やかになっていくロビーを横目に眺め、料理をしながら、いのりは楽しげに微笑んでいる。


「一番、男東郷! YOSHIのモノマネやります! ヨーシヨシヨシ、世の中の奴らはとんだザコばかりヨシねえ……ヨシが本気を出したら全員小便漏らして逃げ惑うに決まってるヨシよ」


「俺はそんなこと言ってない」


「不寝屋まう、お前船降りろヨシ」


「俺はそんなんじゃねえだろ! おい!」


「ヨーシヨシヨシ!」


「ヨーシヨシヨシじゃねえんだが?」


「あははははっ」


「ふふふ~~~」


 笑い声が場に満ちる。


 善幸が今まで出会ったことのない人種が居て。


 善幸が今まで感じたことのない空気があった。


 ここは未知なる場所であり、今は彼を受け入れてくれる居場所でもあった。

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