西暦2059年4月12日(土) 22:00

 風成善幸はログアウトを行い、現実世界で背伸びをする。

 意識が電脳世界に飲まれることにより数時間同じ姿勢のままだった体は少々固まっており、多少柔軟運動をさせる必要があった。


 剣型ネックレス式フルダイブコンピューターを首から外してデスクの上に転がすと、閲覧履歴にフルダイブ直前に見ていた事務所の配信スケジュールが残っていたことに気付く善幸。

 気まぐれにもう一度開くと、『知らんVliberだらけのタイムスケジュールは目が滑るだけだな』と思っていたタイムスケジュールの一部で目が滑らなくなっている自分に気付き、少し驚いた。


 知った名前のところが、ちゃんと頭に入るようになっていた。

 分からなかった異国の言語が突然分かるようになったとか、そういうことではない。

 頭に入らなかった配信者の名前と配信の内容が、頭に入るようになった。そんな些細な違いであったが、善幸にとっては肌に慣れない自己の変化であった。



●06:30【朝活】見せたる、うちの新しいダンベルを【不寝屋まう/エヴリィカ】

●20:00【ポシビリティ・デュエル】わいとたたかえ……重大発表も!【不寝屋まう/エヴリィカ】

●22:00【#いのまう】アイドル(Remake ver.)/不寝屋まう・伊井野いのり(cover)

●23:00【同時視聴】リメイク版おにめつ映画見よや!【不寝屋まう/エヴリィカ】



 そして、頭に入るようになったから分かることもある。


「……既に録ってたカバー曲は労力かからないとして。それでも今日は一日四回配信してるのか……」


 『あんな真面目な配信を一日に四回もやっているのか』と思うと、胸中に湧き上がる敬意というものもある。

 善幸はしみじみとして、まうのcover曲──『歌ってみた』とも呼ばれる歌──を再生しようとして、そこで手首の機械端末が振動した。


 確認すれば、エヴリィカからの連絡である。

 中身を見れば、今エヴリィカとYOSHIの協同の電撃発表と、それ以上に『YOSHIがかなり新人のVliverに負けた』という話題性によって、今トレンド1位がずっとこの話題になっていること、それによる緊急対応についてであった。


 と、いうか、YOSHIが気付いていなかっただけで試合中からトレンド1位自体は取っていたらしい。

 時間の通達間違いによって発生したこれは事務所としては想定外の形のトレンド1位であり、予想外の情報漏洩や炎上が起こる可能性があるため、叶うなら今すぐ、できないのであれば明日の朝一番に事務所に来て契約書を交わしてほしいらしい。


 内容としては、機密をバラさない、常に情報の共有と報告を行う、炎上対策のチェックシート、事務所の利益を損なわないという努力目標、などなどだそう。


「忙しいな」


 善幸は急いで身支度をして、オンライン注文ページから24時間自動運転自動車派遣サービスを利用、5分と経たずに到着した自動運転自動車に乗り込んで手早くエヴリィカ事務所に到着した。

 この反応の速さと身軽さは、善幸と普段付き合いのある企業の全てがありがたいと思っているところである。


 事務所の外観や内装に目もくれず、善幸は事務所の受付から先に……進もうとしたが進めなかった。

 六階建ての事務所は上から下まで全てがてんやわんやの状態で、ほぼ全ての部屋から活発な声が聞こえてきていて、YOSHIは受付の前で5分か10分ほど立ち往生させられていた。


「本当に申し訳ありません! 今は応対に回せる空き部屋もないみたいで……」


 YOSHIはちらりと視線を横に走らせる。

 よその人間に見られるとまずそうな書類を抱えたものが小走りに移動していて、よその人間に見られるとまずそうな書類が詰まった箱がエレベーター横に積まれていて、よその人間に見られるとまずそうな書類を棚の上に置いたまま窓際で取引先と長電話している人までいる。


 善幸は、『部屋が1つも空いていないからYOSHIを奥に通せない』と言うよりも、『事務所内部が死ぬほどゴタゴタしている時に、機密契約をまだ結んでいない人を奥に通して、書類を覗かれるなどして機密を知られることは社内ルール上許されてない』の方が実態として正しいような気がしていた。

 善幸の勘は、いつもぼんやり当たる。


「すみません、YOSHIさん。今日はソロライブとか新衣装とかがあった上に、近日周年ライブとか誕生日記念イベントゴールデンウィーク大型企画とかが控えてまして……YOSHIさんからすれば知ったことではない事務所の事情なのは分かっていますが……」


「構いません。お忙しいところにお邪魔して、こちらこそ申し訳ないです」


 敬語モードの善幸は、文句も言えない。

 何故ならば、聞こえてくる事務所内部の会話を聞く限り、どう考えてみても。


「へへ、今週も土曜深夜に召喚されて日曜出勤だわ。こんな召喚獣なかなか無いわよね………………………………」


「召喚獣なんて基本召喚拒否ないでしょ、社畜獣ならなおさら。普通のサラリーマンなら日曜は休みでしょうけども配信者は休日祝日もずっと配信してて、休日祝日も常に炎上したりバズったりしてるもんじゃないすか。事務員に休みなんてないでーす」


「めっちゃくっちゃにバズるのは嬉しいんだけどさ、コラボし始めた外部トップゲーマー絡みってのがなーかなかなか危うく感じない?」


「感じなくもないですけど別に大丈夫なんじゃないすかねえ。今のところファン層の傾向から考えてもこっから大炎上に転がりそうな気配はないす」


「そっかぁ」


 この事務所のゴタゴタの原因は、結構な割合が善幸自身であるからだ。


 むしろ視点を少し変えれば、結構な割合で原因であるくせに申し訳ないとも思っておらず、しれっとした顔で受付で謝罪を受けている善幸が一番いい性格をしていると言えるのかもしれない。


「YOSHIさん、すみません。場所を移して説明を受けていただいて、契約書にサインしていただく形でも大丈夫ですか?」


「いいですよ」


「ありがとうございます!」


 善幸は受付の事務員に連れられる形で事務所を出て、事務員に連れられるままやや広い敷地に建てられた3連の建物を目視した。

 3つの塔が並ぶようにも、3つの箱が並ぶようにも見える、見慣れたような、見慣れないような形状の建物。

 塔にも箱にも見える3つの建物はその合間を繋げるような部位がいくつかあり、そこに焦点を合わせて見ると、どこか3本の木を蜘蛛の巣が繋げているようにも見えた。


「あれは『アルタミラの洞穴』って名付けられたエヴリィカ専用の宿舎ですよ、YOSHIさん。○○荘みたいな名付けがありならそういうのもありだろ、と当時の偏屈な設計者が名付けたそうです」


「……」


「現在、当事務所所属の配信者の半分ほどと、配信者と日常的に接するタイプのマネージャーがここに住んでいます」


 善幸には『アルタミラ洞窟壁画』で知られ、ユネスコ世界遺産に登録されている旧石器時代の原始人達の棲み家に倣って「原始時代の先祖を想え=初心を忘れるな」というメッセージが込められたネーミングを理解できるだけの教養が存在しなかった。


「男女両方のVliverがあそこに?」


「3つの区画が電子管理隔壁で区切られてるので流石に一緒に暮らしてるってほどじゃないらしいですけどね。会いに行こうと思えば会いに行ける、やろうと思えばすぐにオフコラボができる、くらいの生活環境と聞いてます。それも嫌な配信者はあそこにそもそも住まないって聞いてます。2020年代にそこそこ隆盛したという、1つの事務所のバーチャル配信者達が同じ高級マンションの部屋を一斉に借りるやつに似てるとか話をしてた人が誰かが言ってた覚えがありますね」


「外様が勝手な想像するのもどうかと思いますが、それで間違いは起きないんですか。男女が近くに住み、男女の関係がそれで生まれたら、最悪そこから大炎上で事務所が揺らぐことも……」


 善幸は、至極当然の疑問を口にした。


「あー全然大丈夫ですよYOSHIさん。監視カメラとAI管理で個別の行動記録から『そういう』のの片鱗は検出できるようになってますし。今時『AIの行動監視で検出されなかった秘密の熱愛』なんてものがありえるなんて思う人はそうそうおりませんしねえ。それに……」


「それに?」


「……これから事務所と契約する予定の人に言うのもなんですけど、うちの事務所は社長の性格がめちゃくちゃ悪いんですよ」


 受付の男は、善幸にひそひそと内緒話を語り出す。


 "皆が知ってる公然の秘密をまだ知らない人に教えて知識自慢するのが好きな人格なんだろうな"と、善幸はこの短時間で眼前の男の本質を見抜いていた。


「YOSHIさんに語るのは釈迦に説法みたいなものですが……今、ポシビリティ・デュエルってデータの共有によって色んな所でスキルが使えるじゃないですか。元々色んな企業やコミュニティがポシビリティ・デュエルのベースデータを流用したフィールドの上で展開していたから、元々スキル使える所も結構あったのに」


「そうですね」


「で、噂なんですけど……うちの事務所の社長、読心系のスキルの達人で、スキル使用可能エリアを使ってこっそりと事務所所属のVliverが『熱愛してるか』『熱愛しそうか』『そうなる傾向はあるか』とかを定期的にチェックしてるらしいんです」


「───へぇ」


 受付の男は一瞬、周囲の気温が下がった気がして周りをきょろきょろと見回すが、何もなかったので気のせいだと思って話を続ける。


「噂だと事務所に入れられる面接の時点で社長がある程度スキルで内面の傾向と資質を見てるとかいう話もあって……でもこの噂聞いても皆『まああの社長ならやるんじゃね』みたいな感じなんですよね、ははは」


「よっぽどな性格をしているみたいですね」


「はい、よっぽどな性格をしているみたいです」


 破壊力、絶対力、維持力、同調力、変化力、知覚力。

 スキルを形作る6つの力。

 その中でも同調力と知覚力を並行して極めた者は、他人の心の中まで覗くことを可能とするという。


 とはいえ、それは理論上の話。

 善幸から見ても達人級の神業であり、他人が心に秘めた恋心を正確に見抜くどころか、将来的に熱愛で炎上するかどうかさえも見抜いてしまうなど、善幸がこれまでの人生で見たこともないほどのハイエンド・スキルである。

 それは、善幸にも不可能なレベルで技能であると言えるだろう。


 『戦闘に一切興味のない在野の達人』……善幸は今後の仕事相手のトップが闇の底を蠢き姿を見せない魔物の一種であることを知り、自身の中の衝動が強まっていくのを感じていた。


 未知なる達人は、善幸にとって未知なる方法で善幸を追い詰め可能性を試してくるかもしれない、そういう存在だから。


「事務員の贔屓目かもしれませんが、この事務所に恋愛沙汰による想定外の事故みたいなのが起きる『可能性』はありませんよ。みんながいい人だからじゃなくて、社長より性格の悪い人類が存在しないからです」


「なるほど」


「あと、こういう噂もありますが。社長は『恋愛で炎上するのを防止するため』というもっともらしい大義名分を得て配信者の炎上の気配全般を監視するため、この『アルタミラの洞穴』を作ったとかいう話もありますよ」


「……なるほど」


 こういう信頼もあるのか、と善幸は思った。






 アルタミラの洞穴の共用ロビーで、善幸は説明用の資料と契約書類を渡された。

 事前説明を聴き、契約関連の書類を読み……という作業を繰り返していたが、問題は善幸の想定の十倍以上長いことだった。


 この世界のこの時代のVliverの機密保持契約は、抑止力を大して期待されていない一般層が用いる機密保持契約とは多少毛色が違う。

 なにせ他の業種よりイメージが持つ金銭的価値が遥かに高い界隈だ。

 契約違反により情報流出が起きた時のダメージが他の業種より遥かに大きくなってしまう。


 しからば、『秘密を公開したらお前に賠償してもらうぞ』で契約し、『秘密をバラされても賠償してもらえればプラマイゼロだ』とはならない。


 むしろ、『こんなに重い罰則を用意してるんだから絶対にバラすなよ、最悪賠償すればいいとか思ってんじゃねえぞ、この罰則を見ろ、絶対に秘密をバラしたりすんじゃねえぞ』とした方がトータルのリスクは遥かに低く抑えられる。


 加え、情報漏洩についての説明・念押しが終わったら次は配信者として活動する際の注意事項についての説明が始まった。

 つまるところ、善幸は悪い言い方をすれば念入りにいたのである。


 過去の炎上事案。

 何がリスナーの逆鱗に触れたか。

 情報漏洩事件の一覧。

 近年流行りのウイルスやハッキングの解説。

 言葉尻を捉えられ誤解で拡散されたパターン。

 過去の発言を発掘されての曲解され炎上させられた事例。


 それはもうたっぷりと脅された。

 教導形式の脅迫であった。

 とてもためになる脅しであった。


「なるほど、分かった」


「YOSHIさんは理解が早くて助かります」


 善幸は長い説明を苦にしていない。

 むしろ徹底して先の先の『可能性』を想定するのは好ましいとすら思っていた。


「もう23時ですね。YOSHIさんまだ大丈夫ですか? まだ予定された内容は終わりませんが、よろしければアルタミラの洞穴に泊まる部屋を用意しますが」


「いいんですか? その方が楽そうですね。よろしくお願いします」


 ならば、想定の十倍以上長引いていることで、なぜ善幸は不都合を感じているのだろうか。



●23:00【同時視聴】リメイク版おにめつ映画見よや!【不寝屋まう/エヴリィカ】



 おそらくその理由は、善幸以外の誰にも察されていない。今日まで築かれてきた善幸のイメージに、あまりにもそぐわないからだ。


 善幸にとっては『戦友の仕事っぷりを覗きに行く』程度の気持ちであったのだが、「仕事が忙しすぎてVliverの配信をリアルタイムで見れない」という自分の思考があまりにも"話に聞く一般的Vliverリスナーの声"すぎて、善幸は苦笑してしまった。


 有名Vliverの生配信や、有名ソーシャルゲームの生配信は、『リアルタイムかつ最速でファン同士が語り合う』というところに娯楽の本質がある。

 善幸はそこまで到達していない。

 珍しく名前を覚えられたVliverの配信を気まぐれに見に行こうとしていた、そのくらいの話だ。


 だが、仕事中に"配信に間に合わないな"と思うこと自体、これまでの善幸であれば絶対にありえないということもまた事実である。

 説明、解説、契約、熟読、質問、回答。

 Vliver界隈で常態化している2~3時間のミーティングを越え、最後の契約書にサインをした頃には6時間を越え、時刻は4時半を迎えようとしていた。


「では、ここまでということで。YOSHIさん、長い間ありがとうございました!」


「こちらこそ、もたついて申し訳ない」


「いえいえ! では私は7時からプランナーの車を出す約束があるので仮眠取ってきます!」


 去っていく受付の男を見送る善幸。

 この事務所は機密保持契約の手続きを受付の人間でもこなせる程度に全職員の教育が行き届いているのか、あの受付の男が受付もやっているだけでそこそこ上の立場の人間なのか、最後まで不明であった。


「借りた部屋で寝るか」


 アルタミラの洞穴の共用ロビーから、男性用区画に向かう途中、女性と1人すれ違いそうになる。


 身長は140前後か、酷く小柄だ。

 低身長小柄童顔の割に、ファッションは洗練されていて、大人らしくスタイリッシュにまとまっている。

 服だけ見れば本屋の会計の向かいに置かれている平積みの人気ファッション誌の女性とそう変わらないように見える。

 大人っぽい服装にポニーテールを流しているのは、彼女なりのこだわりか。

 歩き方は堂々としていて、噛んでいるガムを時折膨らませ、鋭い吊り目でこれからすれ違いそうな善幸の顔をじっと見ている。


 善幸はその女性に興味の一片も抱いては居なかったが、女性は善幸の顔をずっと見ていて、すれ違う瞬間に善幸の肩をポンと叩いていく。


「明日から、ちゅーか、今日からよろしゅう」


 その声に。

 その口調に。

 善幸はとても心当たりがあった。


 善幸がバッと振り返ると、その女性はとっととエレベーターに乗って下に降りて行ってしまった。


「……リアルでキツい印象の吊り目なのを気にしてる女子がVliverになると、柔らかい印象の垂れ目を要望することが多いとか検索してた時に見たが……なるほど、分かった」


 善幸は納得したように頷き、時計を見て、「ん?」と首を傾げる。

 そして腕の機械端末を操作し、閲覧履歴からエヴリィカの配信タイムスケジュールを再度確認する。

 確認するのは、昨日と今日の不寝屋まうの配信スケジュール。

 今の時刻は、早朝の4時半あたり。



●06:30【朝活】見せたる、うちの新しいダンベルを【不寝屋まう/エヴリィカ】

●20:00【ポシビリティ・デュエル】わいとたたかえ……重大発表も!【不寝屋まう/エヴリィカ】

●22:00【#いのまう】アイドル(Remake ver.)/不寝屋まう・伊井野いのり(cover)

●23:00【同時視聴】リメイク版おにめつ映画見よや!【不寝屋まう/エヴリィカ】


04:30 ←今ココ


●06:30【朝活】ポシビリティ・デュエル流行りのスキルセット検索の旅【不寝屋まう/エヴリィカ】

●11:30【ポシビリティ・デュエル】結成! 新チーム! GOGO合同練習【不寝屋まう/エヴリィカ】

●17:00【公式】ぶっちゃけ生トーク! 人生で一番美味しかった焼き肉は何?【不寝屋まう/うさみのうづき/大河ぱとら/ミス赤兎馬/エヴリィカ】

●22:00【メン限】うたえ、わがのど【不寝屋まう/エヴリィカ】



 こいつ相当だな、と善幸は思った。


 不寝屋まう、不寝ねずのネズミ。


 武器は根性。


 人呼んで、自分にだけは負けない女。

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