四月、発覚。
「…………はぁ……」
名前も知らない転校生の顔を思い浮かべて、僕は教室の左側最前列の席でため息をついた。決して人見知りをしているわけではない。ただ、できることなら他人と不必要に親しくなりたくないだけで、人付き合いが苦手という意識はなかった。
しかしあの女生徒の顔を見た瞬間、僕はどうしてしまったのだろう。
ただただ言葉もなく、呆然としてしまった。
理由は分からない。
何やら胸の中がモヤモヤするし、どこかじれったい感情もあった。
それでも僕には、この感情に的確な名前を付けることができないのだ。何故ならずっと、そういった感情の起伏を避けてきたのだから。そういう観点から見れば自分は、もしかしたら軽度の人見知り、なのかもしれなかった。
だが、とにもかくにも終わった話だ。
彼女とは校門前で別れて、きっともう会うことはない。仮に廊下ですれ違っても、あんな明るい性格の女生徒が自分などに構う理由が見つからなかった。
だからもう、終わり。
何度でも言うが、これで終わりだった。
「おーい、そろそろホームルームを始めるぞー!」
そんなことを考えていると、思考を寸断するように担任が教室に入ってくる。
彼は生徒たちを適当にあしらいながら、教壇に立つと一つ咳払いをした。
そして、何やらいつもとは違う言葉を口にする。
「その前に、転校生を紹介する」
「……え?」
僕の頭の中はそれによって、完全に真っ白になった。
周囲の歓声もどこか遠くに感じる。まるで時間の流れが緩慢になったかのような、不思議な感覚だった。距離感さえもあやふやで、教室の出入り口までが引き延ばされているように思える。そして、その先に立っているのは彼女だった。
束ねた髪を静かに揺らし、自信たっぷりに肩で風を切りながら。
彼女はまた、僕の目の前に現れた。
「今日からうちに転校してきた門脇だ。……ほら、挨拶」
「はい、分かりました!」
担任の言葉に元気よく答える女生徒――門脇さんは、無邪気な笑みを浮かべながら自己紹介をする。
「門脇麻衣です! よろしくお願いします!」――と。
◆
容姿端麗な転校生がやってきた。
それはきっと、普通の高校生活で体験できるような話ではない。それこそアニメかドラマの中だけの話で、おおよそ現実に起こり得るとは思わなかった。
そんなふうに考えるのは、僕だけではない。
クラスメイトはホームルームの間、各々ずっと何かを話していたし、休み時間の現在に至っては門脇さんを取り囲む始末だった。
「え、えっと……?」
みなが一方的な質問を投げかけるのに対して、彼女が困惑している様が手に取るように分かる。もちろんだが、僕はその一団に加わっていなかった。
そうなると、どうしているか。
僕はいつものように最前列の席で寝たふりをしていた。
少しでも顔を上げれば、見たくなくても他人の寿命が見えてしまう。だからこのように振舞うしかないし、クラスメイトも『荒川はそういう奴だ』と認識していた。
そのため今さら、こちらを構う奴なんていない。
例えば、そんな都合などまったく知らない奴でもない限り。
「ねぇ、荒川くん? ……あ、真守くんって呼んだ方が良いかな?」
「…………え……?」
――そう、こちらの都合など知りようもない相手でない限りは。
耳に心地よい声に、僕は息が詰まった。そして漏れ出たのは、まるで幼い少女のようにか細い答え。いいや、答えにすらなっていなかった。
僕の中にあったのは、ただただ困惑だったから。
いや、それは決して僕だけではない。
周囲のクラスメイトも、驚いたように何かを言い合っているのが聞こえてきた。つまり現在、この場にいるすべての人の視線が、自分に注がれている。
そのような状況は、いまだかつてなかった。
だから、どのように対応すれば良いのか分からない。
「んー……?」
そんなこちらの顔を、小首を傾げて覗き込もうとする門脇さん。
自分がいったいどんな表情をしているのか、それも気にはなった。だがしかし、それ以上に問題なのは、この息の詰まるような感覚だ。
胸が苦しい。
心なしか、顔が熱いようにも思えた。
いったい自分に何が起きているのだろうか。そう、考えていると――。
「みんな、私ちょっと荒川くんを保健室に連れてくね!」
「え、ちょっと……!?」
何を勘違いしたのか、門脇さんはそう言って僕の身を無理矢理に起こした。
そして、半ば強引に引きずっていく。周囲はそんな彼女の行動が想定外だったのか、なにも答えずに見送った様子だった。
そうして、僕と門脇さんは授業直前で人の少ない廊下に出る。
ひとまず視線を合わせないように保健室に向かって歩くが、そんなこちらに彼女は軽快な語り口調でこう話しかけてきた。
「具合が悪いなら、正直に言わないと駄目だよ? 自分では大丈夫だって思ってても、悪化する前になんとかしないと!」
「………………」
何故だろう。
こうなってしまっては適当に相槌を打てばいいものの、いまの僕にはそれすらできなかった。ただずっと、門脇さんの明るい声が廊下に響き続ける。
こちらの手首を掴んだままの彼女の手は、柔らかい。
そんなことを意識すると、余計に下の根が渇いていくのを感じた。
「えっと、たしかここを右だよね……?」
しかし彼女は気にした様子もない。
僕だけが過剰に反応して、挙動不審になっているのが明らかだった。それがどうしても苦しくて、やるせない。そう思った時だった。
「ねぇ、荒川くん? さっきは本当にありがとう!」
「あ……!」
不意打ちのように、門脇さんがこちらの顔を覗き込んできたのは。
そして自分は、彼女の頭上の数字を見てしまった。
瞬間、背筋が凍るような感覚。
「あ、やっと目を合わせてくれた!」
どうやらそれは、門脇さんなりの気遣いだったのだろう。
だけど、その行動によって僕は地獄に落とされた。
何故なら――。
「さ、悪くなる前に保健室に行こ!」
無邪気にそう笑う門脇さん。
彼女の寿命は、今年の終わりほどまでしか残っていなかったから……。
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