四月、出会い。





 それは四月、新学期初日のこと。

 街を歩く人々はみな、ようやく終わりを迎えた冬に喜びを抑えきれていないようにさえ思えた。もちろんそれ自体は僕の想像でしかないが、どことなく人々の足取りが浮足立っているのは事実だろう。

 いわゆる出会いの季節という春、しかし僕にとっては不要な情報が増える時期でもあった。何故なら新しい他人に会うということは、その数だけ人物の寿命を知ることに繋がるのだから。


「憂鬱、だなぁ……」


 坂の一本道に、桜並木。

 その中腹で立ち止まって、小さな声でそう呟いた。仮に聞かれたとて、学校が面倒くさいだけの学生と思われるだけ。もっとも、それについては特に気にしていなかった。先ほども述べた通り、僕が気にしているのは周囲の人々の寿命が目に入らないようにすることだけ。


 そうしていると自然、視線はやや下を向いてしまう。

 人間というのは案外に分かりやすい生き物で、そうやって下ばかりを見ていると気持ちまで滅入ってしまうのだ。とはいえ、こればかりは仕方ない。

 見たくないものまで見て、心に傷を負うのは嫌だった。

 逃げていると言いたければ逃げていると、好きなだけ罵ってくれて構わない。だけど日常的に他人の寿命を見続けるのは、精神衛生上よろしくなかった。


 しかしながら、自分は悲しいことに一般学生だ。そういった集団生活の流れというものには抗えないので、行きたくない場所にも向かわなければならない。

 将来的にはできるだけ、他者とかかわらない職業に就くことを考えた方が良いかもしれなかった。そのためにも、個人として何かしらのスキルを磨く必要がある。

 そんな実のあるようでないことを考えつつ、僕は坂道を再び上り始めた。


「あの、すみません!」

「……はい?」


 そんな折である。

 後ろ向きな自分とは対照的に、元気いっぱいな女子に声をかけられた。いったいどうしたのだろう。こんなにも気配を消して歩いている自分に、わざわざ声をかけるなんて……。


「私、この辺りで学生証落としちゃって。見てませんか?」

「あー……学生証、ですか」


 なるほど、落とし物か。

 だったら僕に声をかけるのは賢明、かもしれなかった。

 何故なら世界各地をどれだけ探したとして、おおよそここまで下向き続けて歩く人物もいないだろうから。まさか自分の生き方に、そんな利点があるとは。


「見てないですね。……一緒に探しましょうか」

「良いんですか!?」

「えぇ、どうやら自分はプロのようなので」

「……プロ?」


 そのことに我ながら感心しつつ、僕は女生徒にそう答えた。

 こちらの意図など分かりようはずもなく、彼女は首を傾げたような声でそう言っていたが、ひとまず足元から探すことにしよう。だけど、ここまでずっとコンクリートの道を見つめてきたが、それらしい物は落ちていなかった。

 果たして目的のものが見つかるかは未知数だが、頑張るとしよう。

 そう考えて、僕らは来た道を戻るのだった。





「ありませんねー……」


 学生証を探すこと十数分。

 先ほどまでは元気だった女生徒も、ずいぶんと気落ちしてしまったらしい。黙々と草むらを探す僕とは対照的に、彼女はなにかと話題を振ってくれていた。こちらは生返事な対応だったにもかかわらず、だ。

 きっと僕とは対照的な生き方をしているのだろう。

 正直、羨ましく思った。


「そろそろホームルーム、ですね。……どうします?」

「もう、そんな時間ですか!?」


 しかし、そんな彼女の心を曇らせてしまうかもしれない。

 そのことを申し訳なく思いつつ僕がそう告げると、女生徒は驚いた様子でそう言うのだった。その反応に若干の違和感を覚えながらも、こちらはこう提案する。


「さすがに遅刻よりは、素直に言った方が良いかと」

「うーん……」


 すると彼女はしばし考えた後に、こう口にした。


「転校初日に、いきなり怒られるのかぁ……」――と。


 その言葉にようやく、僕は抱いた違和感の正体を理解した。

 そして、少しだけ視線を上に移動させる。すると見えたのは、見覚えのない紺色のセーラー服を着た女生徒の姿だった。足元しか見ていなかったから気付かなかったが、なるほどそういうことか。

 つまるところ、新学期に本当の出会いがあった、ということだ。

 もっとも、僕には関係ないが――。


「あ……!」


 ……と、考えていた時だった。

 少しだけ持ち上げた視線の先に、見覚えのあるものを見つける。それは足元の草むらではなく、ほんの少しだけ高い場所に置かれていた。ブロック塀の端、といえば伝わるだろうか。

 分かりやすいようで分かりにくい場所に思えたが、見つかって良かった。

 僕はそれを手に取って、女生徒に手渡す。


「はい。これ、ですよね?」

「あ! 本当だ!!」


 すると彼女は、パッと明るい声色になった。

 そして、ふいにこちらの手を取って……。



「本当に、ありがとうございます!」

「…………あ」



 すごい勢いで、こちらの身体を引き上げた。

 きっと彼女は感謝を伝えるために、そうしたのだろう。



 愛らしく円らな瞳に、少しだけ茶色がかった髪は後ろで一つに結ばれていた。目鼻顔立ちがとにかく整っており、優しい微笑みはそこに鮮やかさを加えている。きっと誰もが、彼女のそんな笑顔に魅了されるだろう。

 そうやって、思わず呆けてしまう程の美少女だった。



 それはそう、寿命などには意識がいかないほどに……。



 

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