第17-1回「防衛戦」
ヘクト11砦での、3日目を迎える朝。
初日の慌ただしさ、昨日の早朝と比べて、今日は同じ場所に居るとは思えないほどに、穏やかな始まりを迎えられていた。
見張りの人達も、どこかゆったりとした雰囲気を醸し出しているように、見えている。
俺も、いつ、何があっても動けるように、準備こそしているが、何の指示も、今は与えられていない。
今日は、このまま1日が終わるのだろうか。
そんな事を考えながら、腕をだらりと机に付けて、何気なく、適当な場所に目を向けてみる。
「アール、おはよう」
ふと、聞き馴染みのある声がしたので、その方向へ首を動かす。
モーリーさんが、すぐ右隣の席に、腰を据えていた。
「あ、モーリーさん。おはようございます」
始まりを告げるような、彼の挨拶に、俺も声と共に会釈を返す。
かっちりとした装備に身を包んだその姿とは裏腹に、彼の表情は、激戦地の真っ只中に居るとは思えないくらい、ゆとりを含ませたものに見えていた。。
「今日も早かったんだな」
「ええ、まあ。自分的には、良く眠れているんですけどね」
「なあに。早起きなのは良い事だ。しっかり眠れているのなら、それでいい」
彼と会話を交わし合いながら、まだ食べかけになっている、いつもの雑穀粥を口に運んでいく。
会話を挟んで間もなく、初日からお世話になっている2人も、すぐ近くにやって来て、ゆったりと席に腰掛けた。
「おはようございます」
「どうも。久しぶりに、さっぱりとした朝だな」
「そうなんですね。俺もまだ、入って間もないですから、あまり分からないんですけれど」
軽い会話を、彼らとも交えながら、会釈をして、再び粥へと目を戻す。
お椀の中には、もう半分程度しか、残っていない。
何気なく、残りの分を食べようと手を動かし直した時。
ふと、妙な───。
違和感が、胸の中に、引っ掛かったような気がした。
ニッコサンガで迎えた初日のような、胸がスカッとする、気持ちの良い朝。
喜ばしいはずのひと時が───。
まるで、何か良くない事の予兆であるような気が、ふと、していたのだ。
周囲に目を向けてみるが、モーリーさんも、2人も、周りに居る皆も、何らおかしな雰囲気を、醸し出していない。
まるで、お前の考え過ぎだ、とでも言うように。
穏やかな面持ちを浮かべて、今日という日を、迎えている。
なんだろう・・・・・・。
なんでこんなにも、引っ掛かるんだろう・・・・・・?
ただの思い過ごし、なのかな・・・・・・。
拭いきれない、心のもや。
違和感を胸に抱きながら、視線をモーリーさんに向けてみると、彼は手際よく食べ進めており、もうお椀の中の粥は、半分も残されていなかった。
しまった、色々考え過ぎた。
すっかり温くなってしまった残りを、グイと飲み干すように流し込もうとした時。
頭の上で響く、金属を叩く音。
間髪入れずに聞こえてきた───。
「敵襲!!」
という、叫び声。
あまりに急な物音に、思わず飲み込んだ粥を、吐き出しそうになる。
「アール、行くぞ」
モーリーさんはもう、気持ちの準備が出来ていた。
彼の動きに釣られるように、俺も手を止め立ち上がる。
にわかに起こった喧騒の中から、聞き覚えのある声が、矢継ぎ早に聞こえてきた。
「遊撃班!遊撃班は!」
慌てた様子で副部隊長のコットヘッドが、声を上げながら辺りを見渡していた。
「ここだ。炎陣だな」
すべてを察したような、落ち着いた様子で、モーリーさんは彼の側に歩み寄っている。
「ああ、良かった、モーリーさんが居てくれて・・・・・・。すまないが行ってくれないか?」
息を切らしながらも、彼はモーリーさんの言葉を受けて、安堵の表情を浮かべていた。
炎陣・・・・・・?
なんの事だろう・・・・・・?
『炎陣』という言葉を、噛み砕く暇も無く、振り返りと共に、彼から言葉を投げかけられる。
「アール、時間との勝負だ。来てくれ」
「えっ」
真っ直ぐな、その目。
迷いの無い、その表情。
炎陣、というものが何なのか、まだ何も理解出来ていないが───。
その雰囲気で、俺は。
今から、敵の迫る中、真っ先に突っ込んでいく、という事を、理解した。
さっきまで居た席に、ちらりと目を向けてみるが、あの2人はまだ支度が済んでいなかったらしく、剣を取りに行こうと、慌ただしく休憩スペースへと走っている。
自分の周りには、俺達を除いて、その役目を受けられそうな人は、居ない。
覚悟を決めた、彼の表情───。
断りようの無い局面に、躊躇う暇は、残されていなかった。
「分かりました」
そう返す他は、無かった。
「2人ともすまない。よろしく頼むよ」
副部隊長が頭を深く下げて、そう言い残してから、その場を後にしていく。
「アール、すまないが少し手を貸してくれ。向かいながら、説明はするから」
そう言いながら、彼は背を向け歩き出す。
その背中に、迷いは無かった。
炎陣という言葉も、これから何をするのかも、まだ俺は、具に理解出来ていない。
でも、これから何かを受け取りに行こうとしている、彼の後ろ姿を追っているうちに、自分の身に起こるであろう映像が、だんだんと、頭の中に見えてきた。
迫り来る群影を前に。
俺はこれから、立ち向かう事になる。
それはきっと、これまでの中で一番、危険な事になるのだろう。
───ああ、これの事だったのか。
ずっと感じていた、言い知れぬ違和感の正体は。
急ぎ足で彼の背中を追い、流れに身を任せるように、彼と同じく、2つの大きな赤い玉を、受け取る。
両手でそれを抱えながら、いつでも塞ぐ事が出来そうな小扉を潜り抜けて、外へ足を踏み出した。
燃えるようでありながらも、鈍く、赤い光沢の放つ、両腕に覆われた、2つの玉。
空は、この時を用意していたように、からりと、青々と、澄み渡っている。
耳を澄ませてみると、うんと向こうの方から、何かが迫ってくる、地鳴りのような音が、聴こえてきていた。
あれだけ急いで来て───。
もう、すぐそこまで、戦いの瞬間が、迫ってきているというのに───。
胸の鼓動に反して、頭の中は、不思議なほどに落ち着いている。
「アール、2段目まで走るぞ。腹括れ」
静かな口調で、そう語りかけてくる、モーリーさん。
「はい!大丈夫です!」
口から出てきた返事は、自分でも驚くほどに、気持ちの良いものだった。
腹括れ───そうだ。
今日という日を───いや。
ここに行くと決めた、あの時から。
こうなる事を、覚悟していたのかもしれない。
意識せずとも、胸の奥から込み上げてきた言葉を胸に、ギュッと前を見据え直す。
視界に広がる光景は澄んで、くっきりと見えていた。
「よし、行くぞ!しっかりついてこいよ!」
これからの手順にも、俺の背中にも。
そう言うように、足を蹴り上げて、勢いよく前に駆けていくモーリーさん。
ここまできたんだ、もう後戻りは出来ない。
やれる事を、やってやる───。
やって、必ず、帰って来るんだ。
大丈夫だ、今回もきっと、無事に終われる。
その思いを胸に、群影の迫る、その向こうへ。
俺も、その足を、踏み出していくのだった。
-続-
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