第16-3回「物憂げな柊」



 ・・・・・・・・・・・・。

 体がうずいて、どうにも眠れない。

 朝は、まだこないのか。



ふと、頭の中によぎった言葉で目が覚めてしまい、枕から顔を上げて、周りに目を向けてみた。

窓から見える空の色は、まだ暗い。

耳に入ってくるものも、冷涼れいりょうに流れる空気と、誰かのいびきだけ。



 朝日をおがむ時は、まだまだ先だ。



そう言ってくるように、俺の耳を、ただそれが抜けていくばかり。

疼く体を静めるように、板敷いたじきのかたいベッドに手を付けながら、今日あった事を思い出してみる。



 早朝に行なった強行偵察を、必死の思いで果たしてからは、平穏無事そのものだった。

 朝を食べてからも、やり返すような敵の偵察も無く。

 昼を食べて、少しだけこの休憩きゅうけいスペースで休んでから、夕食をった時も。

 とうとう、敵の反撃や強行偵察が、この砦に襲いかかってくる事も無かった。



ふう、とまっていた息を吐き出して、真っ暗な天井に目を向けてみる。



 平穏無事なら、それでいい・・・・・・。

 戦いばかりの日々よりも、何も無い事ばかりの方が、本来は良い事なんだから。



そう、言い聞かせるように、胸の中で呟いてみるが───。

頭の中で浮かんでくる、ホーホックの森での奪還だっかん戦や、あの、ゴーレムとの戦いが、目の奥でつい、ちらついてしまい、気持ちがソワソワとしてくる。



 決して、消化不良と、言うつもりでは無いが・・・・・・。

 もっと、こう・・・・・・動きたい。


 自分の力を、もっと試してみたい。

 使える力を、もっと、色んな人に、色んな場面で、使っていきたい。



体の中から、そう語りかけてくるような、そんな気がして仕方がなかった。

き立つ気持ちを静めるように、もう一度辺りに目を向けてみる。

他の遊撃手ゆうげきしゅ達は、皆眠っており、遠くで横になっているモーリーさんも、動く気配はまったく無い。



 みんなが、眠りについている中で。

 自分だけが、目を覚ましている。


 手をにぎったり、ついたりしながら。

 独り、夜が明けるのを待っている。


 ダメだ・・・・・・眠れないや。

 眠れないなら、仕方ないか。



モヤモヤと、まとわりつくような気持ちを振り払うように、胴当ても付けずに、枕元に置いていた、いつも腰に差している、あの剣を手にする。



 体を動かせば、少しはこの疼きも、収まるだろう。



そんな事を、胸の中でつぶやきながら、スクリと立ち上がり、部屋を後にしていく。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 さて、思いっきり、体を動かせるような場所は、どこかな・・・・・・。



そんな事を考えながら、右に左に、目を向けてみる。

砦の中は、すぐ近くで今も、敵とにらみ合っているとは思えないくらいに、しんとした空気で満たされていた。



 どこからともなく、聴こえてくる・・・・・・。

 誰かのいびき・・・・・・夜風のそよぎ・・・・・・。



静かに、俺の周りにただよい続けるその空気は。

不思議で、奇妙な感じで満たされているのに、どこか、心地の良いものだった。



 さて・・・・・・。

 あの辺りで、素振りしよう。



そう気持ちを固めて、食事スペースのあった場所に向けて、足を動かそうとした時。

後ろの方から、こちらに近づいてくる足音が、聞こえてきた。



 目を上げると、そこには───。



星の光を背にして、階段を降りている、短髪たんぱつの女兵士、ホリーが居た。


「こんばんは」


 寝ている皆を起こさないように、小さな声で、そう挨拶あいさつをすると、彼女も俺の姿に気づいて、会釈えしゃくをしてくれた。


「やあ。見張りの交代かい?」

「あ、いや、眠れなくて・・・・・・。ちょっとだけ、体を動かそうかなって」

「そっか。体力り余ってるんだな」


 彼女の問いかけに、返事と共に笑みを向ける。

彼女も柔和な表情を浮かべながら、返事をしてくれた。


「そうか、起きていたのなら・・・・・・。ちょっとだけ、いいかな?」


 今、起きているのなら、好都合だ。



そう、言葉を添えるように、さらに言葉を続けてきたホリー。

緩めたほほを、キュッとめて、真っ直ぐに、俺の目を見据みすえながら、言葉を口にしたその姿。

その光景で、これから話そうという内容が。



 何気ない痴話ちわや、バカ話のたぐいでは無い。

 彼女の気持ちに関わる、真面目な話だ。



という事を、すぐに理解出来た。

分かった、とうなずき返して間もなく。

彼女は、こっちに来てくれ、と言うように体を向けて、誰の通り道もふさがない、ゆっくりと、2人で話の出来る場所まで、案内してくれた。

階段を降りて1階に出てから、足を進める事、数十歩。

先ほど、素振りをしようと目をつけていた、食事をしている場所にほど近い、広間から外れた壁際にまで、足を運んでいった。

小窓からは、ポツポツと光る星が、小さく見えている。

彼女はそれらを、目を細めるように見つめながら、ポンと、口を開いた。


「アール・・・・・・。お前、記憶きおく喪失そうしつなんだな」

「えっ」


 初めて会った時とは違う、あまりにも寂しげな表情を、浮かべながら。

想定もしていなかった言葉が、彼女の口から飛んでくる。



 ちゃんと、考えられた言葉が、何も浮かんでこない。


「あ、うん・・・・・・」


 困惑混じりの、なんとも不格好ぶかっこうな返事が、つい口から、出てきてしまう。


「その、ごめんな。周りの人から聞いたんだよ、噂で。「ほんのつい最近、サンフィンチ商会に入ったばかりの若いのが。記憶も、身寄りも無いのに、すげえ良くやっている」ってさ」


 そう言いながら、照れ臭そうな笑みを浮かべるホリー。


「へ、へえ」


 上手い返事が、何も出てこないまま。

彼女の言葉に、頷きを返して、思わず出てきた笑みを、浮かべ返すのみ。

お互いに笑みを浮かべ合いながら、場に静かな空気が流れて、間もなく。

彼女の表情は静けさを取り戻し、また真面目なものへと、変わった。



 いったい、何を聞きたいんだろう・・・・・・。



胸の中で、そう呟きながら、その口から出てくる言葉を、ジッと待つ。

静寂せいじゃくを破るように、ふと開かれた、星の光をまとわせた、くちびる


「その、独りでこう、居る事がさ・・・・・・。寂しいとか、思ったりしないのか?アールは」

が、・・・・・・」


 彼女の言葉を復唱しながら、くだいて、飲み込んで。

再び流れた静寂に包まれながら、自分の中の真っ暗な場所で、その言葉を、考えてみる。



 独りになったら、寂しい・・・・・・か。



ふと頭の中に映ったのは、いつか見た、あの悪夢だった。



 真っ暗な、冷たい水で満たされた場所で。

 独り、朝日を見ながら死んでいく光景。



矢継やつばやに、頭の中に映し出されたのは───。



 初めて目覚めた時に、ゴブリン共に追いかけられて。

 冷たい川の中でおぼれ、どんどん深い場所へ、独り、沈んでいく、あの時。



2つの悪夢を、胸の中で握りしめながら、もう一度、彼女の問いかけを、自分の中で復唱し直してみる。



 自分の場合は、というよりも・・・・・・。

 独りは、怖くて、嫌なものだけれど・・・・・・。


 分からないけれど、ほんの少しだけ。

 『落ち着く』もの、だった。


 でも、これを上手く、伝わるように、言葉にするのは、難しい。

 彼女に、どう返事をしようか・・・・・・。



そんな事を考えながら、目を向け直した時。

また彼女が、ポツリと口を開いて、言葉を続けてきた。


「あたしさ・・・・・・。故郷をあいつらにうばわれて、みんなと離れ離れになって・・・・・・。たまにこうして、独りで空を見ているとさ・・・・・・。すごく、寂しくなるんだ・・・・・・」


 そう言ってから、また遠くに見えている星空に、目を向けるホリー。



 どうしようもない、ぬぐいようの無い孤独を、見つめるように。

 物憂ものうげなひとみで、ジッと・・・・・・。



彼女の視線の向こうでは、あのヘクト10が、暗い中でも分かるくらいに、とても小さく見えている。

だが、彼女の目は、それよりもさらに、向こうを見つめているように、見えたのだ。



 ずっと、ずっと、まだずっと・・・・・・。

 どれだけ手を伸ばしても、届かないくらいに、遠くなってしまった故郷を。

 もう、かえってこないものを、見つめているように。



彼女の目は、敵に奪われたとりでの向こうを、ただ真っ直ぐに、見つめ続けている。



 ホリーも、自分と、細かい背景こそ違うが・・・・・・。

 この砦で独り、相談する相手も無く。

 ずっと、頑張ってきたんだ。


 そして、これからも・・・・・・。

 ずっと、頑張っていくんだろう。



「そうだな・・・・・・。俺も、独りは寂しいな・・・・・・」


 なんとなく、何故だか分からなかったが。

今の彼女に、自分の心情や言葉を、つぶさに伝える必要性は、無いように感じ取れた。



 それよりも、今は一緒になって、その寂しさに寄り添ってあげた方が良い。

 俺の事は、後でもいいから。



ポツリと、そう胸の中で呟いてから。

彼女の見ている、はるか遠くの故郷へと、寄り添うように、目を向けてみる。

無数に点在する星は、変わる事無く穏やかに、優しく、包み込むような光をまとわせて、そこにり続けていた。


「アール。ありがとうな」


 夜空を背に、彼女は笑みを浮かべながら、そう話す。

心なしか、瞳を満たしていた寂しさが少し抜けて───。

どこか、安堵あんどの色が混ざったような、穏やかなものへと、変わっていた。


「ここにはさ、としの近い人が少なくて・・・・・・。ずっと、モヤモヤしたこの気持ちを話せなくて・・・・・・。でも、やっと話す事が出来たよ。ありがとうな」

「そっか・・・・・・」


 頬を緩めながら、そう話してくる彼女に、上手く返せる言葉が、出てこない。

出てこなかったけれど、その穏やかな微笑に、頷き返す事は出来た。



 ただ話を聞いただけでも。

 それで安心してもらえたのなら、良かった。


 誰にも言い出す機会の無い事が、こうして吐き出された事で───。


 それで、気持ちがすっきりとしてくれるのなら。

 俺も、聞く事が出来て、良かった。



またしばらく、互いに笑みを浮かべ合ってから、目を夜空に向ける。


「アール。今度さ、ディアナさんに会ったら「泣き虫のホリーは、元気にやっているよ」って、伝えておいてくれないかな?」

「えっ?」


 夜空を見ている彼女が、突然言葉を投げかけてきた。

また、予想もしていなかった言葉。

言われてからしばらく、沈黙が流れてくるが、言葉の後ろに広がる背景が、まったく見えてこない。

頭の中が涼しくなっても、まったく理解が、追いついてこない。


「あの、ディアナさんと・・・・・・。知り合いなの・・・・・・ですか?」


 気持ちの整理をつける為に、尋ね返してみる。


「うん。向こうは覚えてないかもしれないけどね。近くの村に住んでいて、よく面倒見てもらってたんだ」



 なるほど・・・・・・そういう事だったのか。



ディアナさんによろしく、という言葉と、故郷を奪われた、という話。

その2つが、ホリーの見せた、あの寂しげな瞳と、いつか見たディアナさんの寂しげな目と重なっていき、2人の像を、結び付けていく。

ようやく見えてきた、彼女の故郷と、言葉の背景。

それが、小さい頃の2人の姿になっていって、ピタリと、頭の中で合致がっちする。


「分かった。伝えておくよ」


 彼女も、柔和な表情を浮かべながら、頷きを返してくれた。



 ありがとう。



そう言うような、優しい笑顔を浮かべて。

視線をまた、夜空に戻してみる。

相変わらず、星は静かに輝いていた。



 輝きも、見えている風景も、何の変わりも無いはず。



でも、俺の心の中は、とてもなっていた。

奥底から染み出てきているような、とても優しい、ぬくもりになって。


「ごめんな。話、聞いてもらって」

「いいよ。ローマンさんが、それで安心してもらえたのなら」

「そんな、ローマンだなんて、堅苦しいな。歳も近いんだからさ、ホリーでいいよ」


 そう言いながら、明るく、彼女は手を横に振った。



  分かった。

  それなら、ホリーで。



そう言うように頷いて、俺も彼女に、笑みを返す。


「おやすみ。明日も頑張ろうな、アール」

「ああ。ホリーも、おやすみ」


 そう言いながら、手を軽く振る。

彼女も振り返しながら、その場を後にしていった。

去り行く彼女の姿を見ながら、大きく息を吐く。

ここに来るまでに、あれだけうずいていた体も、話を聞いているうちに、収まっていた。



 もうここで、剣を振る必要も無いな。



足に立て掛けていた剣を、もう一度手に取って、少しだけ、全体に目を通していく。



 俺も、しっかり休んで、また頑張るよ!




そう、ふるい立たせるように、胸の中でつぶやいてから、ストンと腰に差すように持ち直し、階段を勢いよく上がって、寝所に足を進めていく。

砦に流れる空気は、まだ、穏やかそのもの。

変わる事なく、静寂に包まれたままだった。




 -続-

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る