第15-1回「激戦地の砦」


「絶対に、無理したらダメだからね」


 別れぎわ、リリスから念を押されるように、もう一度声をかけられる。

とりでに戻って、みなと、束の間のうたげを楽しんだ次の日。

出発の時は、あっという間に訪れた。

厚く、何重にもなったくもり空の下、俺はモーリーさんと共に、最前線の砦へ。

リリスは、皆と一緒に、マンソンさんのほろ馬車隊に同行して、ニッコサンガの町へと、足を進める事になる。


「大丈夫。ちゃんと帰って来るから」


 不安げな面持ちを崩さない彼女に、笑みをたたえたうなずきを、もう一度返す。

彼女も頷き返してくれるが、やはり、その胸中にあるものを、ぬぐいきれないのだろうか。

とうとう、満面の笑みを見る事は、出来なかった。


「行こうか」


 彼女との、わずかなひと時をさえぎるように、モーリーさんの声が聞こえてきた。

幌馬車も彼女に、出発するぞ、と言うように、ゆっくりと動き始めている。

もうひと言、やっぱり何か言おうと思い目を合わせた瞬間。

リリスの口が、ゆらりと動いた。


「・・・・・・帰って来てね。約束だよ」


 彼女の言葉に、考える事もせず。



 大丈夫だよ。



という声を、返しそうになる。

が、よどんだ空の下で、真っ直ぐな視線を向けている彼女の姿を、見ているうちに。



 ダメだ。そんな言葉じゃ、安心して送り出す事なんて、出来ない。


 大丈夫、という言葉より───。

 今、俺から送るべきなのは、こっちだ。



出そうになった言葉を飲み込んでから、頷きをはさみ。



 にこりと、笑みを返す。



リリスの頬が、ほんの少しだけ、緩んでくれた。


「アール、何してるんだ!」


 後ろから、モーリーさんの苛立いらだち混じりな声が、聞こえてくる。


「は、はい!すいません!」


 その呼びかけにすぐ返事をして、側へとけ寄って行く。

振り向きざまに、幌馬車隊へもう一度視線を向けた時。

小刻みに、手を振っているリリスの姿が、どんどん小さくなっていくのが、まった。



 心配しないでね。

 絶対に、帰って来るから。



俺も、そう返事をするように───。

彼女と、ニッコサンガに戻っていく皆に、手を振り返して、前を行くモーリーさんの背中を、追いかけ直した。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 分厚い雲でおおわれた空は、一向に晴れる兆しを見せようとしない。

彼女と別れて、モーリーさんと一緒に激戦の地へ向けて足を進めてから、かなりの時が過ぎた。

右手はるか向こうに流れている川は、伸び放題の草の隙間すきまから、ちらちらと様子をのぞかせながら、遠のいたり近づいたりを、繰り返している。



 ヘクト11のとりでは、まだ先なのだろうか・・・・・・。



そんな事を考え始めだした時、ふと、前を歩くモーリーさんが足を止めた。


「アール、あれが見えるか」


 左手のななめ向こう、小さくではあるが、建物が寄り集まったその地を、彼は指差している。


「あれが『アウターバン』の町で、あれが『ヘクト11』だ」


 そう言いながら、スッと地平線をなぞるように指を動かしていき、右手側のすぐ向こうに見えている、小高い丘のような場所を、ピタリと指した。



 灰色っぽくも、茶色っぽくも見える、丘の上の砦。

 なるほど、あれが目的地の、か。



彼の指差したその砦は───。

手入れもされずに、生え放題になった草の生い茂る、人々の明るい生活をまったく感じさせないその場所で、ポツンと立っていた。



 あそこに、これから入って・・・・・・。

 戦う事になるんだな・・・・・・。



ここに着く前まで、あれだけ落ち着いていた胸の音が。

だんだんと大きく、強くなっていく。



 ホックヤードの砦よりも、ひと回り小さく見える、丘の上に立った砦。

 あまりにも、心許こころもとない、あの小さな砦に・・・・・・。

 これからの自分を、ゆだねていく事に、なるんだな・・・・・・。



「ふう・・・・・・」


 込み上げてきた、不安な気持ちをどうにかしようとするあまり。

つい、め息が出てしまった。


「アール、大丈夫か?」


 そんな俺の姿を心配するように、足を止めて尋ねてきた、モーリーさん。


「え、ええ。大丈夫です、行きましょう」



 しまった、隠しておくべきなのに・・・・・・。



彼に心配をかけさせまいと、ぎこちのない笑みを返してから、再びヘクト11に向けて、足を動かしていく。

彼も、あえて何も聞かなかったように視線を戻してから、再び歩き始めた。

砦に向かう人影は、俺とモーリーさんを除いて、どこにも見当たらない。

空をただよう雲は、より厚く、重くなっていき。

不安をり立てるような強い風で、荒れ地をザザザと、ざわめかせている。



 リリスと、約束したんだ。

 不安だからなんだ。

 ここまで来たからには、やるしかないんだ。

 やる事をやって、無事に帰るしか、ないんだ。



体に広がっていく、言い知れぬ不穏な気持ちに首を振ってから、また、前を見据みすえ直して、足を動かしていく。

空にかる雲は、ますます不穏な色となって、吹きつける風は、より冷たいものへと、変わっていくのだった。




 -続-

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