第13-5回


 空に目を向けてみると、そこはすっかり、黒と紫の色で満たされていた。

しげる木の葉のはるか向こうまで、夜の様相はずーんと広がっている。

ホーホックの森に張っていた、敵の撃退に成功した俺達は、新しく赴任ふにんしてくる駐留ちゅうりゅうへいや、損傷そんしょうのある陣地を整備する班が来るその時まで、やぐらでの見張りや、陣地の巡回じゅんかいを、任される事となった。。

目線を再び周囲に戻してみると、あちこちから粥の甘いにおいが、白い煙になって、ふわりとのぼってきている。



 ああ・・・・・・。

 お腹、いたな・・・・・・。



さっきからくうくうと、音を立てている腹をさすりながら、火の光が届かない所や、周辺に目を凝らしていく。

今回の戦いは、大きな勝利となったらしく、残された敵の首級と、偵察で導き出した全体の数との差を計算して、この森に展開していた敵の、半分を倒した事になるらしい。


「この勝利を通して、ようやく攻勢へのきざしが見えた。今日という日は、皆の頑張りがあってこそったものである。ありがとう、本当にありがとう」


 少し前に、目の前でそう話していた、指揮官のオッドマンの声が、また、頭の中に響いてくる。

その言葉と、温かな白い煙で、思わずほほが緩みそうになるが───。



 それでも、敵が減ったからといって、油断してはいけない。

 暗闇くらやみじょうじて、いつ、残存した敵が、奇襲きしゅうを仕掛けてくるかも分からない。


 まだ落として間もない、防衛能力におとるこの陣営を守るには、監視の目を、隅々すみずみまで配っておかなければならないんだ。

 しっかりしろ、ここが一番大切なんだ。



そう、自分に言い聞かせながら、さすっていた手をギュッとにぎめて、見張りに集中し直す。

が、すぐにまた、その集中をき乱すように、腹からうなるような音が、聞こえてきた。

やはり、お腹のきだけは、どうしても気になってしまう。


「はあ・・・・・・。腹減ったなあ」


 思わず、そうつぶやいた瞬間だった。


「アール、代わろうか」


 すぐ近くからこえてきた、モーリーさんの声に、胸がドキリとする。

声のした方へ目を向けると、彼は少しだけ穏やかな面持ちをふくませて、見張り台の上に身を乗り出していた。

その口からは、充分に腹を満たせた、と言うような白息が、もわり、と立ちのぼっている。


「あ、どうも。いいんですか?」

「おう、もう大丈夫だ。悪いな、残り物になって」

「い、いえ。自分なら大丈夫ですよ」


 分配された雑穀を各班で分けて、夜食にありつく事になったのだが。

どうしても、見張り役がけていてはいけない、という事もあり、この班でその役目を最初に出来るのは、自分だろうと思い、真っ先に名乗り上げたのだ。

ふと、視線を下に向けると、まだリリスも皆も、鍋を囲んで食事をしている。


「本当にいいんですか?」

「いいから。行って来なよ」



 俺の心配をするより、自分の腹の心配をしろ。



そう言うような表情を浮かべて、彼はうなずいてくれている。



 それなら、お言葉に甘えさせてもらおう。



心の中でそう呟きながら、一礼を返して、皆が囲んでいる所に向かおうと、足を進めていく。


「なあ、ちょっとだけいいか」


 突っ掛かりに足を掛けようとした時、不意に彼が、呼び止めてきた。



 何か、大事な話だろうか。



下ろそうとした手を止めて、声のした方へ目を向けてみる。


「はい、なんでしょうか?」

「まあ・・・・・・。その、今日の事だがな・・・・・・」


 そう言いながら、モーリーさんのまゆがだんだんと険しくなっていく。



 なんだろう、今日の事・・・・・・?



あっ、と頭によぎったのは、声を上げて真っ先にり込んでいった、あの時の事だった。



 そうだ。

 攻める前に、突っ走るな、無理をするな、と口っぱく言われていたじゃないか。

 ああ・・・・・・その事で、怒られるのかな・・・・・・。



険しい彼の表情に、怒声どせいの飛んでくる光景を予期した俺は、グッと身構え、受け止める姿勢を作る。

が、彼の口から出てきた言葉は、意外なものだった。


「アール。大した勇気だ、驚いたよ」

「・・・・・・えっ?」


 その言葉と共に、ひそめていた彼の眉が、わずかに緩んだ。

想定もしていなかった声に、頭の中が真っ白になる。


「そりゃあ、周りも気にせず突っ込んでいったあれは、正直められたものじゃないよ。首や体に当たっていたら、君は落ちていただろうし。もしかしたら、死んでいたかもしれないからな」

「あ、そ、そうですね。すいません」


 その後に来た言葉が、想定していたものだった事ので、ようやくそれで彼の発言を、受け止める事が出来た。


「その・・・・・・次からは気をつけます」

「ああ。でも、狙われていると思い、咄嗟とっさに注意を引いた判断は、とても良かったぞ」


 その言葉で、その表情で。

先ほどかけられた、あの言葉がもう一度響きだし、頭の中で波紋のように、広がっていく。



 大した勇気───驚いた?



視線を上げて、モーリーさんの顔を、あらためるように見つめ直してみる。

その表情は険しいが、いつものような厳しさに満ちたものでは無い。

どこか、恥ずかしさと、うれしさが入り混じったような───。

これまで見た事も無いものだった。



 まさか、俺の事を・・・・・・。

 褒めてくれた、のか・・・・・・?



彼は、穏やかな表情のまま、言葉を続けてくる。


「よくやったな、アール。今日の成果は、お前のお陰だよ」


 その言葉と共に、見えた笑顔は───。

昼下がりの日のように、あたたかいものだった。



 ああ。

 この人は、こんな表情も、持っていたんだ・・・・・・。


 少し、怖かったけれど───。

 あそこで頑張って、良かったな。



彼の笑顔に、思わず笑みがこぼれた。

きっ腹に、彼の笑顔がどんどん染み渡っていく。

ふつふつといてくる喜びの気持ちと共に、どんどん体が温かくなっていくような。

そんな気がしてきた。


「おーい、アール君。食べないの~?」

「残り貰っちまうぞー」


 ハッと下から声がしたので、目を向けてみると、リリスとトミーさんが呼びかけていた。


「ほら、行きなよ」

「す、すいません。交代、ありがとうございます」


 彼は、俺の返事にすぐ声を返す事なく、頷きだけを向けている。

1つ、2つと手を掛けて、手足を降ろしている時。

また、上から声をかけられた。


「アール」

「はい」

「俺は、ちゃんと見ているからな。くれぐれも、無理だけはするなよ」


 頬を緩ませながら、そう話しかけてくるモーリーさん。

俺も、彼に笑みを返す。


「はい!」

「アールく~ん」

「はい、行きます!」


 失礼します、と言うように、もう一度彼に頭を下げてから、3つ、4つと体を地面に降ろしていく。

満足げな表情を浮かべながら、彼も見張り台の向こうへ、姿を消していった。

彼の、心からの笑顔と言葉に、ほくほくと胸が熱くなる。

突っ掛かりに手を掛けて降ろす速さも、なんだか気分に乗って、良い感じだ。


「ほら、アール。お前の分だぞ」

「すいません。残してもらって」


 側に寄って間もなく、ディアナさんから、粥に満ちたおわんとスプーンを手渡される。

それを受け取ってから、彼らが囲む鍋の近くに寄って、俺も半座りをした。


「アール君、嬉しそうじゃん。上でなに話していたの?」

「えっ」


 湯気立つお粥に口をつけようとした時、横に居るリリスに声をかけられた。



 そ、そんなに嬉しそうな表情だったのか、俺。



彼女の言葉に何故か、恥ずかしい、という気持ちが込み上げてくる。

その声に答え返すのも忘れて、つい目線をらしてしまった。


「分かった。今度、みに行こうって誘われたんだな!」

「そんなわけ無いだろ。もしそうなら、明日は雪だよ」


 茶化すトミーさんを、ディアナさんがたしなめる。

2人の様子で、浮かんできた恥ずかしさを覆うように、あのぽかぽかとした気持ちが湧き上がってくる。

俺も、皆の笑顔を乗せて、軽く笑い返した。


「ほら、食べてよ。冷めちゃうよ」

「う、うん。いただきます」


 リリスにうながされて、ようやくつぶ混じりの粥に口をつける。

体に染み渡るそれは、モーリーさんの笑顔を思い出させるような、あたたかなものだった。




 -続-

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