第7-4回「星の先に」
オレンジ色の空にも、夜を知らせる紫の色が、じわじわと広がってきている。
のんびりと空を
帰路で再び、あの森近くを通ったのだが、今回はあのゴブリン共に襲われる事は無かった。
まあ、その理由は多分、あれだろうな・・・・・・。
そう思いながら、とある馬車にふと目を向けてみる。
ついさっき、ここに来るまで自分が側について歩いていた、あの箱。
ここからかなり離れた位置に置かれているはずなのだが、少し
それもそのはず。
木箱の中には、砦の人達が出した『
なんでも、これが作物を育てる為にはとても貴重な物らしく、毎回のように空馬車が無いように、このような形であの舟運の所にまで運ばれていき、そして分配されていくらしい。
歩いている時にふとディアナさんが教えてくれたのだが、あの糞尿から魔力の源を
「あたしも支部長から教えてもらった時、さすがにひいたね。アール君も気をつけなよ。世の中ウマい話には、クサい裏があるものだって」
頭の中によぎる、糞尿箱の入った馬車を説明した時に言っていた、ディアナさんの姿。
そして、魔法研究、という言葉に続いてくる、あの時の光景。
ニッコサンガに初めて向かっていた時に、スタックス支部長に見せてもらった───。
道具も無しに、木の葉に火をつけるワザ。
続けざまに、それらが映像として、頭の中に浮かんできていた。
あれが簡単に、自分でもあそこから出来た物を飲んだら、出来るとしても────。
「いやいや、俺には無理だ。無理無理」
出来ない、自分には出来ない、と首を横に振って目線を外す。
あんな
それで魔法が使えるだなんて言われても、とてもそんなの、受け付けられないよ。
いや、研究を進めていると言うからには、それはきっと、この国にとって大切な事業のはず。
そんな事業と、今の自分が巡り合うはずも無いじゃないか。
あるはずも無いのに、何勝手に、こんな事を・・・・・・。
俺は、何を
そんな事を自問自答しながら、息を吐く。
相変わらず、周りに何かが近づいているような気配は無い。
「あれ?アール君そこで何しているの?」
声をかけられたので振り返ると、濡れた髪を
「うーん、つい落ち着かなくて。昨日みたいに夜回りっぽくここに居たら、少しはマシになるかな、と思ってさ」
「あはは、固くなり過ぎだよ。今日は
軽く
「うん、でもあれはさすがに、盗まれないよな。あんな臭いのを、わざわざ」
「だよね。あれ盗る奴なんて、いる
彼女の会話に俺も軽く言葉を返す。
彼女も髪を、くしくしと拭きながら、アハハと笑い返してくれていた。
「アール君も、体洗っておいでよ。せっかく宿の人が「服洗うついでに、一緒にどうだ」って言ってくれているんだし」
「う、うん」
今夜は宿の方達のご
この馬車置き場に来る途中、気持ち良さそうな彼女達の声が聞こえてきたので、正直自分もうずうずはしている。
それでも、自分が出しゃばるには、まだまだ経験も浅いし、少し無礼な気もする。
ここは我慢して、皆に先を
「俺は最後でいいよ、皆の方が疲れていると思うし。それにまだ、俺が一番経験が浅いからね」
「そう?アール君も頑張ったんだし、別に
俺の心を見
その言葉に、キュッと胸が
彼女はまさか、俺の心を読めるんじゃ・・・・・・。
「どうしたの?そんな顔して」
「あっ、いや・・・・・・」
不思議そうな声色でそう言いながら、ジッと彼女が目を見てくる。
そんな風に言われると、早くさっぱりしたい、という気持ちが、なんだか・・・・・・。
あんまり、遠慮してばかりというのも、良くはないのかな。
「分かった。リッちゃんの言う通り、ここは遠慮したらダメだよね。俺も行ってくるよ」
真っ直ぐな彼女の目に、気持ち良くなりたいという気持ちにとうとう、負けてしまった。
行くと言ってすぐ、ホッと温かな笑みを、彼女から向けられる。
それがいいよ、と背中を押すように。
「うん!結構熱いから、気をつけてねー」
濡れた髪を拭くリリスに見送られながら、遠慮するなと言い聞かせるように、湯気の立ち昇る方向へと足を進めていく。
宿の裏手、馬小屋から少し離れた場所に歩き続けているうちに、だんだんと上がる白煙の濃さも、熱さも増してくる。
煙の近くでは、マンソンさんと思われる声が聞こえ、その側で暑そうに自分の番を待っているトミーさんが立って居た。
トミーさんの次に、入れてもらおうかな。
そう考えながら、他に待っている人を探して目線を向けていると───。
ふと木の近くで空を見つめている、ディアナさんの姿が目に留まった。
まだ濡れた髪を風になびかせながら、寂しそうに───。
ひっそりと、木に寄りかかりながら、ジッと空を見つめている。
彼女の見ているその先が気になり、俺も夜空へ目を向けてみた。
昨日と同じように、穏やかに輝く
あの向こうに、彼女は何を見ているんだろう。
まだ会って間もない自分が、あまりずけずけと、彼女について色々と気にする必要は、無いのだが───。
彼女の、その
ここで、しっかりと聞いておかないと、いけない。
これは、今の自分にしか、聞けないんじゃないのか。
そんな思いが、ふつふつと湧き上がってきていたのだ。
「お疲れさまです、ディアナさん」
俺は思い切って、彼女の側に歩み寄ってみる。
「ん?ああ、君か」
自分の姿に気づいた彼女は、空から目線を外してすぐ、その場を後にしようとする。
「あ、いえ。いいんです、俺もちょっと気になっただけなんで。すいません、話しかけたりして」
「いやいや、別に謝る必要なんか無いよ。あたしも勝手にボーッとしていただけだから」
どうぞお構いなく、と言うように身振り手振りも交えながら声をかける。
彼女も、穏やかな表情を返してくれた。
動きかけた彼女は再び木に寄り添うと、ジッと空を見つめ直す。
俺も、彼女の見ている物を見てみようと、またジッと視線を夜空に向けて見た。
明るさの違う、さまざまな光が───。
「ディアナさん、今何を見ているんですか」
空を見つめているうちに、そんな言葉が自然と出てきた。
「そうだな・・・・・・。あたしの
彼女の口から発した故郷という言葉。
ふっと耳に入ったその言葉には───。
寂しい。
という文字だけで説明がつかないほどの───。
こちらまで釣られて涙が出そうになりそうなほどの、そんな思いが込められているような気がしたのだ。
「遠いんですか?」
「うん・・・・・・。ずっと、ずっと、ね」
ずっと、ずっと・・・・・・。
その言葉が、ずしんと
故郷には、もう戻れない・・・・・・。
そんな、諦めにも似た思いが、彼女の目を、表情を通じて、語りかけてきているような気がしていた。
「たまにな、こうやって、星のよく見える夜なんかは、空を独りで見ているんだよ。気持ちを落ち着けたり、色々・・・・・・考えたりしてね」
ぽつりと
色々、考える───。
その言葉を心の中で復唱しながら、もう一度視線を夜空に戻してみた。
うっすらとした黒雲が、ゆったりと流れている。
やがてそれは、じんわり星達を隠していき、また向こうへ、向こうへと緩やかに流れていく。
夜空の
明らかに別人だという見た目なのに、それは俺だと分かる謎の男。
その男が冷たい水の中で、朝日を見ながら自分になっていって・・・・・・。
あれはいったい、どういう意味だったんだろう。
自分とは無関係だと、考えられないようなあの夢は、いったい・・・・・・。
気持ちを切り替えるように1回、2回と
彼女の瞳にあった寂しさの色は少し落ち着いて、どことなく明るみの含んだような、優しい目になっていた。
自分の事だ、聞いたところで・・・・・・なのかもしれない。
でも、聞いたら何か分かる事があるかも───。
今なら何か、ひと筋見えてくるのかも───。
帰ってからスタックス支部長に相談してみようと思っていた、あの悪夢の事を、彼女に話してみる事にした。
「すいません。ディアナさん、少し聞いてもいいですか?」
「なんだ?仕事の事か?」
「いえ、そういう訳じゃないんですれけど・・・・・・」
空に向いていた彼女の瞳が、ふっと自分に向けられる。
「変な話なんですけど、俺、自分じゃない別人が、自分だったっていう夢を見たんです」
彼女は何も言わない。
ジッと目線を外さずに、めちゃくちゃな自分の言葉に、耳を
こくり、こくりと頷きだけを返しながら。
「しかも、妙に生々しいというか。それを、その、一度経験した事があるような、そんな夢だったんですよ」
そう言い終えてから、しばらく沈黙が流れて───。
ディアナさんが、目線を合わせ直して間もなく、ふと口を開く。
「どういう内容だったんだ?」
その内容を説明しようと、あらためてあの夢の事を思い返す。
背筋に走る、ゾワリとした寒気の後に、つっとした汗が
冷たい水の中で、刃物で腕を切ったまま───。
朝日を見つめながら、死んでいく自分。
その姿は、今の自分と違うのに───。
それを見ている自分は、それが自分だと認識出来ている。
あの夢の内容が、ちゃんと伝わるように───。
同じような光景が、彼女の頭の中にも見えるように。
慎重に言葉を選んでいく。
「左の腕を切ってから、水の中で冷たくなって・・・・・・」
彼女はそう呟きながら、ちらりと俺の左腕に、目が動かした。
俺もあらためて、自分の腕に目を向けてみるが、当然そんな傷はどこにも無い。
傷
「
彼女はそう言って、首を傾げながら、うーーんと
「す、すいません。変な話ですよね。ディアナさんにこんな事聞いて、すいません」
やっぱり、言うべきじゃなかった。
浮かんできた後悔と、申し訳ないという気持ちに、思わず頭を下げてしまう。
「うん?いやいや、アール君は気にしなくていいよ。君も大事な話だったから、わざわざ話してくれたんだろ?」
そう言いながら、ディアナさんは微笑み返してくれたのだ。
その笑顔と、思いやりに今度は───。
ありがとう。
という言葉が気持ちが、ふっと胸の奥から、湧き上がってきた。
「そうだな。正直な話、その夢がどういう意味なのかは、あたしにもちょっと、分からないな・・・・・・。すまない」
「い、いえ。こちらこそ、聞いてもらえてありがとうございます」
申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる彼女に、俺も頭を下げ返す。
「ただ・・・・・・」
ただ・・・・・・?
問い返すように、ふと目線を上げる。
「きっとその夢は、どうして記憶が無いのか、分かる手掛かりになるんじゃないのかな、多分。なんとなくだが、あたしはそう思うよ」
その言葉を聞いた瞬間、ホッと胸を
良かった・・・・・・やっぱり、聞いて良かった。
夜風で冷たくなっていた頬がふっと緩み、肩の力が抜けたのが分かる。
「アール君、怖いかもしれないけれど、それは書き残したりして残しておいた方がいいよ、きっと。絶対、後々になって、役に立ってくると思うな」
「はい!ありがとうございます、ディアナさん!」
彼女の助言に俺は返事をする。
「あ、居た。おーいアール、お前が最後だぞ。入らないのか?」
ふと声がしたので後ろを振り返ると、トミーさんが手を振って呼びかけている。
彼の短い髪はうっすらと濡れて光り、ほんのりと体からは湯気が出てきていた。
「す、すいません!今行きます!」
もうそんなに経っていたのかと、慌てて彼の呼ぶ方へ駆け寄ろうと身を向けた。
「アール」
ディアナさんがふと、俺の事を呼ぶ。
「仕事だけじゃなくてもいい、今日みたいな事でもいいからな。困ったらいつでも話せ。相談に乗ってやるぞ」
笑顔で彼女は、その場を後にしようとする俺に、声をかけてくれた。
良かった、やっぱり聞いておいて。
「ディアナさん、ありがとうございます!」
「アール!お湯冷めちまうぞー」
「す、すいません!行きます!」
もう一度彼女に、深く頭を下げてからその場を後にする。
夜空にかかっていた黒雲はもう抜け切り、星は変わらず穏やかに、ゆったりと輝いていた。
-続-
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