第5回「水の中で」

 <まえがき>

・暗い内容になります。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 俺はふと、おかしな場所に今居る事に気づいた。

ディアナさんにトミーさん、それとリリスさんも一緒になって、稽古けいこを終えて───。

初めての仕事に向けて、あの部屋で眠りについたはずなのに。

ふと意識が戻った時には、俺の周りは音も無い、真っ暗な場所に変わっていた。



 なんだ?もう、朝なのか?


 いや、それにしてはおかしい。

 朝ならあの窓から、光が差しているはず───。



 そうだ、まだ夜なのか。



 でも、夜にしては暗すぎる。

 ここには星明かりも、何も無い。


 ──────いったいここは、どこなんだ。



明日に向けて用意していたはずの装備も、スタックス支部長から譲られたあの剣も・・・・・・。

そして大切な、唯一の手掛かりである、あの短剣も見当たらなかった。



 何も無い、何も聞こえない真っ暗な場所に。

 ただ俺はそこに、立っている。



 なんだここは。

 なんでこんな所に居るんだ。



わけも分からず、ただ闇雲に首を動かしていると───。

不意に体と正対するように、ある光景が、ドンと目の前に映しだされた。






それは、見慣れぬ物と、見慣れぬ人だった。



 白い大きな容器の中に、なみなみと満たされた───。

 見ているだけでも、こちらの身が震えてくるような冷たくて、暗い水。


 その水の中につかかっている、血の気の引いた───。

 生きているとは、とても思えないような、若い男の姿。



容器の側に、歩み寄ってみると、その冷たい水の底に何かが沈んでいた。






水底に沈んでいたのは、黒い柄の付いた刃物。

光も無い真っ暗なこの場所で、寒気がするほど、それはぐろんと、にぶく光っていた。



 なんで刃物が、沈んでいるんだ。

 いったいこいつは、誰なんだ。


 ───俺は何を、見せられているんだ。



ここがどこかも、どうすれば良いのかも分からないまま───何か知る手がかりは無いものかと、さらに刃物が見える位置まで行こうと、爪先つまさきの当たるギリギリまで寄ってみる。

沈んだ刃物をしっかり確かめようと目を向けた時、彼の右手にある物が、ぐんと突き刺さった。



 ざっくりと深く、何回も何回も切ったような、深い傷。



「あっ」


 と声が漏れそうになった時、その水の中で沈む彼が、目を開けた。

すぐにでも閉じてしまいそうなほどに、うっすらと開いたその目。

その鈍い黒が、震えるまつ毛が、ぞわりとしたある言葉を、俺の奥底からき立ててきた。




 これは、俺じゃないか。




稽古の後に、支部長が持ってきてくれた胸当てを合わせる時に見た、自分の姿。

あの鏡に写った自分の姿と、この中に沈んでいる、瀕死ひんしの彼とはまったく姿形すがたかたちが違う。

違うはずなのに────その目から飛び込んで来るが、それが俺だと認識させてくれていた。



 なんで俺が、水の中で、こんな姿で・・・・・・。



そう思った瞬間、ふっと虚ろなその暗い目が、ハッと俺の目と合った。

その目からは、しとりと一筋のしずくが、流れている。

俺の方を見ながら一滴、また一滴と薄い涙を、その目から流していた。



 なんで、俺は泣いているんだ?

 なんで、このしたたる涙を見ていると、体から力が抜けていくんだ?



俺はふと、その目が見つめる先に目を向けてみる。



 その向こうからは───。

 うっすらと淡い、朝を知らせる穏やかな光が、ゆっくりと昇っていた。



冷たい、水と混ざった暗いよどみの中で───。

俺はようやく、涙を流している理由が、なぜこの暗い闇の中に居る理由が、分かった。



 そうか・・・・・・。

 俺はこの、水をめた湯ぶねの中で。



 こうして、朝を迎えながら・・・・・・。

 誰にも、気づかれないように。






 死んだんだ。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「ハゥ!!」


 何かで突かれたような勢いで、がばりと体が起き上がる。


「あれ、あれ・・・・・・?」


 辺りを見渡すと、そこは部屋になっていた。

窓に視線を向けてみると、穏やかな朝の光がゆらゆらと、暗い空から少しずつ昇っている。

また視線を動かすと、机の上にはあの短剣が置いてあり、その近くには支部長から譲られた剣と、稽古けいこ終わりに合わせてもらった胴当てや、脛当すねあてが壁に添わせて並べられていた。



 ここは、自分の部屋だ・・・・・・。



そう思いながら、寝ていたベッドの方へと視線を寄せていく。

シーツはぐっしょりとれて、き詰められていたわらも、すっかり水気を吸ってぐーんと沈み込んでいた。

ふとひたいに、ほほに手を当てると、しっとりと濡れて冷たくなっている。

どうやら寝ているうちに、自分は酷く寝汗をかいていたらしい。



 そうか、あれは夢か・・・・・・。



ついさっきまで見ていた、真っ暗な、音も無い世界。

自分じゃないはずの自分が、誰にも見取られないまま、冷たい浴槽よくそうの中で死んでいく姿。



 あれはすべて、この寝汗が見せていた、夢だったのか・・・・・・?



ひざに手を乗せて何度も何度もさすらせながら、出てきた言葉に対して、こくり、こくりとうなずく。

そうだ、そうなんだ、と言い聞かせるように。

手のさすりが落ち着いたところで、ふうと深く息を吐く。



 そうだ、もう朝になっているんだ。

 初めての仕事に向けて、準備をしておかないと。



その前に、とベッドに敷いていたシーツを裏向きに広げて、濡れて重くなっていた藁をその上に敷き並べていく。

こうやった後に扉と窓を開けて、藁を乾かしておかないと、ベッドをまた敷き直すセシリーさんに苦労をかけてしまう。

俺は湿った藁を、がばりとつかんでは広げ、また掴んで満遍まんべんなく広げていった。

そうしているうちに、またふっと、真っ暗な夢の光景が頭の中に映る。






朝の光を見つめながら、冷たい水の中で死んでいったあの光景。

あの光景を、今もう一度思い返していると、今度はだんだんと、それがただの夢では無いような気がしてきたのだ。

自分の姿とは違うのに、俺だと分かった、あの夢の中の男。



 そうだ・・・・・・俺は、あれを確かにが、経験しているんだ。

 でも、経験しているというならいったい、いつの出来事なんだ・・・・・・?


 あそこに居た俺は、あの朝日を見ながら死んでいるんだ。


 でも、俺はし、

 いったい、あれは・・・・・・。



そんな事を考えていると、ガチャリという音が聞こえてきた。

ふと視線を向けると、支部長が戸の間から顔を出している。

どうやら、俺を起こしに来てくれたようだ。


「ああ、もう起きていたのか」

「支部長、おはようございます」


 朝の挨拶あいさつに、スタックスさんは笑みを返してくれる。


随分ずいぶん寝汗をかいていたんだな。私も手伝うよ」

「すいません、朝から手伝ってもらって・・・・・・」



 まだ俺1人では胴当ても、脛当ても上手く着けられない。

 それも兼ねて、初仕事にこれから臨む俺の為に、支部長は部屋に来てくれているんだ。



そう頭の中でつぶやきながら、せっせと藁並べを手伝ってくれる彼に、深く頭を下げる。

彼の横顔にふと視線が合った時───。



 さっきまで見た夢の事を話そうか。



そう一瞬、思い立った。


「・・・・・・?どうしたアール君」


 彼も手を止めて、不思議そうに俺の目を見ながらそう話してくる。



 しまった、ついうっかりしていた。



「いえ、大丈夫です。すいません」


 そう言ってから、俺はまた藁を抱えて並べ広げていった。



 あの夢の話、あれはまた帰って来てからゆっくりと話そう。

 これからの仕事に向けて、気持ちを作っておかないと。

 余計な事は、今考えちゃダメだ。



そう思い直しながら、朝日を浴びるシーツいっぱいに、濡れた藁を広げ続けるのだった。




 -続-




 <あとがき>

・次回から活動パートに入ります。閲覧ありがとうございました。

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