第4-1回「ある朝」


 まぶたの軽さで意識が戻り、フッと目が覚める。

体を起こしてみると窓からは薄く、白い光が差し込んでいた。



 そうか、もう朝か。

 支部長と一緒に帰って来て、セシリーさんを布団の中に寝かせて───。

 そうだ、それでそのまま眠りについてしまったんだ。



差し込む光に目をやりながら、昨日の出来事に向けて記憶を巡らせていく。

頭の中にふと、風味豊かな食事を囲って、互い互いに語り合う、ビアホールでの光景がまた、克明こくめいに映し出されてきていた。



 昨日は楽しかったな・・・・・・。



自分の話した事に乗っかってくれたと思えば、どんどん話題がつながっていき、あれよあれよと声に乗って、転がって、止まる事なく進んでいく。



 ああ、良いひと時だったな・・・・・・。

 また、ああいったひと時を、皆と過ごせるのかな。



あかりに照らされてまぶしく輝いていた、皆の笑顔。

からになってはそそがれていくビール。

肉汁のじんわりとしたうまみと、ソテーされたニンジンといもの甘みが、親睦会しんぼくかいに思いをせているうちに、つばに乗ってじわじわと染み出してきた。



 とにかく、もう起きよう。



よっ、と体を軽くひねってベッドから降りると、スッと立ち上がり周囲を見渡す。

ふと閉められた扉の方へと視線を向けた時、ある物が置かれている事に気がついた。

木目調の壁に立て掛けられたそれは、かわさやに収められ銀色の輝きをキラリと放っている。

ひと目で俺は、それが剣だという事を、理解出来た。



 でも、どうしてこんな所に、こんな物が・・・・・・。



そう疑問に思いながら、革に手を掛けてみる。

革を触った瞬間に伝わる、ひやりとした、水とは違う独特の冷たさ。

そのまま手を持つ部分をにぎりながら、スッと上に引き抜いてみた。

光沢こうたくを放つ剣身は、少しくすんで見えている。

だが、外からの淡い光に照らされる度に、何かを伝えるように、きらりと一筋の線を放っていた。



 まだまだ俺は戦える。



と、語りかけてくるように。

剣を鞘に収め直してから、両手で握りつつ全体をまじまじと見渡してみる。



 まったく身に覚えの無い、この剣・・・・・・。

 多分、誰かの物だよな・・・・・・。



そう思いつつクルリと裏返して目を通してみる。

革の部分には、誰かの名前と思われる文字が刺繍ししゅうされていた。

その刺繍に、俺はようやくこの剣の持ち主と、なぜここにあるのかを、すぐに理解する。


『北方軍 スタックスJr.ジュニア・サットン』



 そうだ、昨日侯爵こうしゃくの所で話をした帰りに、傭兵ようへいとして働く意思を、彼に伝えていたんだった。

 自分の持っている武器は、流されてきた時から身につけていた、あの短剣しか無い。


 そんな、装備のとぼしい俺の為に、支部長は自分の物を・・・・・・。



小さなつくえの上に置いてあった、あの短剣を腰に差して、軽く身を整えてから下へと降りてみる。

外に通じている、一番下の階まで降りていくが、支部長の姿はどこにも無かった。

あの大きな机に突っ伏して寝ている事も無く、少しひやりとした空気で辺りは満たされている。

顔でも洗っているのだろうか、と思い今度は井戸に通じる裏口を開けてみた。

そこにも彼の姿は無く、心地良い青っぽい空気と、まだ夜の色を含ませた影が広がっているだけだ。



 支部長は俺に剣をたくして、どこへ行ったのだろう。



そう思いながら、うーんと軽く伸びをする。

それなら、自分も一日を迎える準備をしようと井戸へ足を進め、軽く顔を洗ってから、ついでに下の階に置いてある水がめの分にも足し増す事にした。

入れ物に冷えた水をなみなみと注ぎ、えいやと持ち運んでいく。



 セシリーさんは、ここの留守番をしている間は、こういうのを1人で、洗濯や他の作業もしながらやっているんだな。



穏やかに振る舞っている彼女の、見えない苦労を感じながら、蓋を開けて口の大きな水瓶の中へ注いでいく。

もう1回分、やった方がいいかなと思った俺は、もう一度中庭へと足を運び、水をみ直す。

よっさ、よっさと水を波立たせながら、こぼさないようにと慎重しんちょうに裏口を開けて入ると、聞き覚えのある声に呼びかけられた。


「おはよう、もう起きていたんだな」


 声のした方へ、目を向けてみる。

淡い光を背中に浴びて、ディアナさんがそこに立っていた。


「ああ、ハートさん・・・・・・ですよね?おはようございます」

「いいよ、ディアナで。そんな堅苦かたくるしくならなくても、私は大丈夫だから」


 俺の返事に彼女も笑みを返す。

手がふさがっている俺は、早く作業を済ませてしまおうと、水面を揺らしながら水がめまで運んでいく。


「よっと。アール君は随分ずいぶんと早起きなんだな。眠れなかったのか?」


 水がめのふたを開けてくれながら、彼女が話しかけてくれる。


「あ、いえ。よく眠れましたよ。目が覚めたら、たまたまこれぐらいだっただけですよ」


 その言葉に彼女が笑った。


「ははは、それでも良い事だよ。寝起きが悪いよりずっとマシだ」


 寝起きが悪い、という言葉に、つい2日前見たセシリーさんの姿がよぎる。



 いやいや、たまたまだと本人は言っていたんだ────それは彼女に失礼すぎる。



浮かんだ像をき消すように、ギュッと目をつむってから、軽くぴしゃぴしゃとほほを叩く。


「この感じだと、隊長は自分の所に帰っているようだな」



 自分の所・・・・・・?



隊長という呼び名にも、何か引っ掛かりを感じた俺は、ふと彼女に問いかけてみる事にした。


「隊長って、支部長の事ですか?あと、自分の所ってのは・・・・・・」

「ああ、すまんすまん、つい昔のくせで。あの人ここの裏に家持っていてね、普段はそこで生活しているんだよ」


 ここの裏、とは、あの中庭をはさんで向こうの家、という意味なのだろうか。


「じゃあ、井戸の所を挟んだ向こうに、支部長の家が・・・・・・」

「そうそう。でも忙しくて余裕の無い時なんかは、ここで突っ伏して寝ているよ、ははは。アール君は降りてくる時に、姿を見かけなかったか?」


 ええ、と返事をした俺の言葉に、彼女もそうかと言い、軽くうなずき返す。



 また一つ、皆の事を理解する事が出来た。



そう思っていると、今度は彼女の目線が、机の上に置いていた支部長からの剣へと移っていく。


「ああ・・・・・・。久しぶりに見るな」


 そう言いながら、彼女は革から剣を抜いて、にぶく光る刃に、持ち手にまじまじ目を通す。

その目には、過ぎてしまったあの時への懐かしみを感じるような色と───。

なぜか、深い悲しみの色が、溶けて広がっていた。



 支部長とディアナさんの過去に、それだけなにか、多くの出来事があるのだろうか───。



哀愁あいしゅうに満ちたその姿に、2人の言い知れぬ過去を感じ取る。

ひと通り剣を眺め終えた彼女は、元に収め直してまた机に戻しながら、話し始めた。


「さて、まだ朝も早いけれど・・・・・・もうアール君は起きているんだよな。どうしようか・・・・・・」


 そう言いながら、うーんと彼女は悩み出す。


「そういえばディアナさん。何か支部長に用事があって、来られたんですか?まだ朝も早いのに、こうして来られているから・・・・・・」


 彼女と会話するうちに、俺はその事をすっかり忘れていた。



 まだ朝になったばかりなのに、わざわざここへ彼女は足を運んで来ているんだ。

 それなのに、気づかないままつい、長々と話し込んでしまった。



「うん?いや、支部長じゃないよ。アール君に用があって今日は来たんだ」

「えっ?じ、自分ですか?」


 予想していなかった言葉に、思わず聞き返してしまう。


「ああ。後で支部長からも聞くと思うけれど、明日から一緒に仕事をする事になったからね」


 ようやく俺の頭の中で、線がぴたりと繋がった。



 なるほど、そういう目的で彼女は朝早くに来てくれたのか。



「ディアナさん、やっと分かりました。朝早くからすいません、俺なんかの為に早く来ていただいて・・・・・・」

「ははは、なあに私こそ、よろしくお願いするよ。今日1日で、どれだけ出来るか分からないけれど・・・・・・。付きっきりで、何でも教えるから、気楽にドンと、構えていてくれ」


 明るく笑いながら、ディアナさんはそう返事をする。

それじゃあ早速さっそく、何から始めようかと、机に置かれた剣に手を掛けようとした瞬間、奇妙な音が部屋いっぱいに広がった。

俺の腹の底から、ぐるるるる・・・・・・と、鈍いうなり声が聞こえてくる。



 そうだ、まだ朝食も食べていないんだった。



「なんだ、アール君。まだ何も食べていなかったのか」

「ああ、その・・・・・・。はい」


 彼女にそう聞かれて、無性むしょうに恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。

あれもこれも忘れて、つい気になった物事に目移りしていくうちに、生きていく上で何より大切な事を、すっかり置き去りにしていた。


「それなら丁度いい。私も手伝うから、一緒に朝食を作ろうか。まだ私も食べていないし」

「そうだったんですね。でも、大丈夫ですかね?」


 彼女の提案にいいなと思いながらも、ふとまだ寝ているであろうセシリーさんや、ここに居ない支部長の事が気になった。



 黙って作ったりして、大丈夫なのだろうか。



「大丈夫だよ、支部長が家に帰っているのなら、そこで食べてからここに来るのが普通だし。セッちゃんは・・・・・・まあ作っているうちに降りてくるだろうから、そういう事で怒ったりしないよ。むしろ、焦って手伝おうとするくらいだし」


 ニッと笑いながら、そう話すディアナさん。

また頭の中に、この前の、慌てて階段を降りる彼女の姿が思い浮かばれた。


「それなら、分かりました。俺も手伝いますから、何作りましょうか」


 ディアナさんの明るい笑みに、俺も頷き返す。

彼女が言っているんだ、俺もここはディアナさんに任せよう。

ディアナさんは目線を周りに向けながら、うーんと考える。


「多分、パンの在庫があるだろうから・・・・・・。あとは野菜でもあれば煮込んでスープにして、それでいこう。無ければ・・・・・・ま、何とかなるだろ」


 そう言いながら、たなの方へと移動する彼女。

俺もその近くに寄っていき、一緒に朝食の支度したくを始める事にした。



 初めての仕事に向けての、初めての稽古けいこ

 その前に腹ごしらえをしてから───か。



まだ先の見えないこれからへの楽しみと、ちょっとだけの不安を胸に、俺は彼女から手渡されたニンジンと菜っ葉を抱えて、1日の始まりを迎えるのだった。




 -続-

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