第3-1回「ジュロマン公」


 今日も昨日と変わらず、朝の光は落ち着いていた。


「ありがとうセシリーさん。林檎りんごいてくださって」


 切り分けられたそれを食べながら、俺は彼女に礼を述べる。


「いえいえ。アールさん、今日も早起きだったんですね。ちょっと驚きましたよ」


 彼女も微笑を浮かべながら、軽く礼を返してくれた。

口の中でしゃく、しゃくと音を立てる林檎のみずみずしさが、じんわりと甘みをまとっていきながらのど全体へ染み込んでいく。


「セッちゃんも見習わないとな。ははは」

「も、もう。それは言いっこ無しですよ・・・・・・」


 スタックス支部長は彼女を揶揄からかいながら、切り分けられた林檎を1つ、2つと口に運んでもしゃもしゃと食べている。

寝起きの悪さをまた指摘され、彼女も少しばつが悪そうだった。


「スタックスさん、服、ありがとうございます。本当にいただいてもいいんですか?」

「ああ、もう大きさの合わない物だし。それに君も、流されてきた時のあれ1着だけだと、色々と不便だろ?」


 寝る前に彼から貰った、今着ている穏やか緑色の服。

ぴっちりとし過ぎず、ぶかぶかでもない、程良ほどよいゆとりを持たせたこの服は、着ているだけでも少し心に余裕を持てそうな、そんな印象を抱ける服だ。


「どうだい、着心地は」

「すごくいいですね。本当に、こんな良い服いただけて、俺嬉しいです!」

「ははは。そこまで喜んでくれたら、私も嬉しいよ」


 話しながら林檎を3人で食べているうちに、あっという間に残り1切れになってしまった。

手振りで支部長は俺に譲ってくれたので、俺もセシリーさんに目線を向けてみるが、彼女も彼女でどうぞ、どうぞと俺に譲ってくれていた。


「じゃあ、すいません。いただきます」


 2人から譲ってもらった林檎を、俺はありがたく頬張ほおばり、しゃくしゃくと染み出る優しい甘みを噛み締めていった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 朝食を済ませて、留守番をするセシリーさんに別れを告げてから、俺はスタックス支部長に付き添われて、昨日話してくださった『魔法分析まほうぶんせきにもたずさわっていた、えらい人』の元へと向かっていた。

彼の居るその場所は、このニッコサンガの主要部らしく、身分を調べる為にうかがった役所よりも、さらに奥にあるらしい。

来た事も無い通りを何箇所なんかしょも抜けていき、初めて役所へ訪れた時と、よく似た場所へと辿り着く。



 距離的には、戸籍こせきを調べてもらう為に行ったあそこと、そんなに変わらないか。

 でも、あの時よりもまあまあ、歩いたような気もするか・・・・・・?



そんな事を自問自答していると、門の近くで支部長が手招きしていた。


「おーいアール君。私だけ来ても仕方ないだろー」


 我に返り、慌てて彼の側へと駆け寄る。

俺がぼーっと考えているうちに、立派な装備をまとった門番の人と、彼は話を済ませていたようだ。


「す、すいません。考え事していました」

「いいっていいって」


 慌ててスタックスさんに頭を下げる。

彼は、門番に会釈えしゃくをしてから、ずんずんと敷地内へ足を踏み入れていく。

俺も彼に続いて、軽く一礼してからその後ろについて行った。



 初めてニッコサンガを見た時、山のように大きな物がぼんやりと見えていたが───。

 なるほど、その正体はここだったのか。



右を見ても左を見ても、堅牢けんろうに作られた立派な建物がそびえており、少し目線を歩く方へ戻すと、その先にある建造群が、小高い丘のような場所に建てられている事がよく分かった。



 この先にある建物で、俺はこれから話をするのか───。



そう思うと、またどくどくと胸が高鳴ってくる。

坂のような道を上がりきると、目の前には白い大きな建物が、どんとそこで重厚じゅうこうさをはなっていた。


「アール君!アール君!」


 彼の呼ぶ声に、また我に返る。

支部長は少し不安そうな表情で、俺の方を見つめていた。



 ここに着いてから、さすがにボーッとし過ぎだ、俺。



ぶるぶるぶると、顔を横に振り回してから、大きな扉の前で待っている彼の側へとけ寄っていく。


「す、すいません。つい、うっかりしていました・・・・・・」

「大丈夫、気持ちは分かるよ。彼が呼ばれている、アールだ。私はその付き添いで、支部長のサットンだ」

「お話はうけたまわっております。どうぞお入りください」


 そう言うと立派な装備の見張り役と思われる人は、ぎい、と大きな扉を開けて、俺達を中へとうながしてくれた。

扉の向こうには見た事も無い、艶々つやつやとした空間が広がっている。

石で組まれた壁や床は、どこも全てしっとりとした光沢こうたくを帯びており、歩くたびにきゅ、きゅうと小さくき物が音をたてていく。

呆気あっけに取られて右に、左に目を泳がせていると、向こうの方から人がやって来た。

その人は、整えられた白髪しらが頭で立派な口髭くちひげたくわえており、歩き方一つ見ても、どっしりと威厳いげんに満ちた雰囲気をまとっているように見えている。


「話は聞かせてもらったよ。君がスティッケルの国から流れ着いて来た、アール君だね」


 ゆっくりと口髭を動かしながら、その初老の人は尋ねてくる。


「は、はい。初めまして」

「私は彼の付き添いで、今は身辺を預かっています。サンフィンチ商会のスタックスジュニア・サットンと申します」

「ああ、久しぶりだね将軍の息子さん。これからも力を貸してもらうが、よろしく頼むよ」


 挨拶をしている支部長が、いつもの穏やかな雰囲気と打って変わって、ピシッと緊張感をまとっているような───そんな感じに見えた。



 スタックスさんがこんなにも緊張する相手だ。

 この人は相当、偉い人なんだな・・・・・・。



「立ち話をするのも疲れるだろうから、部屋でゆっくり話そう。ついて来たまえ」


 そう言いながら、目の前の彼は俺達を近くの部屋にまで案内してくださった。

かつ、かつと小気味良く聞こえる2人の足音に混じって、こするような俺の足音が両壁をつたっていっぱいに広がっていき、その音でますます体が強張こわばってくる。


「さあ、入りたまえ。どこへ掛けても構わんよ」


 扉を開けて、彼に促されたその部屋は、細く丸いつくえが中央に備えられ、椅子いすがそれを囲うように置かれている、かっちりと整理された所だった。

等間隔に配置された窓からは、きらきらと光が差し込み、隣にある空間とここをつなぐようにとびらで仕切られていない通り道が、両端に1つずつ備えられている。


「さあ、遠慮せずに。どこにでも掛けていいから」

「えっ?あ、す、すいません・・・・・・」


 スタックス支部長はすっかりガチガチに固まってしまっており、もう全身に緊張が回りきっている感じだった。

俺も初老の彼に礼を返しながら、支部長のすぐ側の椅子へと腰掛ける。

ちょっと失礼、と彼は言うと、右隣に通じる方へと姿を消した。

姿を消した彼は、誰かを呼んでいる様子だ。


「あ、アール君。見苦しい姿を見せて、申し訳ない。王都の宮殿は、小さい時に一度行った事はあるが、ここは本当に初めてでね。は、ははは・・・・・・」


 気をつかってなごませようと話しかけてくれた支部長のほほは、引きってとてもぎこちない笑顔になっている。


「だ、大丈夫ですよ。俺は経験すらしていませんから。は、はははは・・・・・・」


 無理に笑みを作って見せて、俺も彼を和ませようと返事をする。

しばらくすると、初老の彼が部屋に戻って来た。


「いやー、待たせたね。あっ、座ったままでいいよ。アール君は初めましてだね。君とは、何度か会った事はあるか」

「ええ、まあ・・・・・・。もう、チラッと会ったくらいですけれども」

「ははは、そうだったかな。激戦の中でも、若いのにあんなに冷静で居られる人は珍しいからね。よほど印象に残っていたのかもしれんな」

「こ、光栄です・・・・・・」


 ガチガチの支部長に対して、彼は上機嫌な様子で話しかけていた。

ある程度笑うと、うんとのどを鳴らして───。

それから、表情を引き締め直し、彼は俺に対して目線を合わせ、口を開く。


「私はこのニッコサンガの統治を任されているジュロマンだ。一応国からは侯爵こうしゃくという位を与えられているよ。はじめまして」

「は、はい・・・・・・」


 ジュロマンさん、という名前は分かったが、他がいまいち頭の中に入って来ない。

つい考えも無く、気の抜けた返事をしてしまう。


「アール君、難しく考えずに町のえらい人だと思ってくれたらいいから。まあ、今は侯爵とかそういう説明はする必要ないでしょうし・・・・・・。ですよね、侯爵?」


 分かっていない様子の俺に察してくれた彼は、そっと言葉を添えてくれた。


「いや、聞きたいならいくらでも説明するよ。まあ、どこからするかで、日が沈んでも帰れなくなるかもしれないけれどね。ははは!」

「あ、だ、大丈夫です。ありがとうございます」


 目を細めて笑う彼の機嫌をそこねないように、声色にも気をつけながら返事をする。

まだ会って間もないのだが、侯爵のジュロマンさんは、どこまで本気で、どこまで冗談なのか、まるでつかみどころの無い不思議な人だった。


「さて、おしゃべりはそこそこにして、本題に移らせてもらうよ。ああ、ありがとう」


 さっきまでの笑顔が嘘のように、スッと真面目な表情に戻る侯爵。

通路からは付き人と思われる方が出てきて、3つの湯気立つ赤い飲み物を出してくれた。

俺も支部長が礼をするのに合わせて、付き人の方にお礼を述べる。


「飲みながらで構わんよ。君が流されてくる前───目覚めた場所、追ってきた相手、見えていた空───。今日に至るまで見てきた何から何まで、私に教えて欲しいんだよ」


 そう言いながら、侯爵は飲み物をずずりと口に運び、かちゃりと机に戻す。


「何でも・・・・・・ですか?」

「ああ。おぼれながら感じた事や、追われながら感じた事。色々あると思うが、全部思い出せるだけ言って欲しいんだ。とても重要なんだよ」


 真っ直ぐな目で俺を見ながら、彼はそう話す。


「あの・・・・・・聞いてもいいですか?」



 俺には、彼の意図いとが分からない。

 どうして、そんな事を聞くのか。



言いたくない訳ではないが、つい理由が知りたくて、俺は彼に尋ねてみた。


「ああいいとも。何だね?」

「ど、どうして・・・・・・。どうして俺がここに来るまでの事が、気になるのですか?」


 侯爵は口髭を触りながら、どうしてか・・・・・・とつぶやく。

難しそうな表情で、くるくると指で髭を触りながら深く考えている。

聞いてもいけない事だったのか、と思いスタックスさんに目を向けて見る。

彼は、大丈夫だよ、と言うようにこくこくと頷いてくれていた。

しばらくすると、侯爵の口が動いたような気がしたので、パッと目線を元に戻す。


「そうだね・・・・・・。君が記憶喪失きおくそうしつじゃない、と思ったからだよ」



 普通の、記憶喪失じゃない・・・・・・。



あえて疑問を残すようなその言葉に、俺は思わず言葉を返す。


「ど、どういう事ですか」

「まあまあ、誤解しないでくれ。君がおかしいとか、そういう意味じゃない。前例が無いんだよ、君のような人の」



 前例────。

 それも、俺のような人の────。



その言葉に、ふとある考えが頭の中に浮かんできた。



 状態になった人が、居るのか?



「ま、まさか!もしかして、それがくわしく分かれば、どうして俺がこんな事になったのか、分かるって・・・・・・」

「そ、それを判断する為に、これから話して欲しいんだよ。あ、あまり興奮しないで」


 俺の様子に、彼は苦笑いを浮かべていた。


「まあまあ、アール君。紅茶でも飲んで、ゆっくり話してくれていいから。君がどうして何も思い出せないのか、理由を探す為にも、今日は呼んでもらったんだから。落ち着いて、落ち着いて・・・・・・ね?」


 支部長も赤い飲み物をすすりながら、優しく手でなだめるような仕草をしながら語りかけてくれていた。

2人の様子に、やっと頭の中が落ち着き、冷静さを取り戻す。


「す、すいません。ありがとうございます」

「ははは、いいんだよ別に。お茶が足りなくなったら、遠慮無く言ってくれていいからね。すぐに呼び寄せるから」


 俺は彼の言葉に礼を述べてから、ふうと息を吐いてゆっくりと口を開いた。

置かれた3つの紅茶は、光を浴びながらゆらゆらとれている。

そのさまを、あの真っ暗な川で沈んでいた時と重ね合わせながら、俺は彼らに土色の、あの場所で目覚めた事を、ゆっくりと語り始めるのだった。




 -続-

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