第2-4回「夕食の時」
<まえがき>
・文字数は約5,400字。
読了に15分ほどかかります、ご了承ください。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
買い物の時にあれだけ明るかった空も、今はすっかり赤暗く染まって、風も
まだ仕事に出てから帰って来ないスタックス支部長の為に、俺はセシリーさんと食事の準備をしている。
彼女は今日買ってばかりの白菜と
俺は起こした火の始末を、彼女に
「うん!それで大丈夫ですよ。じゃあ、戻りましょうか」
彼女は手袋をしたまま両手で鍋を
慎重に薄暗がりの中庭を、ゆらゆらと湯気を揺らしながら彼女は歩いていく。
俺も側に付き添いながら、何かあった時に備えつつ裏戸の方へと歩いていった。
がちゃりと先に扉を開けて、中へ彼女を通すと、入ったその先からは明朗な声が聞こえてきた。
「おー、いい匂いだな」
「ああ支部長、おかえりなさい。さっき帰って来られたんですか?」
「ああ、そうだよ。今日も美味しそうだね、これはアンさんの
支部長は嬉しそうな表情で、熱々のスープを迎え入れている。
俺も支部長に、おかえりなさいと言葉をかけながら、裏戸をバタンと閉めた。
「アール君、ほら。これを預かってきたからね、君に返しておくよ」
そう言いながら、彼が鈍く輝く短剣を手渡してくれた。
「あら?それは何ですか?」
取り分ける食器をかちゃりと手に取りながら、彼女が聞いてくる。
説明しようと口にした瞬間、あっ、とスタックスさんと声が
思わず目を合わせると、彼は笑いながら、いいよと話すように
軽く
「すいません。セシリーさん、これは俺が流されて来る前から持っていた、唯一の装備品なんです」
「へえー。そのナイフが、アールさんの唯一の・・・・・・あれ?でも、どうしてこれを役所に預けていたんですか?」
何か疑問に引っ掛かったのか、彼女は言葉を途中で止めてしまう。
その疑問に答えるように、支部長が言葉を続けた。
「彼の身分を調べてもらう為に、手掛かりとして戸籍担当に調べてもらっていたんだ。ほら、そこに書いてある文字。どうやらそれが、何かに
「なるほど。そういう事でしたか」
納得したように
「で、スタックスさん。あの書かれていた文字、何か手掛かりになりそうでしたか」
居ても立っても居られず、彼につい尋ねてしまう。
「ま、その事についてもゆっくり説明したいから。せっかく作り立てなんだ、食べよう。食べながら説明するよ」
彼は少し顔を
「あ、それもそうですね。さあ、アールさんもお掛けになって」
「えっ?ああ、はい・・・・・・」
流れに従うように、俺も彼女の動きに釣られて、手の指し示す先にある席へと腰を下ろした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
温かいスープを少しずつ掬っては口に運び、その
そして、今度はパンを口に運んでは少し
「アール君、ちょっといいかな」
またスープを味わおうとした時、彼から唐突に声をかけられた。
手を止めて視線を向けて見ると、その表情はいつになく神妙なものだった。
「その、ナイフに書かれていた文字が分かってね。『スティッケル第3地区部隊』と書いてあったんだ。聞き覚えは無いかな」
「・・・・・・いえ。すいません」
昨日の遅くに役所で手続きをしてもらった際にも聞いた、スティッケルという場所。
あらためてもう一度、その地名について聞かれているが、やはり自分の中では何一つ、ピンと来るものが無い。
「そうか・・・・・・。セッちゃん、あの後に彼と、何か勉強したりしたのかね」
今度は彼女の方を向いて、支部長は
スープを飲みかけていた彼女は、少し焦りながら答えた。
「えっ?ええ、文字の書き方とか、簡単な計算とか、色々ですね」
「そうか。どんな感じだった?こう、勉強の
さらに言葉を続ける支部長に対して、彼女は微笑を浮かべながら返事をする。
「進捗ですか?とてもスムーズでしたよ。文字も、数字も書き方を覚えたらすらすらと書いていましたし。計算も式を使うような難しい物はまだやっていませんし。あっ、でも」
そう言いながら、彼女は手を止めて少し言葉を詰まらせた。
その様子に、スタックスさんがぴくりと反応する。
「でも?」
「ええ。文章の書き方とか、そこはまだちょっと苦労している感じでしたね。地名とか、名前を上手く書けないじゃなくて、こう・・・・・・日記を上手く付けられない、みたいな」
その様子に彼は軽く
「アール君、君はどんな感じだったのかい、その時」
そう聞かれて、俺は
「ええっと・・・・・・。上手く説明出来ないですけれど」
その時思った事を、頭の中で寄せ集めながら文章にしていく。
彼は何も言わずに、ジッと言葉を待っていた。
「こう、詰まりながら・・・・・・。上手く言えないんですけれど、ぐっ、ぐっと、違和感みたいなのに止められながら、書いていました」
「違和感?」
「あ、はい。本当に、上手く言えないんです・・・・・・。すらすらと、頭の中では書けそうな感じがするのに、違う文字を書いてしまうような」
そうか、と
そしてそのまま、何も言わずに彼は考え込んでしまった。
彼女は手を止めながら気まずそうに、俺と彼に目を何度も向けている。
その様子に、俺も何だか気まずくなってきた。
「あ、あの・・・・・・。スタックスさん?」
俺は我慢出来ず、つい彼に声をかけてしまう。
その言葉に彼も、あっと小さく声を漏らして反応した。
「あ、ああ。いや、待たせちゃったね。ごめんよ、私に構わず食事していいから」
その言葉に彼女は息を漏らして頷き、俺も少しホッと胸を撫で下ろす。
少し温くなったスープをまた掬って、一口ずずりと飲むと、また彼から声を掛けられた。
「アール君。明日一緒に、ある場所に来てもらえないかな」
────えっ?
と声を漏らして、思わず彼の方へ視線を向けてしまう。
「私も同行する。ある場所に行って、これまでの話を全部、してもらいたいんだ」
「これまで、と言いますと?」
言っている内容が理解出来ずに、思わず聞き返してしまう。
「その、見た事も無い場所で目覚めて、怪物に追いかけられて、川まで逃げて
真っ直ぐな目で彼はそう答える。
その言葉に、俺はどう反応したらいいのか分からず、思わず彼女の方へ視線を向けてしまった。
セシリーさんも、どうしたらいいのか分からない様子で、困惑した表情を浮かべている。
とはいえ、この様子だ。
彼も決してふざけたり、何か良からぬ事を
俺の事をちゃんと考えて、おそらく提案してくれているはずだ。
冷静に話された言葉を、確実に
「その人、っていうのは、いったい誰なんですか」
スタックスさんの表情は、より険しく困った様子になった。
「う、うーーーん・・・・・・。私もナイフを受け取った際に、トーカーさんから提案された事だから、正直私もあまりその人は知らないんだよ。
「そ、そうですか・・・・・・」
「すまないね、私もあまり
彼からそう言われてしまったからには、俺もそれ以上聞く事が出来ない。
魔法分析・・・・・・偉い人・・・・・・。
全く想像もつかない言葉を前に、ずんと重苦しい空気が流れる。
手に取っているスープを、口につける事が出来ないくらいに。
「でも・・・・・・私はそこで、話した方がいいと思うんだ。君のこれからの為にも」
これからの、為にも?
重い空気の中でぽんと浮かんだ彼の言葉に対して、俺はふと顔を向ける。
「私も上手く言えないが・・・・・・。君は多分、何か
より、真面目な
ここに来た意味が、俺にはある?
その言葉が、ぐっと頭の中に引っ掛かる。
「その、俺が
そう尋ねる俺の言葉に、彼はうーんと
「いや、海に運良く流されてとか、グランさんに見つけてもらえたから、っていう意味じゃないんだよ。何か君が、こうなった事に訳があるんじゃないかと。それがこれから、大切な事に
神妙な面持ちで、彼の口から
俺もその内容が上手く理解出来ないし、彼も上手く説明出来ない様子だった。
でも、彼の様子を見て───。
この人は真面目に、俺の事を考えて、そう言ってくれている。
それだけは理解する事が出来た。
「あ、いや。ほ、本当にすまない。食事中に、こんな重苦しい空気にしてしまって。私もまだまだ説明不足だ、ははは・・・・・・」
乾いた笑いを浮かべて、ぺこりと頭を下げるスタックスさん。
彼の思いは、充分に伝わっていた。
「大丈夫です。俺、スタックスさんの言いたい事、分かります。明日、よろしくお願いします」
胸の中に浮かんだ言葉を込めて、そう言ってから、うんと軽く頷いて見せる。
苦笑い気味だった彼の表情も、ホッと柔らかな笑顔に変わった。
「そうか、ありがとう。明日は大変な事になるかもしれないが、こちらこそお願いするよ」
「えっ、えっと・・・・・・。どういう事ですか?私、その・・・・・・アールさんに対して何をしたら・・・・・・」
彼の言葉の後に、セシリーさんは困惑気味に言葉を続けた。
これまで全く会話に入る事が出来ずに、とても心細かった心情を伝えるように。
「ああ、いや。大丈夫、セッちゃんはこのまま、アール君はアール君のままだと思ってくれていいよ。彼の体験が、もしかしたら前例の無い事かもしれなくてね。その協力を明日、してもらうだけだよ」
ははは、と軽く笑いかけながら、スタックスさんは彼女に話しかけている。
まだ彼女は理解出来なさそうに、首を
「そういや、明日トミーとディアさん、それとリリスも輸送班から戻ってくるんだったっけ?」
「えっ?あ、そうですね。お昼頃までにはここに帰って来ると思いますよ」
突然がらりと変わった彼の話に、彼女も焦った様子で返事をする。
聞き覚えの無い名前に、俺はつい目を向けてしまう。
「あの、スタックスさん。その人達・・・・・・って誰ですか?」
思わず聞いてしまった言葉に、彼も笑いながら返事をする。
「ああ、なあに。ここのギルドメンバーだよ、他にもあと2人居てね。彼らは今護衛任務に就いてくれて、明日には報酬の受け取りでここに来るはずだと思うんだよ」
「ええ、そういう事です。私も事務員ですけれど、ここのギルドメンバーなんですよ」
あ、そうか。
朝の手伝いに、買い物に、ナイフの件にと向き合っているうちに、すっかりスタックスさんが
「す、すいません。スタックスさんの本業、すっかり忘れていました」
「ははは、いいんだいいんだ。君は君で大変なんだから、ちゃんと説明していなかった私の責任だよ。気にしなくていいから」
「あっ!支部長、せっかくですから明日3人にも、アールさんを紹介してあげませんか?」
彼女はパッと明るい表情で、彼にそう話しかける。
その言葉に、スタックスさんはうーんと顔を
「うん・・・・・・。ディアさんとリリスには良いと思うけれど、トミーはなあ・・・・・・ちょっとなあ」
表情を曇らせる彼の反応に、何だか俺も不安になる。
えっ?そのトミーという人は、支部長が頭を抱えるほどに『アレ』な人なのか・・・・・・?
「お、俺の事は気にしなくてもいいですよ。お世話になっている身なんですから、大丈夫ですよ」
「えっ。いや、トミーも決して悪い奴じゃないよ。まあ、その・・・・・・。君を紹介するという事が、不安というか・・・・・・ね」
乾いた笑みを浮かべて、
どうやら、気を引き締めないといけない人なのは確かなようだ。
「まあ、紹介はまた要件を済ませてから、ゆっくり時間は取るから。さあ、食べよう食べよう!せっかく作って貰ったのに、私が長話したばっかりに、本当にごめんよ」
「えっ?あ、本当だ。すっかり冷めてますね、スープ・・・・・・」
彼らの様子に、俺も釣られてスープに目を戻す。
口にしてみると、確かにそれはしっとりと冷めたものになっていた。
「大丈夫ですよ、美味しいです。俺の為に、今日は話してくださって、ありがとうございます」
それでも、2人の温かい思いやりのお陰で俺の体には、ぽかぽかとした熱が、ぐるぐると巡りに巡っていた。
2人も、柔和な表情を浮かべてうんうんと頷いている。
「ははは、気にしなくていいよ。さあ、いただこうか」
「はい!」
温かな空気に満たされたこの部屋で、俺は2人とゆっくり、スープの
-続-
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