第2-3回「市場」


 空高くに、丸い光が白くさんさんとしている。

彼女の買い物を手伝おうと、支部を出てから結構歩いてきた。

出る時に渡された縦長のかごを背負いつつ、ニッコサンガの町をながめながら歩いているのだが、初めてここに来た時よりも、町は活気に満ちている。



 あの時は夕暮れ、普段はこれだけにぎわっているんだな。

 並べられている色とりどりな物に、飛び交う色んな人の声と、足音───。



目や耳に入ってくるさまざまな物が、誰に何を言われなくても、そう理解させてくれていた。


「アールさん!」


 前の方からふと聞こえる、セシリーさんの声。

あれやこれやと色々な場所に目を向けているうちに、自分でもびっくりするくらい、彼女と離れてしまっていた。


「す、すいません。ちょっと、よそ見してました」


 いそいそとすぐ近くまで駆け寄っていく。


「まだここに来て間もないんですから、迷ったら一大事ですよ」

「す、すいません・・・・・・」

「でも、大丈夫ですよ。もう着いたと思いますから」


 どうやら彼女の買い物先はこの辺りらしい。

とは言っても、正直今自分がこの町のどこに居るのか、まるで見当がついてこない。

あれやこれやと見て、何箇所なんかしょもかくかくと曲がっていくうちに、どこに居るのか、すっかり分からなくなっていた。


「あっ!」


 きょろきょろと目線を動かしていた彼女は、何かを見つけたように駆け寄っていった。

俺も離されないように、すれ違う人を避けながら、その背中を追っていく。


「あらセッちゃんじゃないの」

「こんにちわアンさん!今日も色々そろっていますね」


 親しげに彼女が話している女性。

その人は少しふくよかで、どこか頼りがいのある雰囲気をまとっていた。


「何買うんだい?」

「とりあえず・・・・・・赤蕪あかかぶ白蕪しろかぶ三本ずつと、あと白菜も二つください」

「はいよ。どうだい?林檎りんごも良かったら買ってみない?支部長さん喜ぶと思うよ」



 なるほど・・・・・・。

 彼女とこの人は、顔馴染なじみで、よく会っているんだな。



慣れた様子で話し合う二人の姿を見て、そんな言葉が浮かんでくる。


「そうね・・・・・・じゃあ、林檎も二つだけ貰おうかな」

「まいど!じゃ、合わせて二ソルと五十コポね」

「アールさん、その籠に入れるから下ろしてください」


 流れるような会話の中で、ぽんと不意をつくように、視線が俺に向けられた。

何も言葉を発する事が出来ず、言われるがままに背負っていた籠をその場に下ろす。


「あんた、見ない顔だね。何て言うんだい?」

「えっ?」


 彼女が購入した物を籠に移していく中で、唐突にその人から名前を聞かれた。


「あ、俺アールって言います。初めまして」

「あたしはアンジー・ターマ!この近くの村に住んでいてね、ほら!あそこに見える馬に採れた野菜とか果物積んでもらって、ここでおろしをやっているのさ」


 彼女の指差す方へ目をやると、奥の方にある屋根付きの空き地で、もしゃもしゃと濃い土色の生き物が、容器に入った何かを食べていた。

ターマさんの方に目線を戻すと、売られている野菜や果物は、丸く大きな輪のついた台の上で売られている事に気づく。



 なるほど、これをあれに引っ張ってもらって、彼女はここまで来ているんだな。



一人、勝手に納得しながらうなずいていると、ターマさんがこちらを見ている事に気づいた。

目線の合った彼女は、にやりと歯をのぞかせて、またセシリーさんに話し始める。


「セッちゃん。この人、新しい恋人さんかい?」

「えっ!や、ち、違いますよ!」

「あら、そうなのかい。なかなかいい男だから、やっとあんたにものかと思ってさ」


 目の前でつらつらと流れている、二人の会話。

明朗な表情を浮かべて揶揄からかうように話すターマさんに対して、彼女は目を白黒させている。


「そ、そんな訳ないですよ・・・・・・。な、何ていうか、彼はええっと・・・・・・」


 彼女は焦りの中でぎこちなく笑いながら、言葉に詰まった様子だ。



 俺も横から入るべきだろうか。

 あまりに流暢りゅうちょうな二人の会話に、ただ傍観するだけしか出来なかったが───。

 会話に混ざる機会は、きっと今だろう。



何となく、俺の直感がそう言っていた。


「あの、俺、カイサイの町に流れされてきたんです。それに流される前の事、何にも覚えていなくて・・・・・・。それでしばらく、スタックス支部長のご厄介やっかいになっているんです」


 俺の言葉を聞いて、彼女は目を丸くしている。


「えっ、流されてきた・・・・・・?何も覚えて無いって事は、あんた記憶喪失きおくそうしつなのかい?」

「はい。どこで生まれたのかも、自分の名前も分からなくて・・・・・・。だから、アールってのも、仮の名前なんです」

「まあ・・・・・・。そりゃ大変だね・・・・・・」


 記憶喪失、という言葉を聞いて、彼女の明るい笑顔が、もやりと湿っぽい様子に変わってしまった。



 あれ?話さない方が良かったのかな・・・・・・。



彼女の様子を見ているうちに、自分の心の中に、暗雲がもうもうと立ち込めていくような気がした。


「す、すいません」

「いやいや、あんたが謝る必要は無いよ。色々心細かったろ?大変だったね」


 思わず謝ってしまったが、いいよいいよと手振りを加えながら、また彼女は笑顔を取り戻した。

彼女の様子に、俺の心もまた少し、晴れやかになる。


「もう心細く無いですよ。スタックスさんも、セシリーさんも、俺の為に、側で支えてくださっていますから」


 そう話すと何故か、横に居る彼女が少し照れ臭そうに、うつむいていた。


「私はそこまでの事は・・・・・・。ほとんど支部長が付きっきりみたいな物ですし。今朝もアールさんに手伝ってもらいまして・・・・・・」

「あらそうなの?あ、さてはまた寝坊したんだね?ほんとセッちゃん、朝弱いのは治らないんだから」

「うう・・・・・・。なんで今日に限って、寝坊しちゃったんだろ・・・・・・」


 またつらつらと始まっていく、二人の会話。

俺は何も言えず、乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。


「ま、あたしはよくここで余ったのを売っているから、その時でもいいなら話し相手になるよ!」


 そう言いながら、俺の方を見て笑うターマさん。

初対面ながらも、右も左も分からない俺に寄り添ってくれる彼女の心意気に、俺も「ありがとうございます」と気持ちを込めて、礼を返した。


「じゃあ、また来ますね」

「ああ!寝坊、頑張って治しなよ!」

「も、もうそれは言いっこなしですよ・・・・・・!」


 彼女はターマさんに何枚かの銅貨と2枚の銀貨を渡して、その場を後にする。


「アール君も頑張んなよ!」

「は、はい!ありがとうございます」


 俺も彼女に促されて、野菜と二つの林檎が入った籠を背負いながら、その場を後にしていった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 野菜おろしのターマさんの所を離れてから、俺は彼女の側を離れず、ニッコサンガの色々な店を、路地を、訪ね寄って行く。

肉の卸に、パン屋さん───。

たとえ何も買わなくても、顔馴染なじみの方が居れば、その度に彼女は足を止め、挨拶あいさつがてらに俺を紹介してくれた。

会う人会う人、初めて見る俺を相手に、皆優しく接してくれる。

その都度つど彼女が、何故なぜ誰にでも優しく接する事が出来るのか、彼女を知る人が優しく接してくれるのか、薄々うすうすと分かってきたような気がした。

野菜に果物に、パンにお肉と買いたい物を全て買い終わり、支部へと戻る頃には背負っているかごも、ずっしりと、歩くたびに下へ沈んでいきそうなほどに、重くなっている。

空に浮かぶ真っ白な光も気がつかないうちに、はるか真上にまで上がって、じりじりと頭を照らしている。


「・・・・・・!あ、アールさん、大丈夫ですか!?」


 前を行く彼女が、ふと俺の方を向いて、そう申し訳なさそうに口を開いた。


「えっ?いやいや、大丈夫ですよ。俺、しんどくありませんから。これぐらい平気ですよ」



 今背負っている食糧しょくりょうには、俺の分も多分、ふくまれている。

 それなら、食べさせてもらう分、俺も彼女の為に頑張らないと。


 心配させてはいけない。

 今は、気丈に振る舞え。



そう言い聞かせながら、明朗な言葉を彼女に返す。

とは言え、ただ立っているだけでも、顔からひたひたと汗がにじみ出てくる。

すいません、とつぶやいた彼女は少し元気をなくしているように見えた。



 このまま黙って歩くのも、なんだか心苦しい。



また支部に向けて、通りを進む彼女の背中を見つめながら、今日のやりとりを見ていて思った事を整理していく。

そして、自分の言葉に成形してから、思いきって彼女に話しかけてみた。


「セシリーさんが、俺すごいなと思いました」

「えっ?」

「冗談めかした明るい方でも、ぼやき多めで自嘲気味な方でも、セシリーさんは言葉を選んで、決して適当な受け答えをしないから。俺も意識しないとな、って思いました」


 彼女は何だか照れ臭そうに、またうつむいている。


「そう、ですか?そういうの、言われた事無かったんで、自分でもピンとこないですけれど・・・・・・」


 うつむく彼女が、また一つ交差路を曲がる。

曲がった先にはまだ遠いが、支部がずんと見えていた。


「あ、でも!」


 ふと彼女は立ち止まると、振り返りながら明るい声色で、言葉を続けてくる。


「私、アールさんも凄いと思いましたよ。今日会う人皆、初対面のはずなのに楽しそうに話していて」


 彼女の言葉に、意表を突かれる。



 まだまだ、今の自分には知らない事だらけだし───。

 なんでも、聞かなきゃ分からないものだと思って、慎重に言葉を選びながら、話していただけなのだが。



「そうですか?俺、そんなに上手く話せた実感が無いんですけれど」

「いやいや!あれだけ話せるなんて、私出来ないですもん。私なら人見知りして、いきなりはあそこまでは、無理です」


 そんなに社交的に話していたかな、とターマさんや、パン工房などの光景を、もう一度頭の中に思い浮かべてみる。


「あれは多分、アールさんの人柄が良いからかもしれないですね。私も話しやすいですもん」

「えっ?」


 思わず声が漏れ出てしまう。


「俺、話し易い・・・・・・ですか?」

「ええ。こう、何て言うのかな・・・・・・。雰囲気から、話し易いって言うのかな。なんだかアールさん、良い人だなって自然と思いますもん」



 話し易い、雰囲気ふんいき・・・・・・。



そうなのかな、という言葉がふわりと頭に浮かんでくる。


「私、支部長があなたの面倒を見る気持ちが分かりますよ。こう、ほうっておけない感じが、なんだか・・・・・・」

「放っておけない・・・・・・」

「あ!あれですよ、問題起こしそうだから、とかの意味じゃなくて!こう、手助けしてあげたいっていう・・・・・・」


 思わぬ形で支部長の話になり、また、頭の中にそうなのかな、という言葉が浮かんでくる。

彼女はあわあわとしながらも、明るい表情のまま、そう話しかけてくれた。

徐々に近づいてくる支部から、また彼女に目を向け直してみる。

彼女の柔和な表情は、取りつくろった笑みとは思えない。



 この笑顔は、きっと心の入ったものなんだろう。

 それなら、俺も心からの返事をしよう!



そう思い直し、汗をぬぐってから彼女に目を合わせる。


「セシリーさんがそう言ってくれて、俺もなんだか嬉しいです。ありがとうございます」


 彼女は一瞬、驚いた様子だった。

言葉に詰まったのだろうか、ちょっと目を泳がせてから、また笑みを返してくる。

穏やかな雰囲気に包まれながら、俺は彼女と再び支部へと帰って来た。

表札をぱたりと外してから、彼女はとびらかぎを開ける。


「荷物、ありがとうございます。さあ、アールさんから先に入って」

「それじゃあすいません、失礼します」


 一礼をしながら、扉を支える彼女の腕の下をくぐり、ひんやりとした支部の中へと足を踏み入れた。

ふとお腹をさすると、ぐうと空腹感が湧いてくるのが感じ取れる。



 他にも出来る事を手伝って、お昼を食べて───。

 それから、あらためて彼女に文字の読み書きを、手伝ってもらおう。



湧き出てくる明るい感情を心にめながら、食糧しょくりょうで満たされた籠を、優しく床に置くのだった。




 -続-

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