第2-2回「初まりの日」
窓から差し込む光は、起きた時よりもずっと白く、
ニンジンとカブを煮込んだスープの
使った食器も洗い終わってしまった今、俺に出来そうな事はもう何も残っていない。
身寄りも何も分からない中、こうしてご
いざ出来る事が無くなってしまうと、
支部長はどこかへ行くのか身支度をしており、彼女も上の階に行ったままだ。
「あ、あの、スタックスさん」
「・・・・・・?どうした」
何か手伝える事は無いかと思い、話しかけてみる。
「その、俺も一緒について行って、何か手伝わせてもらえないですか?」
「う、うーーん。今日はアール君に来てもらった方が助かる事でもないしなあ」
「そ、そうでしたか・・・・・・」
俺、どうしよう・・・・・・。
断られる事も頭の中にはあったのだが、いざ断られると、それからが出てこない。
俺、何をしたらいいんだ・・・・・・。
腹がグーッと巻き潰されるような思いだ。
立っているだけなのに、汗がじんわり垂れてくる。
「あっ!もう出られるのですか?」
そうこうしているうちに、上の階からあの女性が降りて来ていた。
「ああ、打ち合わせが今からあるんだ。遅れたら大変だし、戦局も
「分かりました!気をつけてくださいね」
「ああ、いって来るよ」
あ、大変だ・・・・・・。
ゆっくりも考えられないぞ、落ち着け、何をしたらいいんだ・・・・・・?
目の前で進んでいく2人の会話に、どんどん
ぐっと手を握り、必死になって思考を
俺はまだ、字も読めないし書けないじゃないか。
「あ、急いでいるところすいません!スタックスさん」
「?どうした急に」
目を丸くしている彼に対して、さらに言葉を続ける。
「俺、
ただ、物事を聞いているだけなのに、
驚いた様子の彼であったが、すぐにその表情は、いつもの
「ああいいとも。気にせずどんどん、やってくれたらいいさ」
「そうですね。よろしければ、私も手伝いますよ」
彼女も彼の言葉に続くように、柔らかな表情で申し出てくれた。
二人の穏やかな表情に、思わず
「・・・・・・いや、汗びっしょりになって聞いてくるから、私も少しびっくりしたよ」
「えっ!?そ、そんなにでしたか・・・・・・?」
彼の言葉に思わず、
・・・・・・本当だ。
顔でも洗ったのかというほどに、顔全体が濡れている。
「アールさん、そんなに緊張しなくてもいいですよ!ここは自分のお
「そうそう。こわばらず、肩の力を抜いて。君の記憶喪失は理解しているつもりだから、そんなに気負わなくてもいいよ。大丈夫」
二人からの言葉に、張っていた力がホッと抜けていく。
同時に、勝手に一人であれこれ考えていた事や、また気を
「す、すいません。ご心配お掛けして・・・・・・」
「ははは、気にしなくていいから!じゃ、留守番頼むよ!暗くなる前に帰ってくるから」
「分かりました、お気をつけて」
俺も彼女と共に、扉を開けて光の向こうへと消えていく、彼を見送った。
扉がばたん、と閉まってから、しばらく静寂が部屋に流れる。
な、なんとか出来そうな事を見つけられた・・・・・・。
良かったけれど、これからその話を、どう話していったらいいんだろう・・・・・・?
頭の中で考えをまとめ直しながら、ふうと息をついてから彼女に話しかけてみる。
「あの・・・・・・」
と彼女の名前を言おうとした瞬間、あっとある事を思い出した。
そうだ、俺はまだ彼女の名前を聞いていないんだ。
「どうしました?」
彼女は不思議そうにこちらを見ている。
支部長は彼女の事を、セッちゃんと呼んでいたが───。
いきなりそう呼ぶのは多分、失礼だよな。
まず自己紹介と、経緯の説明もしないと。
もう一度頭の中を整理してから、あらためて言葉を続けていく。
「俺、アールって言います。まだちゃんとした名前が思い出せないんで、一応ですけれど・・・・・・」
「私は、セシリー・ハインズって言います。あなたが部屋に上がってから、支部長から大体教えてもらいましたよ」
「そうでしたか」
彼女は柔和な表情のまま、俺の言葉に答えてくれる。
こく、こくと
「私はここで書類整理とか、経理とか・・・・・・。その、居残りとか色々・・・・・・ですね。まあ、
「い、色々・・・・・・ですか」
「はい!あ、そんな大した事じゃないから、
そう言いながら、えへへと笑いかけてくれる。
彼女は大した事無いと、口では言っているが───。
俺が
一人でここを任されているんだ───。
それだけ彼女は信頼されている、という事なんだろう。
笑顔からほんのりと伝わる、彼女の穏やかな姿勢に対して、俺も決して無礼の無いように接していこう、と固く頷き返す。
「ご面倒かけますが、よろしくお願いします」
「気にしなくても大丈夫ですよ!こちらこそよろしくお願いします」
彼女はそう言いながら、そっと手を差し伸べてくる。
その動作に、一瞬思考が止まる。
それは、初めて見る動作なのに、どこか見覚えのある光景のような気がしたのだ。
知らないのに、なぜか知っている。
真っ白な新鮮さと、ぐるぐると渦巻く違和感に引き込まれるように、俺は思わず手を差し返した。
すると、彼女の指がふと触れてから、すっとその指一本一本が、優しく俺の手を包み込んでくれたのだ。
わっ、と思わず声が出そうになる。
訳も分からず、顔を上げると、彼女は柔和な笑みを浮かべて、うんと軽く頷いていた。
この動作が何かは、よく分からないけれど・・・・・・。
この手から伝わる感覚が、久しく忘れていた、懐かしくて温かい
握られたその温かな手を、挨拶を返すように俺もそっと握る。
一回、二回と軽く手が上下に揺れ、すっと離れて再び互いの体へと戻っていった。
「えっと、アールさんはまだ、字も読めないんですよね」
俺の方を見たまま、彼女がそう話しかけてくる。
「ええ」
「ですよね。私が出来る範囲でもよろしければ、手伝えますけれど・・・・・・」
手伝う、というのは彼が出る前に俺が話した、読み書きの練習の事だろうか。
彼女に面倒をかけてはいけない、と考えながら慎重に返事をする。
「大丈夫ですよ。セシリーさんも、しなきゃいけない事が色々あると思いますし。俺も手伝える事は手伝いますから、それからでも全然、大丈夫です」
今朝食べた野菜スープの材料や、
彼女の言っていた雑用は、きっとそれらの入手も含まれている。
彼女の様子から、これからそれをするのだろう、となんとなくだが推察する事が出来た。
俺の言葉に、彼女は軽く頷き返す。
「そうですね。これから市場で買い物してから、色々やる事もありますので。それなら、アールさんにも手伝ってもらいましょうか」
「分かりました。よろしくお願いします」
俺も彼女に返事をする。
出来る事があるなら、なんだってやってやるぞ、と言う気持ちを込めて。
「じゃあ私、お金とかこれから準備しますので。アールさんも身支度お願いします」
「あ、大丈夫ですよ。俺、これだけしか無いんで」
その言葉に、あっと口を開ける彼女。
「・・・・・・それもそうでした。つい忘れて」
ふふっ、と微笑を浮かべるその姿に、思わず俺も笑みが
窓から差し込む白い光に、部屋は明るく照らされていた。
「じゃあ、ちょっと準備してきます」
返事をしてから、彼女は軽快に上がっていった。
足音が小さくなってから、俺は目線を光る窓に、棚に、机にと移していく。
やれる事をやろう。
生かしてくれた、この人達の為にも、自分の為にも。
そう思いながら、さんと光の差す窓に、また視線を移したのだった。
-続-
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