第1-1回「ぬくもり」




 ・・・・・・・・・・・・。



 ────まぶしい。

 明るい、それに・・・・・・声が聞こえてくる。



 側に誰か居る・・・・・・一人・・・・・・?

 いや────色んな人の息遣いきづかいと、声が聞こえてくる。



「おい、大丈夫かい?何か見えるかい?」



 顎髭あごひげたくわえた男が、こちらをのぞき込んでいる。

 返事・・・・・・返事しないと。



「ええ、見えます・・・・・・。髭もじゃの男の人が・・・・・・」


 返事の声は言った俺でもびっくりするくらいに、小さいものだった。

それでも、男は気にする素振りも見せずに、髭の中からニカリと白い歯を覗かせている。


「そうか!見えるか!いやー良かった、良かった!」


 男は明るく振る舞っている。



 ダメだ、状況がまったく飲み込めない。



そうこうするうちに、また別の男が側にやって来た。


「グランさん、どうした」

「ああスタやん、良かったよ!この人、まだ生きていたよ!」


 髭の男は親しげに、彼にそう話しかけている。

スタやん、と呼ばれた男はほほを緩ませ、ほっとした様子だった。


「あの、すいません・・・・・・。俺、いったい・・・・・・いったいどうしてここへ・・・・・・?」


 彼らの様子についじっとして居られなくなり、起き上がってしまう。


「お、おい。まだ病み上がりだろ、無理しなくてもいいんだぜ」


 髭面の彼は心配そうに声をかけてくれる。

もう大丈夫、大丈夫ですから、と返事をしながら少しずつ体を起こしてみる。

彼はじっと、腕を組みながら俺の方を見つめていた。


「君、本当に大丈夫なのかね」

「え、ええ・・・・・・」


 その返事に彼は軽くうなずき、俺から視線を一度外して、髭面の彼の方へ目を向けている。

彼の目に男も何かを察したのか、もごもごと蓄えられた口髭を動かして、こう話しかけてきてくれた。


「あんた、海を流されていたんだよ。引き揚げても息してねえしさ。だから、死んだんじゃないかと思って、俺不安で不安で・・・・・・」



 ・・・・・・えっ?



男の言葉に体が硬直する。



 流されていた・・・・・・?

 俺、流れ着いて今、この人達に助けてもらったのか・・・・・・?



「大丈夫か?」


 聴こえてきた声に、ハッと意識が戻る。

スタさん、と呼ばれていた彼が、不安げな表情を浮かべてこちらを見つめていた。


「あ、す、すいません。ついボーッとしてしまって」

「ははは。気にする事は無いよ、動転して当たり前さ。私もグランさんから聞いた時、びっくりしたぐらいだし」

「いやー、ほんと驚きましたよ!なんせ、人が流れ着くところなんて、お目にかかれないっすからねえ!」

「おい、本人の前で。そんな事言って・・・・・・」

「いやあ、すまん。本当にすまん」


 俺を尻目に話し合う二人。

だが、その光景になぜだか、どこか見覚えのあるような・・・・・・。

この疎外感そがいかん────会話をただ見ている光景に、どきりとした感じが背中を走ったような気がした。



 ここに来るよりずっと前にも、同じような体験が、あったような───。



「私はスタックスジュニアだ、彼は漁師をしているグラントさん」

「よろしく。あんたは何て言うんだ?」


 彼らの呼びかけに、またハッと我に返る。

ああ、二人に名前を聞かれている、返事をしないと・・・・・・。

そう思い、名前を言おうとした瞬間。



 ・・・・・・



「どうした?」



 え、えっと・・・・・・。

 俺、『名前』────名前は?



不思議そうに俺を見る二人の様子に、ますますドキドキしてくる。



 言わないと、言わないと・・・・・・。



でも、どれだけ考えても考えても、自分の名前が分からない。

見えない、壁のようなものにはばまれて、何も出てこないのだ。



 自分の名前なのに、なんで・・・・・・?



「───ァル?アルって名前なのか?」



 えっ・・・・・・アル?



どうやら無意識のうちに、そう言葉を発していたようだ。

髭面のグラントは心配そうに、俺の顔と彼の顔を、何度も何度も往復するように見ている。


「え、いや・・・・・・」



 違う。

 そう、俺の名前は『アル』じゃない。



分からないが、その名前では無いのは確かだと、そんな気はしていた。


「そうか、アルじゃない・・・・・・」


 グラントは残念そうな表情で、つぶやうつむいてしまった。



 でも、アルの響きは、どこか馴染みのあるような気もしていた。

 何故か、説明こそ上手く出来ないが。

 『アル』じゃないのは確か。

 だが、どこかだったような・・・・・・。



ぐるぐると、考えが頭に浮かんではくるが、もごもごとした物になって、これだという文章にならない。

心配そうに、二人は俺を見つめている。

俺は一人で勝手に、分からない自分の名前に苦悩している。



 返事、それでも返事はしてあげないと・・・・・・。

 俺の分かっている中で、分かっている事を伝えてあげないと。



「すいません・・・・・・。俺、何も思い出せないんです。自分の名前も、その・・・・・・」


 絞り出した俺の言葉に、一瞬だけ二人の動きが止まった。


「名前・・・・・・って事は、流されてくる前の事も、全部か?」


 グラントさんが話しかけてくる。


「いや、流されてくる前の事は、少し覚えているんです。でも、名前は・・・・・・」


 考えも無しに、つい言葉を返してしまう。

自分で言っておいて変な話だが、本当に口から出てきた言葉通りなのだ。



 死体だらけの場所で目覚めて、土色の化け物に追われて───。

 川に飛び込んで、おぼれて───。



それはちゃんと覚えている。それなのに・・・・・・。



 何故なぜ、あそこで目覚めたのか。

 何故、名前も何も、自分の事が何一つ分からないのか。

 どうしてそれよりも前の事が、何も思い出せないのか。



どんなに頑張っても、それは思い出せないし、出てこなかった。

二人は相変わらず、不安そうに俺の方を見つめている。



 でも、説明するなら今だ。

 自分の言葉で、分かる事は全部この二人に教えてあげないと。

 そうしてあげないと、俺は────。



誰からも課せられていないが、ちゃんと二人に答えなければいけない。

その一心だけで、俺は二人にここまで流されて来た経緯と、何も思い出せない事について、隅から隅まで事細かに話し続けた。

不安そうだった二人の表情にも、少しずつ穏やかな色が取り戻されていく。

二人は、俺が話し終わるまでずっと、黙って頷いて、じっとその言葉を聞き続けてくれていた。

その様子に不思議と、彼らは信頼出来る人達だという気持ちが、話しながらふつふつと、胸の中から湧いてくる。



 化け物から一人、逃げて逃げて、逃げ続けた事。

 冷たい真っ暗な川の中を、何も分からないまま流され続けた事。

 誰にも助けてもらえないまま、冷たい水の中に沈んでいった事。

 怖かった、思い出したくも無い事を、すべて。



思い出せる事を何から何まで話し切った時には、彼らの為に何かしてあげよう、という気持ちで、自分の中は満たされていた。


「・・・・・・そうだったのか」


 話し終わってから、スタックスさんがポツリと呟いた。


「俺、そんな目にっていたとは、考えてもいなかったわ・・・・・・。あんた、怖かったろ?よくやったな」


 グラントさんの言葉に、目頭が熱くなってくる。


「す、すいません・・・・・・。その、べらべらとしゃべったりして・・・・・・」


 心配かけさせまいと、発した言葉は震えたものになっていた。


「いいんだ。これだけの事聞かせてくれて、むしろ嬉しいくらいだよ」

「ああ、そんな泣くなよ。ほら、落ち着いて・・・・・・」

「す、すいません・・・・・・」


 二人に肩をでられ、声をかけられて、もう下を向くしか出来ない。

それからしばらくは、嗚咽おえつと涙が収まるまで、俺は何も喋る事が出来ずに。

ただ二人になぐさめられ続ける事しか、出来なかった。




-続-

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