第0-2回


 土色の見た事も無い化け物達に追われて、川を漂いどれくらい経ったのだろうか。

目が覚めて逃げてきた時には、あれだけきれいだった赤色の空も、どんどん紫が広がって暗くなっている。

暗がりが広くなっていくたびに、吹いてくる風も、水の冷たさも厳しくなってきた。


「はあっ・・・・・・はあっ・・・・・・」


 息を吐くたびに、がちがちとあごが震える。

水面を必死にき分けても、見えている向こうに変化は見られない。

そうこうしているうちに、水の中でばたついている足はもう完全に、川底の感触をつかめなくなっていた。



 それでも奴らに、土色の化け物達に捕まったら終わりだ。

 もし捕まったら・・・・・・。



川へ逃げる前に見た、土に塗れて汚れた死体の姿を、ふと思い出してしまった。

また背筋にぞくりとした震えが走る。


「あぁ、なんとかしないと・・・・・・!」


 恐怖を掻き消すように声をそう発して、またざばざばと水を掻き分ける。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 空の色はすっかり、黒で満たされてしまった。

考えも無しに向こう岸へ泳ぎ続けて、どれくらい経ったのだろう。

目指していた岸は闇と混ざってしまい、ぼんやりとしか分からない。

それでも、見えない目的の場所を目指して泳いでいると───。

ざばんざばんと水面をき分ける音の間に、何か別の音が聴こえてきている事に気づいた。



 どこからともなく、りりり・・・・・・りりりと聴こえてくるこの音。


 奴らの────いや違う、多分違う。

 どこかで聞いた、何か馴染なじみのあるこの音────。



分からないが、不思議と安らぎを感じる音。

この音でふと、追っていた奴らの動きが気になってきた。

走って来た方に目を向けて見ると、それらしき影はどこにも見当たらなくなっている。

先回りして動いていた奴らも無い様子だし、何かが近づいてくる様子も感じられ無い。



 奴らは追うのを諦めたのだろうか。

 諦めてくれたのなら、それはそれでひと安心だ。



あごの震えも少しずつ収まってくる。

本音を言えば、もっとすんなり向こう岸に辿たどり着けると、思っていたのだが・・・・・・。

自分が想定していたよりも川幅は広く、対岸に泳ぎ渡る事は思っていたよりも難しいものになりそうだ。

それでも、ぷかぷかと浮かびながら少しでも進めるように息を整えていると、不意に腰から物体がぶら下がっている事に気がついた。

何だろう、と思い腰から取り外して、目の前に上げてみる。

それは、短剣のような物だった。



 なんでこんな物を、俺は所持しているんだ?



ここまで走ったり泳いだりしていて気づいていなかったが・・・・・・。

浮かびながらふと考えてみると、今の自分の服装はまったく馴染みの無い、着た事も無い物ばかりに思えてきていた。



 見覚えはあるのだが、まったく実感の湧かない・・・・・・。

 なんで俺、こんな格好をしているんだ?



 そうだ、格好よりもなぜ────。

 なぜ、あんな死体のある場所で、俺は目覚めたんだ?



 握っている短剣といい、衣裳いしょうといい────。

 俺はいったい、何をしていたんだ?



暗がりの中でも鈍く光る切っ先を見つめながら、じっと考えてみる。


「・・・・・・ダメだ。なんでだ?」


 揺られて、手を見て、短剣を眺めても、納得出来る仮説すら浮かんでこなかった。

相変わらず、涼しげな音は聴こえてきている。



 なら、それはそれでいい。

 今は向こう岸に辿り着く事が先決だ。



そう思い直して、短剣を腰に付いた入れ物に戻す事にした。

が、強烈な痛みが走る。

びしっ!!と肩と首の間を引っ張るような、強い痛み。


「ふぅ゛ぅ!!」


 痛みのあまりに声が出る。

短剣は戻せたが今度は腕が上がらない。



 身動き出来ない────おぼれる!!



考える間もなく冷えた水がごぼごぼと流れ込んでくる。


「ぶえぇ!!んえ゛ぇ!!」


 動かせる腕をばたつかせるが、どんどん口の中に水が流れる。

両足で必死に川底を探るが、どこにも爪先つまさきがつかない。

もがいても、もがいても冷えた水を足裏でつかむばかり。


「ああ゛っ、だ、誰かっ!!」


 奴らに捕まるかもしれない、という事も忘れて声を上げる。

聴こえる音は、何も変わらない。



 川の中で、ばちゃつく音。

 荒れた息づかい。

 小さく聴こえる、涼しげな音。



真っ暗な場所で、見える物も聴こえる音も、何も変わらない。


「助、だすげっ・・・・・・!!」


 頭の中までごぼごぼと冷えた水が入ってくる。



 本当にダメだ!!もうダメだ!!



 足が引っ張られる、川の奥底に引っ張られる。

どこが底かも分からない所へ、体が引っ張られていく。

ばしゃばしゃと水を掻いて、まだ息の続くように。

もがいて、もがいて、もがいて・・・・・・。

もがいて、俺に差し伸べてくれるものは。




 何も無かった。




「あ゛っ・・・・・・」




 ごぼぼと流れる冷え切った水。

それを飲み切った時、目の前はもう何も、見えなくなっていた。

何も見えなくなり、何も聴こえなくなっていく。

冷たい、冷たい中で何もかも、分からなくなった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 冷たい、真っ暗なところで、ふと思い出した。



 この、冷たくなっていく感じ────。

 そうだ・・・・・・つい最近、あったんだよな。



 覚えている、でもなんで似ているんだろう。



 だから、かな・・・・・・?



もうそれからは、何も分からなくなってしまった。




-続-





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 <あとがき>

・ここまで導入になります。読んでくださり、ありがとうございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る