すいーとバレンタイン

「賢くんバレンタインですよ」

「バレンタインですね」


それはぴっかぴかの高校一年生の冬の放課後のこと。

俺が机で、出された記憶がとんと無い課題を粛々とこなしていれば、いつも通りの幼馴染の笑顔が机の下からにゅるっと視界に入り込む。


「バレンタインですよ〜」

「ちょい待ち今勝負してる」

「この令和の世に鉛筆転がすのは中々だよ」


いや、いつも通りではないか。この日の志乃さんの笑顔は当社比2割増ほどウキウキであることはよく存じている。

それは別に恋人同士のきゃっきゃうふふに現を抜かしている訳ではなくて、単純にチョコを作るのが楽しいから。というか、別に俺達ラヴァーズじゃないしね。

……あれ?3問連続『ア』だな?おかしいな?


「今年はトリュフチョコですよー」

「…おー」


世の無常を悟り筆を置いた俺の前で執り行われる、毎年恒例のShinoプレゼンツ・チョコ贈呈の儀。果たしてこれで何回目であろうか。最早俺が食べたことの無いチョコは存在しないのではなかろうかと錯覚するぐらい、ありとあらゆる種類のチョコを彼女はそのたおやかな手で作り出す。

他に渡す人いないのかね。そう思ったことはあるにはあるけれど、実際にそれを想像すると、胸の奥がもやるのも確かなので口にはしなかった。


そしてそのチョコを口に出来るのは彼女の親を差し置いて世界で俺一人。私は特別な存在なのだ。今度からヴェルタース賢くんって呼んでね。


「おいずるいぞ陽向ぁ!!」

「そうだぞ!お前は俺達非モテ側だろうがよぉ!!!」


あー。何かチョコもらえない負け犬の遠吠えが聞こえるなぁー。悪いなー俺、毎年必ず三個貰えちゃうからなー。君達はぁ?精々一つかなぁ??悲ちいでちゅねぇ??


「裏切り者!!世界の敵がっ!!」

「お前という異分子がこの世界を歪めるんだこの腐れ外道っ!!!」

「そこまで言う???」


…家族はノーカンだろうがって?うるせぇ何故か他の女子はくれないんじゃい。何でだろうね賢くんは優良物件だと思うんだけどなぁ。こう見えて一途よぼく。違うどこからどう見ても以下略。


因みにだが、本日最も出番が求められそうなイケメンはお休みである。彼の机には山盛りの袋が積み重なっているが、周りは何も言わない。去年、少々いきすぎた愛の籠もったチョコによってトラウマを植え付けられた彼の姿を目撃しているからである。次の休日は二人で鑑識作業かなぁ。


「今年も志乃だけかぁ…」

「そうだね」


非モテ賢くんが嘆く姿がそんなに面白いのか、かつて見たことないレベルの輝く笑顔でニッコニコな志乃ちゃん。

年頃の男子の繊細な心えぐってくれるじゃねえのこんちくしょう。


「つ、月城さん!!欠片でいいのでお恵みをっ!」

「その、何か上にかかってるパウダーとかでいいからっ!」

「何ならエアでいい!!女子から物を貰ったという事象だけを観測できれば『俺』という存在が上書きされる!!」


そんな俺達の空間にやって来たる、飢えた獣の様に志乃に群がろうとする哀しきモンスター達。

逆に聞きたいんだけどそれお前ら嬉しいの?惨めとかそんなレベルじゃなくない?そういうとこだよ?


「安心なさい」


そして困った様に笑う志乃をかばう様に勇ましく、顔前で腕をクロスさせた謎のポーズで一人の女子が立ちはだかった。


「あんたらにはあたしがあげるわ」

「「「……………………………………ぁ」」」


朝比奈さん家の緋南ちゃん。その手から数知れない特級呪物を作り出し、家庭科の授業で先生を病院送りにした猛者である。

そんなガワだけなら美少女が志乃にも負けないニコニコドヤァな純真笑顔でチョコくれるんだからこのクラスの男子ってなんて幸せものなんだろうね。憎いぜこのぉ。

そして、何故か志乃は黙って俺の身体をそっと後ろに振り向かせる。


直後


「ふふん。ささ、おあがんなさい」

「(アカン)」

「ぐわぁ!!匂いだけで目がやられたっ!!!」

「た、田中!?お…お前っ……腕が……!!」

「え?…!?っあ!?あ、ああぁ!!!?俺の腕が……ち、チョコにぃ!?」

「安いもんだ」

「くっさぁ…♡♡♡」


「賢くん、チョコ食べよっか?」

「後ろ振り向いていいっすか?」

「ふふ。だーめ」


多分、この世の地獄が広がっていると思うんですけど。

がっちりと動けない様に俺の顔面を拘束しながら、笑顔で俺の口にチョコを突っ込もうとする志乃。


「はい。あーん」

「い゙ゔん゙であ゙べま゙ず」

「えー」


それは、毎年お馴染みの、特別でも何でも無い、いつも通りのバレンタイン。




それが、俺と志乃の、高校生最初で最後のバレンタイン。












「賢くんバレンタインですよ」

「バレンタインですね」


そして時は流れ、三年ぶりにもなる直接顔を突き合わせてのバレンタイン。

自分の手でチョコを手渡せるのがそんなに嬉しいのか、今日の志乃の笑顔は当社比4割増程輝いている。

何を隠そう、いや隠すも何も何だかんだ今回は恋人になって初めて一緒に過ごすバレンタインだからだろう。初めてのバレンタインを迎える前に志乃は旅立ったし、この二年、俺は受験やらバイトやらでどうしても当日に逢いに行くことは出来なかったのだ。


「ふふん。今年は特別ですよー」

「へー?」


暫く逢わない内にまさか志乃までヴェルタったというのか。まぁ確かに?俺にとっては特別な存在と言えなくもありませんね。何言ってんの?お前。


「本当はチョコを身体に塗ってみるっていうのも考えなくはなかったんだけど」

「ほう……」

「でも流石にそんなこと出来る訳ないよねあはは」

「…………そうだね……」


誠に残念である。今宵、私は枕を涙で濡らすことでしょう。


「じゃじゃん」


そう言って志乃が取り出したるは…見た所、何の変哲もない丸いチョコレート。

上から見ても、横から見ても何も無い。何かが入っている様子もない。志乃にしては珍しい、極々シンプルなチョコレートだった。


「?」

「はい、どーぞ?」


当社比6割増の笑顔で志乃がそれを差し出してくる。

まぁ志乃が作ったものならば。俺は何の疑いもなく彼女の手からそれを直接ぱくりと口にして。


「こふっ」


思わず噴き出した。




にっがい。




これはビターでブラックなちよこれいと。ちょっぴりおしゃんてぃであげぽよなハードボイルド気取りたくなるお年頃の大きい子供向けの趣向品。

いくら死語検定資格持ちといえど、頭脳は子供、味覚もおこちゃまな賢くんに到底耐えられる代物ではない。


「こ、これはどういうことだ、志乃……」

「うん?」

「俺は苦さ控えめ甘さマシマシのチョコが好っきゃねんって知っているはずなのに…」


長年の付き合いが知っていように。何なら最近、俺の食生活は全て志乃様が管理しておられるだろうに。


「そうだね」

「ですよねぇ!」


俺に責める目で見られても輝く笑顔は微塵も曇らない。何だ。俺は知らぬ間に何かしてしまったのか。

志乃のお菓子を間違って食べちゃったりもしてないはずだぞ…最近は。


「別にそのチョコに愛はそんなに込もってないからね」

「………ぇ………?」


何てことのない様子で投げかけられた台詞に、思わず背筋が凍りつく。

それは一体全体どういうことだとおっしゃるのか。

ま、……まさか……既に気持ちは離れているとか、そういうことなのか……?そこに愛はもう無いんか……??


視界がぐるぐると頼りなく揺れる。計り知れない恐怖と絶望が俺の心を飲み込んでいく。

そんなことも露知らず、いや寧ろだからこそ、ということか。志乃は未だニコニコ笑顔を振りまいて…


「もう。そういうとこだよ?」

「いて」


と思ったのも束の間。徐ろに俯いてしまった俺のデコを指で突き上を向かせると、彼女はも一つ苦いチョコを取り出して


「ふふ。愛が込もってるのは、こっち」


それを口に摘んだ。


「んっ」

「………」




「?ん〜」


両手を大きく広げながら、きょとんとした顔でチョコを挟んだ唇を突き出してくる志乃。

完全に停止した俺に首を傾げながら、業を煮やしたのか、広げた両手をせかせか動かして何かを急かしてくる。


「ほけちゃうお」

「まじすか」

「まい゙ふお」


いいのかい。行っていいのかい。

そりゃあ俺達付き合ってるんだから恋人としての触れ合いなんて誰の許可なく自由にやっていいんだけどさやっぱりそこには恥じらいとか遠慮ってものが必要だと思うわけでいくら志乃が俺ラブで俺が志乃ラブでもさやっぱりそれはまだ気づけば俺は志乃に強く抱きついていた。


二人の顔がゆっくりと近づく。小さなチョコを挟んだ僅かな隙間が徐々に狭められ、熱い感触が互いの心を融け合わせる様に


それは永遠とも思える、刹那の邂逅。


…いや、刹那では済まなかった。二人の熱で溶けていくチョコを余すことなく味わおうと、俺と志乃は一切の隙間を無くして互いを求め合い


…苦さなんて感じない程に、それは甘く蕩ける様で。


「…ふふ。やっぱり苦くして正解だったね?」

「ノーコメント」

「もう。そういうとこだよ?」


長い長い時間をかけて漸く互いの距離が離れ、細く透明な糸が途切れると、顔を真っ赤にした志乃が、口の端についたチョコをぺろりと舌で拭いながら何とも妖艶に微笑みかける。更には俺の口に残ったチョコレートまで指先で掬って見せつける様に舐め上げる。


「うーん。にがい」

「………」


そんなものを見せられては、未だ冷めやらぬ俺の熱はより熱く燃え上がるというもので。


「「――――あれ?」」


次の瞬間、気づけば床に組み敷かれていた志乃が、目をまん丸くして俺を見つめている。押し倒された拍子に解けてしまった髪が床に広がり、普段とはまた違う彼女の姿を映し出した。


「賢くん?」

「…………ん??」

「…ふふ。隠し味効きすぎちゃった?」


声が二重に聞こえた理由、つまり自分でも何をしているのか理解できていない俺が、何か言葉を発しようと口を開いたその瞬間、微笑んだ志乃は手を伸ばすと机に転がっていたチョコを一つ、俺の口に放りこみ、放りこんだ人差し指を立てて俺の唇に蓋をする。


「…慌てなくても、まだまだいっぱいあるよ?」


そしてその指を今度は自らの唇に添え、どこか蠱惑的な微笑みを更に深めると、目を細め、潤んだ瞳で志乃が俺を見つめ返す。己の身に何が起きるのかを察したのだろう。いや、寧ろわざとそうなるように仕向けたのかもしれない。


「……ね?……賢一」


…今となってはどちらでもいい。

三年という空白を少しでも埋められる様に、俺と志乃は強く強く抱きしめ合うと、再び唇を重ね合わせると、苦く、甘く、そして柔らかなその菓子を、存分に堪能するのだった。

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