その温もりは遠く

これはあいつが旅立ってから、暫くが経った時の話。

俺が日々バイトに明け暮れる、とある一日の他愛ない一幕。







「いらっしゃい…ぉ…ませー」


来客を知らせる鐘の音に半ば反射的に返事を返しながら顔を向け、直ぐに立て直しはしたけれど、思わず一瞬固まってしまう。

最近はあまり顔を合わせる事の少なくなった、何とも物珍しい顔がそこに立っていたから。


「…マスター。いつもの」

「自分バイトですしお客さん同じもの頼んだ事無いっすよね」


長い黒髪を軽くかき上げながらそんなことを言う気だるげな女性、いや女の子。

珍客の名は真鶴凪沙という。高校入学手前だと言うのに、年齢に全くそぐわぬ大人びた美貌と完璧なスタイルは数多の男子を魅了するとかなんとか。信頼という意味であれば異性だけに留まらず同性からも多くの支持を集める、まさに完璧超人な彼女は、十人に聞けばもれなく十人が美人と返すことだろう。見た目だけなら。


「ふぅ…仕方ないわね。いいわ、ならサムライマ◯ク、セットで。あ、スマイルもね、もちろん」

「さも妥協してやった様な感じでハードル上げんな」


だからマ◯ク行けよ!うち喫茶店やゆーてるやろが!!そういうとこだよ女子ぃ!


そう、本当に見た目だけなら志乃に負けず劣らずの美しさなのに色々と自由がすぎるのだこの小娘は。君たしかこないだ町内セパタクロー大会出てなかった?受験生でしょもっと勉強しなさいよ。………何やねん町内セパタクロー大会って。


ヒナぶちギレ待ったなしの嘲笑をくれてやっても、手強い小娘は軽くそれを上回る微笑みと共に鼻で笑うのみ。

もっとさ、敬意ってものを持ってほしいよねこの町の歳下共は。君の弟分は本当に素直な良い子だよ見習ってどうぞ。


………。……?


「一人か?」

「ええ」


珍し…くもないか。いつからかはもう覚えていないけれど、昔はずっと後ろに件の弟分がくっつく、というか手を引っ張られていたはずだけど。暫く前からは彼女一人でぶらぶらしていることが増えたな、と思う。


俺の問に答えたその顔は、なんてことのない風に見せかけて小さな影を隠しきれていない。彼女を知らぬ人物からしたら、違いなんて分かるはずもないだろうけど、この辺が分かるのはやはり隠し事の上手な幼馴染と育った賜物か。亀の甲より年の功ってね。


深くは聞かず、とりあえず俺は無理ゲーな注文を確かめるべく、一度奥へ引っ込む。その前に店を確認。右見て左見て。他に客の気配は…今のところ無し。よし。よくはないけど。


「マスター、サムライマ◯クってあります?」

「あるよ」

「…この店マ◯クと提携してます?」







「お待たせいたしました」

「よしなに」


そして、彼女のテーブルにマスターが作り上げたパチ…出来立てホヤホヤ似非バーガーセットを置こうとして


「…と」

「あら」


一瞬、一秒にも満たない立ちくらみ。思わず手の上のトレーが傾きかけ、それを華麗に下から真鶴がフォローする。


「すまん。いえ、失礼いたしました」

「…お疲れのようですね。随分と」

「………」


遡ること数ヶ月前、俺にとっての半身とも言っても過言ではない…かもしれない彼女は遠い地に旅立っていった。俺達との未来を掴むため、断固たる決意を持って。

そんな彼女にいつの日か会いに行くために色々と労働を頑張っているのだが、流石に詰め込みすぎたのだろうか。いよいよ無理がたたり、抑えきれない疲れがつい顔を出してしまったらしい。


ってことで。


「…よっこいしょ」

「………何故座るんですか」

「休憩よ休憩。客もいないし固いこと言わないでよぎさぎさ」

「やめてください。どこぞの波紋使いみたいなあだ名」


向かいに座るやいなや養豚場の豚を見るような凍てついた目で見られ、思わず身体が竦む。長男だから何とか耐えられた。次男だったら危…耐えられるわ普通に。


「なら、志乃考案・づるづるちゃんの方がいいか?」

「…可愛くない」


ポテトを加えながら、何とも呆れたお顔。ありがたいことに彼女は随分とまともな感性をお持ちらしかった。うちの絶望的ネーミングセンスウーマン約二名にも見習ってほしいねホント。


「そーだな…じゃあ、…ナギナギとか?」

「…お好きにどーぞ……。…そも、あだ名で呼ぶ必要性を感じませんが」


つれないこというなよぉお兄さん寂しい。

彼女の手元からポテトを一本拝借すると、背もたれに大きく凭れ掛かる。と同時に、何か言いたげな視線を感じたけど、少なくともポテト代を払えって訳でもなさそうだ。じゃもう一本もーらお。

とりあえず、大人な賢くんは空いた片手を前に差し出し、優雅に先を促す。

呆れた目を見せた後、暫しの逡巡の末、彼女はゆっくりと口を開いた。


「…何故、そこまで必死に頑張るのですか?」

「…は…?」


本気で理解出来ない、というような声色。俺も一瞬、彼女が何を言っているのかが理解出来なかった。


頑張るも何も、俺にとってそんなことはあまりに当たり前だったから。

あいつが寂しがるから、あいつを寂しがらせないために俺は、いや─


「あの人は今、ここにいません。分かるわけがない。何をしたところで」

「……」


「適当に頑張って、適度に会いにいけばいい。責める人ではないでしょう。例え、来なくたって」


「必死に頑張ったところで、見ててくれなんてしないんだから」


誰かに言い聞かせる様にすらすらと言葉を捲し立てる彼女の顔は、唇を噛み締めてまるで痛みを堪えているようで。

そう考えれば、すぐに思い当たる。いつの間にか彼女の傍から消え失せた小さな背中に。

…こいつは俺と似た者同士なのかもしれない。いることが当たり前だった人がいなくなって、途端に暗闇の中に放り出されたかの様に、自分が今、何処を歩いているのかが不鮮明になっている。


それでも俺はまだマシな方だ。俺の場合は忽然といなくなったというより、寧ろ遥か前で指針となり、しかもわざわざ立ち止まってくれているのだから。

少なくとも迷うことは無い。いつになったら追いつけるかが分からないだけで。


でもこいつは、それすら失ってしまったのだろう。

寄る辺を失い、闇の中でただただ努力を続ける。周りが完璧を望むから。一人ぼっちでボロボロになって。その果てに待つものは。


果たしてそんな彼女にかけられる言葉とは。疲労で回らない頭を必死に回転させて、俺は慎重に言葉を選ぶ。


「真鶴。お前は勘違いしてるよ」

「……」


同類だと思っていた俺に裏切られたことが気にいらないのか、彼女は射殺さんばかりに俺を睨んでいる。だが、確かにその瞳は揺らいでいたことを俺は見逃さなかった。


「俺が頑張っているのはあいつのためだけじゃない。俺のためでもあるんだ」

「自分の…ため」


「あいつに会った時、あいつに誇れる俺じゃなかったらカッコ付かないだろ?」

「誇れる……自分?」


そう。あいつが好きだと言ってくれた賢くん様は、そう簡単に折れたりなんかしない。

それにあいつのための努力なら、俺にとっては空気みたいなもんなのだ。やって当たり前。自然なこと。


ゆらぎはどんどん強くなる。俺は知っている。この子がどれだけ弟分を大切に想っていたのか。兄貴分を気取るつもりはないけれど、昔から見てきたのだから。


例え遠く離れても、想いなんてそうそう変わらない。だって俺自身、寧ろ募るばかりなんだから。なら、彼女だって。


「お前は違うのか?お前が思い浮かべるそいつに誇れる自分でありたいって思わないか?」

「…私は」


「それこそ誰も見ていないのに、未だに『真鶴凪沙』として優等生しているのはどうしてだ?」

「……………れん……」


俺には志乃がいる。きっとお前にだってまだ。

まだまだ若いんだからそんな諦め切った顔すんなよ。少なくとも志乃は最後まで諦めなかったから、こうして今も遠くで戦っているんだぞ。


「(あ〜…)」


恥ずい。…柄にもないことを長々と連ねてしまった。絶対そんなキャラじゃない。賢くんはもっとコメディちっくなキャラのはず。どうせなら説教するよりtoloveりたいよね。あやかしの方でもいいよ。いやTSはよくない。


「まあ、ぶっちゃけた話俺が無理。寂しい」


知ってる?うさぎって寂しいと死んじゃうんだって。

つまり賢くんはバニー。きっっも。


「……」

「お前も少し素直になってみれば?今からでも遅くないんじゃねーの」


どこまで響いたのかは知らないが、彼女は俺の言葉を噛みしめるように俯いている。まあ願望ですけどね。

そして、彼女は残った食事をらしくもなく一息に頬張りこむと、飲み物で流し込んだ。


「…帰ります」

「毎度ありー」


お金を叩きつける様に置くと拗ねたように席を立って、大股で一目散に出口へと。

背中は怒っているけれど、入店時の暗い影は無い。

恥ずかしい思いをした甲斐くらいはあったということか。


「…ああ、賢さん。私からも一つ」

「あ?」


そのまま出ていくと思った真鶴が、扉に手をかけながらゆっくりと振り向いた。どこぞの特命の様に指を一つ立てて、微かに響く鐘の下に座するご尊顔は、何故か何ともご機嫌で。


「『無茶は仕方ないけど、絶対に無理だけはしないでね』…とのことです。伝えました、確かに。まあ、言って聞くかは分かりませんが」

「…………」

「ああ、ふらついた事は伝えておきますね、ちゃんと。釈明はどうぞご本人に。…寧ろ何故私に頼んだのか甚だ疑問ですが」

「真鶴」

「はい」

「幾ら欲しい」

「あらあら、別の女に貢ぐなんて。伝えておかないと、ちゃーんと」

「づるづる様!!」

「ナギナギ」

「へ」


聞こえてきた予想外の台詞に、思わず間抜けな顔で彼女を見る。


「可愛いかもですね。気に入りました、ナギナギ」


小悪魔的にウインクしてみせるその何ともムカつくニヤケ面は、いつになく年相応に幼かった。

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