アンニュイ美男子
「ごめん」
そう言って、下げた頭をゆっくりと上げた。眼の前の顔は何を言っているのか信じられないと言わんばかりに固まっている。
ああ、これは面倒な方だ、とまるで他人事の様に頭が瞬時に理解した。
「なんで」
「………」
「じゃあ、何で優しくしたりなんてするのよ!!」
「………」
何でも何も。
優しくすることに理由なんて必要だろうか。
理由なく険悪になる必要なんてそれこそ無いというのに。
特別扱いしたつもりはない。覚えもない。
ただ友達として仲良くしたいから。それがそんなに悪いことなのだろうか。
眼の前の顔がまた、大きく歪んだ。
返答する前とはまるで違う憤怒の表情。
もう一度謝ろうとして、ふと気づいた。
あれ?この人なんて名前だっけ。
あと少しで出てきそうだった記憶は、直後、頬を襲った爽快な音と共に彼方へと吹き飛んでいった。
■
「そういうとこだよ」
「………」
教室に戻ると、まるで予期していたかの様なタイミングで差し出された濡れたハンカチを、黙って受け取った。冷えた感触は何とも心地よく。
眼の前の顔は怒っている。けれど、怒り、というよりかは呆れが強い。冷たい、よりかは暖かい。よくも悪くも、だけど。
額を押さえながら、彼女は深く息を吐き出した。
「私、本当にそういうとこ……」
「嫌い」
「…………ごめんなさい…」
「お…おう、今回は大分参っておりますな」
丁寧に彼女の言いたいことを引き継いだ親友は、呑気に椅子を揺らしながら頭を掻いていたが、自分の神妙に肩を落とす姿を見て、少し意識を改めたらしい。
「で?その人とどういう関係だった訳?繋さんは」
「…………」
背もたれに肘を置いて、賢一が何とも胡乱な瞳で自分を見つめている。
責めている訳ではない、今は。少なくとも自分が道を外れない限りは。無論、外れれば。
だから彼を信じているのだ。友でありたいと思うのだ。
どういう。…どういう。彼女の顔は覚えている。そして自分達がどういう関係なのかも。それはとても記憶に新しいから。
手の中の小さなハンカチを黙って見つめる。
要は
「………は」
「「は?」」
「ハンカチを拾って渡した」
「「…………………………」」
告白はその数日後だった。二度目の邂逅。
縁は大切にする方だと自負している。同性異性関係なく。
無論、生まれ持った顔のせいで要らぬやっかみを食らうこともあったが、彼らと一緒に過ごす内に不思議と気になることも無くなった。
繋がりは大事、いや好きだ。人の和、人と人との繋がりが、その人をその人たらしめる。言い方を変えればただの承認欲求とも言えるけど。
けれど何でもかんでも手繰り寄せては、こういうことも起こり得る。彼女は自分のそういう危なっかしいところが嫌いなのだと、口を酸っぱくして何度も警告してくれた。
でも
でもこれ違くない?
「志乃大先生。判定は?」
「え」
「月城師匠」
「え。………ぇ………っと…………」
男子二人に見つめられ、か弱い女子が縮こまる。
長い、長い、なが〜〜い沈黙。
それを打ち破ったのは
「おしりを出した子いっつ闘将〜♪…てあら?皆いるじゃない。いっつちょ~じょ〜」
「「「………」」」
「へい若人。一狩り行こうぜ〜。なんて」
何も知らぬ呑気な声と理解に苦しむ調子外れな歌。
あまりに場にそぐわぬ姿に、三人同時に顔を見合わせて、そして吹き出した。
「…行くか」
「うん」
「………………緋南」
「うん?」
「…ありがとう……!!」
「うん???」
背後から聞こえる会話に気づかない振りをして、差し出された手を掴む。それはとても安心出来る、いつも通りの心強さ。
常と変わらぬ友の声。それはいつだって自分を励ましてくれる。
彼の家へと向かう道すがら、わいわい騒ぐ彼らの姿を一歩下がって眺めてみる。
彼と彼女の関係。二人、いや三人か。よりかは短い付き合いだけれども、それでもそれは寂しがり屋の自分にとってはどこまでも眩しく、どこまでも羨ましく
「繋?」
「星野君、どうかした?」
「ほら、行くわよ」
そしてどこまでも尊かった。
この繋がりだけは何があっても手放したくないと、そう心から思える程に。
■
「ヒナ、回復ー」
「賢くん賢くん、可愛い写真撮れた」
「…俺将来介護士になろうかな」
「「あ」」
ハンマーを構え、ただひたすらに前へと向かう後退のネジを外した狩人が、敵に見事に空へとぶっ飛ばされ力尽き、獲物そっちのけで世界を巡る、狩人よりも学者に向いているであろう写真家が、ウキウキと近付いてきて眼の前で火炎に呑まれ蒸発した。
「コントかな?」
敵は今尚、盛んである。それでも彼は決して諦めない。何度膝をつこうと、決して地べたを這いつくばりはしない。不屈の精神で何度だって、何度だって立ち上がる。
背負った太刀をもう一度構え直し、その巨躯に恐れることなく向かっていく。
身の毛もよだつ尻尾の一撃を華麗に躱し、懐に飛び込んだ勇敢な狩人は
「「あ」」
自分が間違えて置いた樽の爆発に飲み込まれ、仲良く地を舐めた。
■
「……………」
「ごめんて」
責任というか流石に申し訳無く思ったのか、自ら進んでお菓子を買いに行った可憐な女子二人が姿を消してからしばらく経つが、今尚ふて寝する友を前に、自分は苦笑を堪えきれずにいた。
「あ、ほら今度は鉄道会社経営しようよ。これなら死ぬこと無いから」
「金銭的に死ぬやん」
「………」
まあ、そうだけど。この人結局二人の幼馴染にひたすら甘いところあるし。
泣きつかれたらやっぱり強く出れないんだよね。そのおかげでいつも貧乏くじならぬ貧乏神を引かされて。
「賢くん。今いいかしら?」
「あん?」
そんな微妙に気まずい自分達の懐に入り込んできたのは、気まずさとは程遠い穏やかな雰囲気を身に纏った、彼の
「どうした姉ちゃん」
「お父さんから忘れ物を届けてほしいって連絡が来てね。でも重いから」
「手伝ってほしい、と」
「うん。いいかな?」
そう。彼のお姉さん。年相応な大人の雰囲気を醸し出しつつ、不相応なあどけない可愛さも併せ持った、なのに美しい
「……………」
「あら?星野君も来てたの?ごめんね邪魔して」
「あ、………いえ、そんな。…お邪魔してます」
「……………」
横から物凄いへんてこな視線を感じるけれど、絶対に振り向かなかった。
振り向かずとも、言いたいことも考えていることも全部分かる。それくらいには彼のことを理解しているし、彼も自分のことを理解しているだろう。これが初めてでもないし。
この感情を何というのか、それが分からないなんて言うつもりは無いけれど、かと言って、じゃあそうなのかと問われると、素直に頷くことも出来なかった。
恐らくはよくて半分、憧れに過ぎない部分もあるのだろう。
広く浅くの関係を続けてきたせいで、全てを理解するにはあまりに経験値が足りなすぎた。
「繋」
「……賢一?」
腕を組み、何やら静かに考え込んでいた賢一が面を上げて、仕方ない奴、とでも言いたげに微笑みながら優しく背中を押した。
…やはり彼は他人のことをよく分かっている。いや、もしくは自分達だからだろうか。
もしそうだったら、何だろう。…かなり嬉しい。
「姉ちゃん。繋でもいいか?俺、今少し腹痛いんだ」
「それは構わないけど、賢くん、星野君も大丈夫?」
「あ、はい」
申し訳無さそうな瞳に見つめられ、思わず身体が強張った。緊張で変な汗が出る。
「…姉ちゃん。荷物重いんだよな?」
「うん」
「というと行くのは?」
「?車だけど」
背に回された手が、もう一度力強く自分の背を叩く。
「繋」
「………」
「……いってこい」
どこまでも優しい目で親友は微笑んでいた。
背中から彼の心遣いが全身に広がっていくようで。
「…手伝います、瀬那さん」
「ふふ。ありがとう」
応えるように、力強く立ち上がる。気を遣ってくれた彼と、眼の前の彼女に、情けないところなんて見せられない。
何よりも、いつも優しいこの人達に日頃の恩を返す絶好の機会ではないか。
珍しく最後まで優しい笑顔の友に見送られ、荷物を乗せると自分も車に乗り込んだ。
隣から微かに優しい匂いが香ってきて、距離の近さを理解して、思わず顔に熱が灯る。彼女に見られない様に、しかと前を見据える。
「星野君、準備いい?」
「はい」
「シートベルトした?」
「はい」
「さ、て。最速で行けるルートは、と」
「はい?」
そんなに火急の頼みだったのだろうか。
何ともなしに、つい彼女の方を向いて
ごちゃあ…
中央にぶら下がった大量の交通安全の御守りが目に入った。入ってしまった。
「……あの」
「あ、それ?ふふ、何かね?賢くんと志乃ちゃんが乗る度に何故か持ってくるものだから、いつの間にかそんなになっちゃって」
「……………へぇ………」
『……いってこい』
何故だろう。ふと親友の優しい笑顔が脳裏をよぎった。
何故だろう。あの笑顔の裏に底しれない悪意が隠されているような、そんな気がしてならなくて。
小さな車体に似合わぬ謎の爆音に、顔に灯った熱がさーっと引いていく。
代わりに流れるのは何処までも冷たい、汗。
「じゃあ、掴まっててねー」
その理由を嫌という程理解することになるのは、僅か2秒後のことだった。
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