木漏れ日エルボー

「もーも〜、志乃もヒナも何処行ったのよ…。皆で一緒に勉強するって約束したのにぃ……」


とある放課後、学園にて。双璧のヒナことあたしは、ちょっと先生に呼び出されている間に約束をすっぽかされるという可哀想ないじめにあい、ふらふらと学園を彷徨っていた。


全く、勉強をすっぽかすだなんて学生の風上にも、置けない。

そんなんじゃ良い成績だって維持できな…できないのはあたしだけだけどさぁ。だけどさぁ!…くそぅ、深窓の文学少女たるこの私が。最近はちょっとバイトに力を入れすぎた。


教室を覗く。いない。お馴染みの図書室にもいない。別学年の教室にもいない。彼奴らがいそうな所は散々探し回ったけれども、影も形もなーい。

…もしかして帰った?あたしに何も告げずに放課後デートと洒落込みましたのん?

駄目よ。あたし達の固い友情にヒビが入ってしまう。小さな綻びが、いつか取り返しのつかない間違いを引き起こすんだからね。そういうところよあんた達。


…いない。…いない。…神隠しにでもあったのではないかと言うくらい。


もう諦めてしまおうかと、中庭のベンチに情けなく座り込んだその時だった。


「うん?」


気の所為だろうか。隅の木の影に足が見えたような。

まさか事件かと、そう思い不謹慎にときめく胸を押さえながら抜き足差し足忍び足で近づいて


ばっと素早く覗き込む!











「……あれ?緋南?」




後悔した。

バカップルが膝枕してイチャイチャしてやがりましたから。

木漏れ日の下、どこまでも深い慈しみの表情で膝に乗る頭を撫でるその姿は、まるで神聖な絵画を思わせるようで


「志乃…」

「…うん?」


思わせるようで…じゃないわよ。あたしがあんなに心細い思いをしていたというのに、だというのにこいつらは呑気にまったりしてやがったというのか。

この男、幸せそうに惰眠を貪りやがって。エルボー落としたろか、腹に。


「何で黙っていなくなっちゃうのよぉ…」

「え?…いや、終わったら電話してねっていったよね?」

「………」


…………。


そう言えば、今って文明社会でしたね。今の子は皆携帯っていう文明の利器持ってましたね。いやん、すっかり忘れてましたわわたくし。

そしてあたしはポケットからそれを取り出した。うんともすんとも言わない真っ暗な端末を。


「………」


……間違いを認めることで人は前に進めるけれど、認めたくないから人は間違いを犯すというもの。つまりは


「うー…!あ〜……!!」

「ありゃ、緋南が何かに進化しようとしてる。びー」


この溢れ出す衝動を、パッションを、あたしはどうしろというのか。んー!!

あたしがこの世界を滅ぼし尽くす闇の悪意に打ち勝つべく豊満(自己採点)な胸を掻きむしって唸っていると、耳障りとでも言うのだろうか、柔らかな膝を堪能していた幸せ者も一緒に何やら唸りだした。


「………うるさ…」

「このぉ…ヒナの癖に…!」

「緋南。めっ」


幼い子供を嗜める様に、可愛らしく口を尖らせる志乃。

幼い…。まぁ、あたしちいかわみたいなもんよね。小さくてかわいい。…あ?誰だ今一瞬でも胸見た奴今すぐ名乗りでろ今ならアロガントスパークかツイステッドタワーブリッジだけで許してやるから。


「………」

「ん?」


そんな中、何かをボソボソ囁くヒナ。それでも聞こえなかったのか、志乃が顔をヒナの口元へと近づける。サラサラと流れる艷やかな髪がヒナの顔を覆い隠し、傍から見ればそれはちゅーしているようにしか……してないよね?しないよね?あたしの眼の前で。そんなふしだらな子に育てた覚えはないよあたし。


「緋南」

「え」

「うるさいって」

「知ってるわよ!」


それ言うためだけにいちいちイチャつくんじゃないわよ!


「…あーもー…勉強するんじゃないの?」


さっき教室覗いたら、星野がたった一人ぽつんと教室座ってたんだからね!

陽の光差し込む教室でアンニュイに黄昏るイケメンっていったら絵になるかもしれないけど、あたしからしたら可哀想としか思えなかったんだから!それか爆笑。


「そうだね。泣きついてきたのはヒナだもんね」

「そーよ!教えてくれないならギャン泣きするからね!!文章にするのも憚るくらいに喚き散らすんだから!いーのそれで!?」

「斬新な強迫」


あたしの泣き声は泣く子も黙ると評判なんだから。あたしを見て決してああはなるまい、と幼子がすんと我が身を振り返るくらいに。


「けーんくん」


私の迫真の強迫に苦笑いを隠そうともせず、志乃が膝に乗せたお眠ちゃんに声をかける。


「起きて?」

「……あぁ……」


ニコニコ。…寝顔可愛いとか思ってるんだろうな…。


「起きないと、ちゅーしちゃうよー」

「…ぇぇ………?」


恐ろしく早いイチャつき。あたしだから反応できた。

あたしいるよ。いるよあたし。

もしかしなくても、いつもそういうことしてるの?

おはようからお休みまで、キスが挨拶みたいならぶちゅっちゅえぶりでいなの?


しかし、そんな魅力的な誘いにも奴は乗らず。しかししかし、何故か志乃の笑顔は深みを増して。………え、まさか?


「ふふ、仕方ないなぁ」


そ、そうだよね。流石にこんな所でハッスルしたりなんか


「緋南1分くらい向こう向いて─」

「破っ!!!」

「ぐっへぁ!!」


「はい、志乃はこっち。仲良くお勉強しましょうね〜」


あたしが容赦なく振り下ろしたエルボードロップをノーガードで食らった馬鹿が、堪らず悶絶してのたうち回る。地獄の断頭台じゃなかっただけ感謝してほしい。

そしてあたしは目をまん丸くした志乃の手を取り立ち上がらせると、背中を押して歩き出した。…?やけにふらふらとしているような。


「…賢くん虫の息」

「じょぶじょぶだいじょぶ」


健康だけが取り柄みたいな奴なんだから。

それを証明するように、あたしがもう一度ちらりと目を向けると、先に行ってろと言わんばかりに震えながら手をひらひら振っているし。

ちょっと物騒だけど、これがあたし達のコミュニケーションみたいなものなのよ。


「もう、緋南。そういうとこだよ?」

「……は〜い…」


無論、心優しい我が幼馴染はそれが気にいらないみたいだけれど。

けれど、節度というものはある。二人がこうして隣で笑い合っていることは何よりも嬉しい。けれど!節度というものは!ある!!


あたしは彼女の肩を掴んで真正面から向かい合う。


「…志乃。私が何で機嫌悪いか分かる?」

「賢くんという太陽が眩しすぎるから……かな」

「囀るなぁ!!」


今日のこの子は駄目だ。駄目な日だ。

不定期に明後日の方向へと行く子だけど、今日は明後日どころか来週まで行ってしまっている。

眼前の顔を、じっと見る。…そして気づいた。常とは明らかに異なる彼女の顔色に。







「…志乃。あんた、昨日何時寝たの?」

「んー…?」


教室に辿り着く。とりあえず、置いてけぼりを食らっていたイケメンの尻を叩いてヒナを迎えに行かせると、二人で席につく。さっきよりも目をしょぼしょぼさせ始めた志乃にあたしが違和感を隠せずにいることに流石に気づいたのか、彼女はどこか困ったようにふわふわと笑みを見せる。


「…ごめんね。ちょっと落ちるかも」

「え」


突然の宣告。少なくとも、志乃は約束を反故にする性格ではない。まさかまた体調でも悪いのかと、私が詰め寄ろうとしたその瞬間


「……と、その前に緋南、はいこれ」

「え」

「……お休み〜……」


私の眼前に差し出されたのは飾り気の無い一冊のノート。それを渡すやいなや、志乃は机に突っ伏してしまった。そしてすぐに聞こえてくる安らかな寝息。


「………何よ?」


裏表を確認しても、表紙含め何も書かれていない。ゆっくりとノートを開く。




『問題集、緋南はここの方程式でいつも躓きがち』


『ここからここ。筆者について書かれた部分を勘違いしがち。要注意』


『17ページ。元素記号、ごちゃ混ぜにならないこと』


『いちごパンツ本能寺』




「……………」


教科書やら、問題集やら、ページ数まで事細かく、端から端までびっしり書き込まれた文字は、私がどんな問題が得意でどんな問題に躓いているのかを的確に分析していた。


パンツ?いちご……15……ぱんつ………1582年、本能寺の変!!!

やはり、志乃は天才だ。なんて覚えやすいんだ女の子としてどうかと思うけど。愛して…………この字ヒナのだ。前言撤回。


一枚一枚、ページをめくる度に、現金なことに心のもやもやはさっさと晴れていく。突っ伏す彼女の優しさがどこまでも染み渡って。


ああ、この子は本当にいつも。


「……よしっ」


眼の前の小さな頭をふわりと撫でる。くすぐったそうにもぞつく姿につい笑いを漏らしながら、私は黙ってペンを取る。これで点を取れなきゃ、嘘だ。


徐々にオレンジに染まりつつある教室に、私のペンを走らせる音と、静かな寝息だけがただ響き渡っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る