第28話 喪失がもたらすもの

厳かに棺が乗せられ、ゆっくりと車が前へと進み出す。

慣れない喪服に身を包んで、どこか遠い世界の事の様に、どいつもこいつも顔見知りが立ち並ぶ列の少し離れから俺はそれをただただぼーっと眺めていた。


「…本当にあっという間の出来事だよな。……志乃」
















「その言い方だと私が亡くなったみたいじゃない?」

「いや、そんなつもりはないんだが」

「大いに誤解されそうだからやめようね」

「誰に?」


俺の隣で同じく喪服に身を包み、手を合わせていた志乃の指が俺の脇腹を突く。


「でもお前もそう思うだろ」

「…うん。本当に」


棺の中で眠っているのは、昔からよく世話になっていた近所の駄菓子屋の婆さんだった。

不思議なものだ。今になってあの人に怒られたり、遊んでもらったり、今までろくに思い出せていなかったはずの世話になった記憶が走馬灯の様に頭の中を駆け巡っていく。その妙な感覚がとてもこそばゆい。


「何歳だっけ」

「92」

「大往生だな」


俺達が生まれた時点で80近いのかよ。ホント何であんなに元気だったんだ。

まあ、何だ、あの人なら向こうでもばりばり元気にやれそうな気がして、息を深く吐いて、空を見上げる。嫌味なくらい晴れ晴れとした青空だった。




「賢志乃ちゃん」

「略すな」


黒に染まるその姿が割と珍しい姉ちゃんが得意げに鍵をくるくると回しながら俺達の元へとやってくる。そして見事にすっぽ抜けた鍵が葬儀屋のガラスにヒットして慌てて何度も頭を下げていた。格好つかねぇ〜。


「お姉ちゃん」

「─すみませんごめんなさい…こほん。車出したから、乗っていきなさい二人共」


ふぁさっと誤魔化すように髪をかき上げ、ジャジャン!とでも効果音が付きそうなポーズを決めた姉ちゃんの示す先には何とも年季の入った軽自動車が。

聞けば知り合いの参列者の車だが、この後大人共は思い出話を肴にじゃんじゃんばりばり飲み明かすつもりらしく、持って帰る代わりに好きに使っていいとのことらしかった。緩いな。


「安全運転出来るんだろうな」

「ふっふん、余裕のよっちゃんだよ」


ドライバーは意外にも得意げな顔。

思い返すと、免許取ったっていう時のはしゃぎようは知ってるけど、実際乗ったことはないんだよな。

二人揃って煙草臭い車内に乗りこんで、気付いた。…あれ、この人一瞬でめっちゃガッチガチの緊張MAXになってない?


「ふふ。私、お姉ちゃんの運転初めてかも」

「うふふふ…おしゃかにした教習車は数知れず…いつしか隣に乗る教官は数珠と御守りを手放さなくなり…誰が呼んだか『リアルマ◯オカートの瀬那』とはこの私のことよ!!」

「「降ります」」

「残念!君達が乗った車は途中下車は出来ないわ!!」


この野郎。俺達が扉を開ける完璧なタイミングで鍵を閉めやがる。何度挑戦しても何故か一寸のズレすらねぇ。今大事なのは星の悲鳴より俺達の悲鳴だろうが。 


ブオンブオン。エンジンが景気の良いような悪いような不吉な音をかき鳴らす。お前軽だよな?


「しゃあっ!仏っ恥義っていくわよ!!」

「降りまあぁあすっ!!」











もう二度と会う事ができないのだとはっきりと心が理解した時、胸にぽっかりと穴が空いた感覚。これが喪失感というものなのだろう。

ならば時間と共に、空いた穴からその人の思い出が全て抜け落ち完全に忘れ去られた時、どうなるのだろうか。


「残るものはあるよ」


膝に乗った俺の頭を撫でる志乃がポツリとそんなことを言う。

…因みに決してイチャついている理由ではなく、ありもしない峠を攻めたイカれ暴走女の運転によって俺の三半規管が死んでいるだけなので誤解しないように。

逆に何でお前は平気なんだよ。病弱なんじゃねえのかよ。


「賢くんは思い出したでしょ?」

「今だけかもしれないだろ」

「もう、そういうところ。駄目だよ?」


気付かない間にその人との思い出が頭から失くなっている。それはとても怖いことだと思う。思い出そうとしてもきっともうそこにあったことすら思い出せなくなる。

俺もそうなるのだろうか。今こうして膝枕をした思い出もいつか


「えい」

「痛」


ぼーっとしていたら額に軽い衝撃。そしてくすくすと笑う幼馴染。

デコピンされたのだと気づいたのは5秒くらい後だった。


「お婆さんもデコピンよくしてたよね」

「……まぁ、そうだな」


すっすっと、エアデコピンを繰り返す志乃に思わず苦笑い。

あれパチンとかじゃなくてバッチイイィインッ!!!みたいな威力だったけどな。頭が弾け飛ぶレベルの。

俺達がハンドガンならあっちはマグナムみたいなとんでもない差がありましたよ。

そしてふと気付いた。…意外に覚えているものだと。


「抜け落ちたんじゃないよ。思い出が増えたから奥にしまい込まれただけ」

「………」

「こうしてデコピンされた時、またお婆さんを思い出す」


「そう思ったら、ずっとお婆さんは賢くんの中で生きているって思えない?」

「そんな単純なものかね?」

「意外とそうかもね」


不思議と妙に説得力があったせいか、胸の奥がすっと軽くなる。…ま、お利口さんな志乃が言うならそうかもしれんな。

少し固くなった身体を解すように軽く動かして、もう一度膝に深く頭を預ける。

優しい、とても優しい手つきで志乃が再び俺の頭を嬉しそうに撫で始める。


「病弱だろうと、元気だろうと、いつか必ず、何なら全く関係ないタイミングで人は亡くなる。それが天寿」

「…ああ」

「でも、何があっても私は君のそばにいるからね」

「………ああ」

「約束」


…最近、こういうことが増えてきたな。そう思った。

後を託すというか、心残りを減らすというか。それはクラスメイトからも既に知らされていたけれど。


「寂しいね」


…多分、今が幸せだと感じれば感じる程に逆に不安になって考え込んで、良いことも悪いこともあらゆるものががごちゃごちゃ複雑に絡まっているんだろうな。本人の真面目ちゃん気質も相まってますます拍車がかかっている。そして間違いなく今回のこの一件も響いているのだろうし。


…全く、人にあれこれ世話を焼いている場合かって。


「……寂しいね」


敢えて俺を見ずに前を向いた志乃はまたどこか遠い目をしている。

けれど何故だろうか。不思議とそれに違和感があった。それは諦めとは違う、また何か別の──?


「志乃」

「ん?」

「俺はこんな感覚、進んで体験したくもさせたくもないからな」

「……ぅん」


と言ったところで俺の真意なんてとっくの昔に伝わっているのだろうな。その上でのこれだ。

怒られた子供の様に、しゅんとして困ったように笑う志乃を見つめながら、頭の片隅で改めて考えた。

志乃が俺と、俺達と一緒にいたいと思える強い繋がり。想いの証。明確なそれさえあれば彼女を繋ぎ止めていられるのではないかと。


…そう問われるとまぁ、一つだけ心当たりは無くもない。無くもないがそれはこちらにとっても大きな覚悟が必要なものではある。シンプルが故に重いというか。


「(ま、覚悟が無かったら最初からこうしてないわな)」


………バイト増やすかー。


勢いよく起きあがると、驚く志乃の頭をくしゃくしゃと撫でて風呂場へと。

頭から水を被る。クラクラ揺れる頭は未だ気持ち悪くてしょうがないというのに、決心を固めたせいか心は不思議と澄みきっていた。


婆さん、暇ならどうか頼りない俺に力を貸してくれ。なんてな。

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