第26話 天晴

きいきいと、錆びた鎖が奏でる不協和音を聞きながらブランコをただただ漕いでいた。

日は沈みかけ、子供達もそろそろ家に帰る時間帯。周囲に人気は無い。


それでも、ただただ漕いでいた。何を考えるでもない、ただぶらぶらと。




『月城さんはいいよね。いつも庇ってもらえるんだから』




「……………うーん」


右に身体が傾いた。

何ともなしに投げかけられたその言葉が、また脳裏に過ぎる。悪気は無かったのかもしれない。けれど、けれども。


もやもや。もやもや。私の胸の中にどんどん黒い靄が集まっていく。

ぐるぐる。ぐるぐる。集まった靄がかき混ぜられていつしかそれは雨となる。


「うーん……………」


左に身体が傾いた。

真っ直ぐに立て直した身体で空を仰いで、手に持っていたコーヒーをおでこにあてた。

気温と体温で結露した水滴が顔に滴り落ちて、冷たい雫が心地よい。




『貴方は良いよね。何だってできるんだから。』




そんな言葉は口にしなかった。そうやって我儘に何もかもを憎んで傷つける時代はとうに終わったから。家族の涙と謝罪、そして彼の流した少なくない血が、私を私に戻してくれた。


けれども人間、そう簡単に折り合いをつけられるなら苦労しないわけで。


「………うぅーーーーん………」


ゆらゆら。悶々とする胸中を表すかの様に身体が頼りなく左右に揺れる。

いつしか雨は嵐となり、私の中にそれはそれは計り知れない不快感をもたらしてくれて。

駄目だよ。いけないよ。必死に嵐を抑え込む良心という名の私の声が頭に響き渡る。


おでこに乗せていたコーヒーを何度かしくじりながら開けて、傾けて。無理したせいでちょっと噎せてしまったけれど、あっという間に空になったそれを一思いに握り潰した。

掌の小さな缶をじっと見つめる。こんなに小さくても歪に潰れ、尖ったそれは、やろうと思えば誰でも傷つけられるのだろう。


「…ふぅ……」


ガス抜きを兼ねた小さな溜息をまた一つ。

きいきい。きいきい。錆びた、聞いててあまり気持ちよくない音が再び耳を擽り始める。


何度往復しただろうか。

いつの間にかその音は二重に響いていた。


「………」


もう一つのブランコに座り込んだ彼は、私と同じ様にブランコをゆっくりと漕ぎ始める。互いに無言。何も知らない人から見れば何ともおかしな空間なんだろうけど、私にとってはよく慣れ親しんだ時間でもあった。


「見つかっちゃった」

「そうだな」


いつも通りに笑顔を浮かべれば、いつも通りに何てことの無い台詞が返ってくる。

ごめんね。心配させちゃったね。彼の額に浮かぶ少なくない汗に、言葉にならない謝罪を一つ。

暫し二人仲良くブランコを漕ぎ続けた。彼は何も聞かない。いつもそうだった。私が蹲っていれば黙って側に寄り添って、何もしてくれないけど私が声をかければ何でもしてくれた。

いけないと分かっているのにズブズブと甘えて、甘えきって、いつの間にやら17年か。これはもう麻薬と言ってもいいかもしれない。違法待ったなしの中毒性。


「そういうとこだよね」

「何だいきなり」

「ズルいなぁ」


賢一。賢ちゃん。賢くん。時間と共に幾度も変化していった私達の関係もついには恋人へと到達して。何かが変わるのだと思っていた。決してこのままではいられないのだろうと。


別にそんなことはなかった。


彼は彼で、私は私。お互い根っこには常にそれがある。私達はいつだって私達なのだ。恋人になったってそれは変わらない。最初からイチャついてた?それは言いっこ無し。


ああ、でも。


「お」


ブランコから勢いよく飛び降りると彼の前に立って、私は少し控えめに抱きついた。

多少引いてはいるのだろうけど、走り回ったであろう彼の匂いがなんともはや…変態ちっくなので自重します。

…うん。こうやって大っぴらに抱きつけるのはとても良いかもしれない。外だとどうしても彼は恥ずかしがってしてくれなかったから。いや、今もか。あれ、じゃあ恋人って思ったより大したこと無い?


「………」


彼の手が優しく私の背中に回される。温かい。

前言撤回。やっぱり恋人最高。


「ふふふふ」

「何だよ」


たったそれだけで私の胸の中に差し込む一筋の光。

あっという間に強くなった光は、靄をあっさりと散らして私の中心に堂々と鎮座する。

出来上がった陽だまりの中で、私の心は思う存分に日向ぼっこを楽しむのだ。


ああ、救われる。君はいつだって私の心を掬い上げてくれる。


止まない嵐は無いだなんて、物語の中ではよく聞くけれど。

その通りだよね。そして嵐の後はいつだって


「志乃」

「ん?」

「星、綺麗だぞ」


彼の言葉につられるように私も空を見た。

いつの間にやら雲は散っていた。色を失い、小さな星の瞬く空は光源の少ないこの公園の中では存分にその存在感を主張している。

何故だろうか。不思議と、彼に縋りついて泣きたくなった。泣かないけど。


「賢くん」

「ん?」

「月も綺麗だよ」


近くはないけれど遠くもない将来、私はきっと彼を置いていってしまうのだろう。

だから笑顔でいよう。想い出を作ろう。彼の大きな腕でも抱えきれない程の、私の溢れる想いをあげよう。


ねぇ賢くん。きっと君が思うより私は君を愛しているよ。重たいね。

だから、君も私が思うより私を愛してくれたら嬉しいな。

どんなに重たくても、その重さが私を繋ぎ止めてくれると思うから。


「腹減ったな」

「何か買って帰る?」

「いや、志乃の飯食いたい」

「…ふふ、良いよ。喜んで」


私は嬉しいけど、そんな事ばかり言ってたらおばさん拗ねちゃいそうだけどね。


立ち上がった彼が私に手を差し出した。何もないはずなのに、何故か私には眩しくて思わず目を細めてしまう。

差し出された手をとって、きゅっと優しく握りしめるとそのまま立ち上がる。

ゆっくりと歩き出した彼の顔を見上げながら、そっと指を絡めてみる。

立ち止まった彼がチラッと私を見た。ニコニコ。火照る気持ちを覆い隠す様にいつも通りを演じて笑顔を浮かべていれば、彼もふっと笑ってそっと力を込めてくれる。


あのね、今日は──


ただ他愛ない事を話しているだけ。何も変化なんてないのにその時間がたまらなく尊かった。

普通だったらもう飽きてるのかな?私は不思議と飽きないな。全然話し足りない。欲張りだね。


だから、もう少しだけ付き合ってくれたら嬉しいな。なんて。

でもこれくらいだったら、許してくれるよね?


雲一つ無い星空に、私の小さな我儘一つ。

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