第25話 幼馴染と保健室

「いた!!賢一!」

「……お」


用を足して教室に戻ろうとする最中、背後から聞こえた切羽詰まった声につられて、手に持った携帯をしまい込みながら俺は足を止める。

振り返ればそこには鬼の形相で突進してくるヒナがいた。顔を顰める教師の苦言も何のその。

しかし俺は一歩も怯むことなく、奴のトライデントタックルを受け止める。俺は倒れないっ。


「来なさい!早く!!」

「……おお」


すかさず後ろに回り込んだヒナに首根っこを引っ掴まれ、そのまま雑に引きずられる。抵抗はしなかった。こいつの真剣な顔と、珍しく名前で呼ばれる状況を鑑みればするつもりもなかったが。


「志乃か?」

「そう!志乃!!倒れた!さっき!賢一!保健室!」

「分かったから、落ち着きなさいって」


そう慌てていては状況の把握も出来ないってものでしょうよ。

まぁ、恐らくは保健室に向かえばいいってことで、先生に怒られない程度に俺も体勢を取り戻すとヒナの横に並んで歩を進める。


「行くぞ」

「うん!…え、ちょ…、速…、待っ…」


気がつけば、ヒナは俺の腰にしがみついたまま無様に引きずられる形になっていた。ウケる。







「大袈裟だよ、緋南」

「「………………」」


確かにベッドの上に志乃はいた。けれど普通に起き上がって携帯をたぷたぷしていた彼女を前に、俺達は二人仲良く無言で立ち尽くしていた。この上ない呆れを込めてヒナを見る。素早く顔を逸らされた。


「電話してたのに」

「そうだな。今鳴ってる」 


俺の懐から鳴り響く、近頃の若者にしては何とも味気ない無機質な着信音が、これまた俺達の頭をヒエッヒエに冷やしてくれる。

ふるふると子鹿の様に震える足で、ヒナが志乃へと近づいて手を伸ばす。志乃は白い笑顔でその手をとって、自らの頬へと優しく導いた。


「え、志乃…、大丈夫なの?」

「志乃は大丈夫だよ」

「実はロボットでS‐H−I-N-O.MK2だったりしない?」

「志乃は人間だよ」


お前まだ混乱してる?ぺたぺたと、遠慮無く顔を触るヒナと、苦笑いすれどそれを甘んじて受け入れる志乃。俺もまた、一瞬ではあったが向けられた彼女の何とも決まり悪そうな視線を受けて、深く溜息をつくのだった。







「志乃、まだ無理しちゃ駄目だからね?ヒナ!ちゃんと志乃見てなさい!?いい!?」

「イエスマム」


お水やら熱冷ましやら、オカンの様に散々世話を焼いた後、漸く親鳥はヒナへと戻ってこの場を後にしてくれた。志乃のお母さんでもここまではしないのではないだろうかという至れり尽くせりでもてなされた志乃は、ぐわんぐわんと頭を揺らしながら困った様に八の字に眉を寄せて彼女に手を振っている。


「………」

「………」 


保健教諭もどうやら今は留守の様で。狭い空間に訪れる暫しの静寂の時間。

さりとて、俺は無言で済ませるわけにはいかなかった。


「で」  


小さいけれども、俺の発したたった一文字にそぐわない程に肩を震わせる志乃。えへへ、なんてまあ可愛く笑いながら俺の顔を見上げてくる。だが、可愛いだけでは今の世の中生き残れない。なんか小さくてかわいいあいつだってそうだろ。


「本当は?」

「とてもつらい」

「…だろうな」 


苦い顔で横に備え付けられた椅子に座れば、俺の膝の上にボフンと倒れ込んできた志乃が小さく震えながら深呼吸を繰り返す。

俺の腰に小さな手を回して、皺が出来る程にシャツを握りしめた。


「…緋南は悪くないよ」

「分かってる」

「…賢くんも、来てくれてありがとう。嬉しい」

「ああ」


すりすりと、例の如く志乃が俺に頭を擦り付ける。あの…見ようによってはちょっとアブナイんですけど。


…ヒナ襲来の直前に、一足早く俺の元には一通のメールが届いていた。内容は、これから少々ヒナがお騒がせするだろうという旨と、自身は保健室にいて暫く休んでいるという簡潔なもの。そしていつもならば必ず最後に添えられる“はず“の大丈夫だから、という文面。


それが無いお固い文面が、あまり余裕は無いのだと、彼女の容態を暗に示していた。

さていっちょ走ろうかな、と思った矢先に飛び込んできたヒナがヒナであんな調子なものだから俺は逆に冷静になったけど、表には決して出さないだけで正直気が気ではなかったのも紛うことなき事実なのだ。


「どうする。歩けるのか」

「…じゃあ抱っこ」

「よし」

「あ、待って嘘冗談です、んや…」


力強く立ち上がり彼女の細い脚に手を差し込もうと伸ばせば、すかさず己が身を両手で庇う志乃。何だセクハラじゃないって、失礼な。お前一人運ぼうと思えば余裕のよっちゃんで運べるというのに。


「もう、そういうとこだよ」

「お前さんが言ったんやないけ」

「そうやけどぉ」


赤くなった頬を膨らませ、渋い顔でこちらを志乃が睨んでいる。残念ながら全く気圧されたりしないが。

ふぅ、賢くんは純然たる善意100%で行動を起こしたというのに失礼しちゃうよねもう。皆もそう思わない?


「もうちょっと休めば大丈夫だから」

「本当に?」

「…多分」


大丈夫?いいえ。答え・月城志乃。賢くんアキネーターRTA。


ことこういう時の志乃さんに関しては、遠慮せずにぐいぐいと攻め込むべし。17年一緒に生きてきた中で学んだ教訓の一つである。

ちなみに俺の中で上位に入るレベルの教訓は“お部屋に入る時はノックしようね……?“である。あの時の志乃様の反応は今でもトラウマものです。責任とってもらわなきゃね?と笑顔で暫くチクチク刺されたのだから。…まさかわざとじゃないよね?


「…逆に聞くけど、運んでって言ったらどこまでするつもりなの?」

「まぁ、家まで運んでもいいけど」

「豪の者すぎるよ」


だろうね。流石におじさんおばさんに連絡するって。それかタクシー。


「そういうのは、えっと…部屋でね?」

「あ、やってほしいはやってほしいんですね」

「もちのろん」


弱っている割にはやけに力強い肯定に思わず苦笑い。こりゃ今度絶対やらされるな。姉ちゃんに見られなきゃいいけど。あの女は下手したら私も、とか言い出しかねない。


「早く治さないと賢くん主催・真夏の耐久地獄灼熱闇鍋大会の審判も出来なくなるぞ」


毎日毎日熱すぎて狂っちまいそうだ!だって?ならもっと熱くなれよ!さらなる熱さで熱さを吹き飛ばしちまおうぜ?狂ってる。じゃあ手遅れじゃねえか。


因みに誉れある参加者は俺、繋、ヒナの三名。そして前回チャンピオンは繋。俺達二人は熱さではなく味に屈した。勝てっこねえ。

誰だよ苺ジャムなんて入れたやつ。俺は羽生蛇蕎麦食いたい訳じゃないんだよ。……いや、俺だわ。タスケテ!ヒナガシンダ!さあループしようね。


「あ、それは困るな。皆の苦しむ顔を肴に、横でアイス食べれなくなっちゃう」


まさに悪魔の如き所業を笑顔で語る志乃様。良い趣味してんなぁ!!





それからも他愛ない話しで暫く盛り上がって


「─うん、賢くん…私、もう大丈夫かも」

「そうか」


ベッドを丁寧に整えながら、志乃が身支度も整える。けれども何故か、もじもじとどこか嬉しそうに指を組み替えるその姿に思わず首を傾げていれば


「あの、ね?今なら先生いないみたいだし…」

「おや」

「だからね、その、先行投資というか体験版というか何と言うか…」

「………」

「はぐみー」


ゆっくりと、色づいた顔で志乃が俺に向けて両手を広げる。

潤んだ瞳の破壊力はまあ、今更語る必要も無いだろう。


「ちょっとだけ」

「おやおや」

「先っちょだけでいいから……」


今ちょっと照れて雰囲気壊したね。まあいいけど。

俺も手を伸ばせば、隠してるつもりなのだろうが、面白いくらいに一瞬志乃は身体を固くして。…部屋では普通に膝に乗ってきたりするくせに、こういう恥じらいはしっかりあるのだからなんともまあ、ね。可愛いなぁ、なんて。うっせえ何でもない。


「うっし」

「わ」


力を込めて、一息に持ち上げる。バランスを取るために志乃がギュッと力強く俺の首に手を回す。胸に押し付けられる柔らかい感触。鼻先に香る、心地よい匂い。

…お姫様抱っこ、いいかもね。バイブス上がってきた。ちぇけら。


「ふふ、顔近いね」

「そうだな」

「キスできそうだね?」

「…そうだな」


茶目っ気増しましでウインクした志乃の人差し指が俺の唇に添えられる。

言葉にせずとも、想いは通じ合っていた。どくどくと、胸の鼓動が強くなる。これだけくっついていれば、それはきっとお互いに丸わかりで。

俺達の顔がゆっくりと、ゆっくりと……




「保健室ってそういうことする場所じゃないと思うな」

「……………」


突如背後から聞こえてきた妙齢の女性の声。

彫刻の様にピタリと動きを停止させ、汗を滝の様に流しながら、俺はゆっくりと、ゆっくりと背後を振り返る。


「あれ、お帰りなさい先生」

「はいただいま、志乃ちゃん。思ったより元気そうなのは何よりだけど」


いつの間にか机に座って、普通に書類を呼んでいる保健教諭がそこにいた。

そのまま志乃が俺を挟んでなんてことのない挨拶を交わす。うっそだろお前。

先生は気だるげな顔でチラリとこちらを見ると、すぐに興味を失った様に書類に視線を戻す。


「終わったら帰りなさいね」

「………」

「あ、流石に最後までは駄目よ。先生、独り身の憎しみでこの世界壊しちゃうから」

「……………」


……………。


「お」

「お?」






「お邪魔しましたぁーーー!!!」

「わー」

「お大事に」


呑気に先生に手を振る志乃をお姫様抱っこで抱えたまま、弾丸の如し勢いで俺は保健室を飛び出した。

恥じらいなどない。そのレベルなど最早とうに乗り越えた。


後に、『バカップルお姫様抱っこマラソン事件』と名付けられたその出来事は向こう一月程は面白おかしく語り継がれることになるとかならないとか。

志乃は満更でもなさそうだったが。


皆は学内ではもっと慎みを持とうね。はしたないお兄ちゃんとお姉ちゃんとの約束だよ。

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