第24話 雨のち晴れ

「雨だな」

「雨だね」


退屈な授業から解放され、さあ、帰りましょうと悠々と踏み出した俺達の前に広がるのは散々にゲリラっている豪雨。さっきまであんなに晴れてたはずなのに。

…もうさ、ここ最近のお天道様のバーサーカーっぷりどうなってんですかね。何?彼女にでも振られたの?やっかむんじゃないよ全く。


「賢くん傘は?」

「あるぞ」


ま、お利口さんの賢くんはいつ如何なるゲリラにも対応出来るように鞄に折りたたみを常に忍ばせておりますけどね。めんどくさがりで良かったぁ〜。

いでよ聖剣。勇者賢くんはお洒落のおの字もない、飾り気も無いまっくろくろ傘を取り出して勇ましく天へと掲げる…のは迷惑なので止めました。勇者だからね。


「お前は?」

「じゃあ私は無いかも」


じゃあ?微妙に噛み合わないその台詞に思わず彼女の顔を振り替えれば、そこにあるのは空模様とは正反対の実に晴れやかないつもの笑顔。


「入れてくださいな」


そんな笑顔のまま、こてんと、首を傾けて一言。


「折りたたみだぞ」

「だからこそだぞ」


…そっすか。別にいいけどさ。

傘をさす。思った通り、二人で入るには少々手狭で。


「お邪魔しまーす」

「…おう近うよれ」


スルスルと遠慮無く狭い空間に入り込んだ志乃が俺の腕に肩を寄せる。

雨の中へと歩き出して、俺は気づかれないようにそっと傘を少しだけ志乃の方へと寄せる。肩でぱたぱたと雨粒が跳ねる音がしたけれど、まあ仕方ないね。


「ありがとう、賢くん」

「何のことかな」

「何のことだろうね?」


俺の顔を覗き込んで嬉しそうに笑う志乃。背けた顔に灯る仄かな熱。…そこは触れないのが優しさって奴でしょうよ。そういうところですよ。


「でもやっぱり濡れちゃうよね」

「流石にな」

「うん。だから…」


むぎゅっ。志乃が俺の腕に強くしがみつく。肘のあたりが、薄い布越しに感じるとても柔らかい感触に包まれ、うん。まあ、ね?別に下心はないけど。全然ないけど。


「志乃」

「うん?」

「…しがみつくならこっちにしろ」


ちょいちょいと俺は、今志乃が立つ反対方向を指差した。この先の道は少々狭く、よくすれ違った車による奇襲が多発するのだ。そして俺が知っているということは志乃もよく知っているということで。

めっちゃ憎たらしい笑顔がきっと隣にあるんだろうけど、俺は決してそっちを振り向かない。前だけを向いて生きていく。


「ふふふ…」

「…何ですかぁ」

「そういうところ。好きだなぁって」


すっと俺は彼女から顔を背けた。

も〜本当最近ストレートすぎるんですよぉ。右ストレートでぶっ飛ばしていいのは霊界探偵だけってお約束でしょう。


「照れた?」

「照れてない」


「うん、ならまだいけるね」

「お前は何と戦ってるんだ」


むにむにと、更に志乃が身体を寄せる。腕の締め付けがどんどん強くなる。俺の動悸もどんどん強くなる。

いたいけな思春期男子に与えていい刺激じゃないんですよ。もうやめましょうよ。命が云々。


「そこ!いちゃつくんじゃないわよオラァ!!」


そんな端からみると実に目を背けたくなる桃色空間の横からイライラのイラといった声が聞こえてきて、二人して揃って肩を震わせて振り向いた。

おやおや可哀想に。傘を忘れてしまったのかヒナさんが店の軒下で一人寂しく雨宿りしているではないか。

組んだ腕の指先を苛立たしげにトントンと。溢れる憤怒を自ら抑える術を持たない哀しきモンスター。ふええ…ヤンキー怖いよぉ…。漏らしちゃう。


「緋南」

「ああ〜ん志乃ー。助けて私の天使様…」


ちょっと降られてしまったのか、微妙に濡れた頭で志乃に弱々しく手を伸ばすヒナ。

しかし悲しいかな、貴方の頼みの志乃様は残念ながら傘など持ってはいな


「はい、どうぞ」

「わーい。ありがとう志乃」

「志乃様!!?」

「「様?」」


ごく自然に鞄から傘を取り出した幼馴染に思わず俺も声を上げざるをえない。

え?俺今君と相合い傘してきましたよね?俺はてっきり持ってないと思ったから致し方なく受け入れたというのに。下心など全く無い純真な心のままに君と二人、ここまで歩いてきたというのに。


「明日ちゃんと返すからね」

「うん」

「お菓子でも奢るからー」

「はーい」


嬉しそうに志乃に頬擦りすると、何も知らないヒナは呑気に手を振って去っていく。

残されたのは胡乱な顔で嘘つきを見つめる俺と


「なぁに?」


ものともしない笑顔を返す幼馴染のみ。

何も無かったと言わんばかりの笑顔で再び傘の下へと戻って定位置へ。俺の腕を抱きしめるのもしっかり忘れない。


「志乃さんや、今のは何かな」

「傘だね」

「持ってないんじゃなかったのか」

「そんなことは言ってないよ」


言ってないか?言って……なかったな。確かに。確かに?


「嫌?」

「……………」


その聞き方は汚い。実に汚い。ここで嫌などと言えるわけがないだろう!この俺が!

別になんにも下心なんてないけどさ!!


「気もちいい?」

「ナンノコトカナ」

「言わせたいんだ。ふふ、エッチ」


すりすりと嬉しそうに俺の腕に額を擦り付ける幼馴染、いや恋人。

ぞわりと、背中が寒くなった。待て。思い出すのだ賢一。そうだ、あの時抜けたネジは未だ


「あのね。おっ」

「あー!気もちいいなぁー!別に何がとは言わないけど気もちいいなぁーー!」

「へぇ。そんな喜んでくれたんだ。じゃあもっとしてあげるね」


むぎゅっ。…残念。賢一は罠にハマってしまった。

無心になれ。心を殺せ。お前が今挟まれているのは…その、あれだよ。スライムだよ。まじかよスライム最高だな。俺スラリンずっとレギュラーにする。しゃくねつ覚えさせる。


………ん? 


ふと、薄暗かった無心の世界が突然明るくなった。

二人揃って頭上を見上げれば、あれだけゲリラってた空がいつの間にか燦々と輝き始めている。良かった。彼女と仲直りできたんだね。もう喧嘩すんなよ。世のお母さんに迷惑だから。


「…志乃」

「ん?」


傘を閉じて日差しを浴びる。けれども依然として俺の腕はスライムに包まれていた。赤い夕焼けの下、なんの恥ずかしげもなく。…向かいから来たおばさんがあらあらうふふと微笑ましそうに笑いながら横を通り過ぎていった。…いや、恥っず。


互いに見つめ合う。決してラブを伝え合う為ではなく。


「雨上がったぞ」

「雨上がったね」


………


「どうかした?」

「………」


べっつにー、べっつにー?賢くんはいつだって冷静沈着だから動揺なんてしたことないから別にいいけどさぁ、周りがね?周りがちょっと俺達のレベルについてこれないっていうか?だからもうちょっと弁えるべきなのではっていうか?


「言ってくれなきゃ分からないなぁ」


つまり、つまりだ。今、俺が取るべき行動は何か。

考えろ健一。お前は勇者だろ。頭の中のタンスを無断で漁り回れ。しかし何も見つからなかった。


「分かった分かった。家でならいくらでもしていいから…」

「言ったね?」

「え」


その一言が聞こえた瞬間、もしこれがゲームの世界ならBGMが止まり、無音が訪れていたことだろう。

するりと、今までの頑なさは何だったのかってくらいあっさりと温もりが離れていく。

温もりは俺の前へと立ちはだかると、晴れた空模様よりも晴れやかな笑みをこちらに向けてくる。

何故だろうか。今の俺にはその笑みはまるで魔王の─


「言質取ったよ」

「え」

「♪〜…」


俺の手を握ると志乃が勇ましく歩を進めていく。鼻歌まで歌い出しそうな弾む足で、向かうはとりま俺の家。そこに着いた時、俺は彼女にあんなことやこんなことをされてしまうのだ。抵抗してもムダ。私幼馴染…ツヨイネ…みたいな?…俺はもうやばいと思う。


「志乃。その辺で何か食わないか。僕お腹空いちゃって」

「駄目」

「何でも奢るから」

「いい」


ぐいぐい。引っ張ったところで彼女はびくともしない。いや力強っ。


「ふふ。雨っていいね」


よくないね。ああくそ。お天道様。貴方のせいですからね。空いた片手で頭を抱えて、俺は忌々しい青空を仰いだ。


そのまま志乃は足下の水を撥ねさせながら、徐々に日差しの差し込む空の下を、いつかの子供の頃のように笑いながら歩くのだった。

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